朝倉が邪馬台国かもしれない
寒い朝だ。予定より幾分寒い。中国地方よりも九州が寒い、大隅半島まで‐6℃だ、こんな寒さは珍しい。午前3時のsynopから日本近傍の地上の気象データを図にしてみるとなんとなくわかってくる。朝鮮半島からの寒気が地表を這うように九州に出っ張ってきているようだ(左の図、青線が相当温位)。5000ftの温度図(右の図、赤線が気温)ではその感じはにじんでこない。
やはり九州の気象は朝鮮半島の影響が大きい、また感じてしまった。
先週、正月も中旬となってどこか温泉にでもと、朝倉の原鶴温泉に出かけた。福岡市から高速で行くには近すぎるということもあって太宰府から朝倉街道を走ってみる。何とはなしに歴史を感じる道だ。
邪馬台国朝倉説というのがある。走っていると確かに何と読むのだろうと思う古そうな地名が目に付く。
帰って邪馬台国=甘木・朝倉説の安本美典氏の文をnetで探して読んでみる。
朝倉周辺の地名は風土記などにもあるようで古くからの地名が残されていることは間違いないようだ、更に大和盆地の地名と朝倉周辺の地名に繋がりが読める。(添付は安本美典氏のシンポジウム資料より転載)。
氏は古事記に記載された高天原こそ邪馬台国であり九州の朝倉付近であったとしており、高天原の安河を朝倉の夜須川とみる、現地を走るとさらにはこれを現在の筑後川とみなしても成り立つようにも思える。
大和に似た地形、吉野ケ里にも近く、鉄器も多く出土し、弥生時代からここに文化の集積があった、それが東へ移動して神武の東征という記述になったと考えるのは自然な考えのような気がしてくる。
耕作可能な平野の広さといい、交易にも都合がよく、海から適当に離れれていて侵略に一定の安全性が保たれる点といい、九州で国の中心となるほどに条件の揃ったところといえばこの辺りから吉野ケ里くらいまでに広がる有明海北部沿岸一帯の平野となるように思われる。九州に邪馬台国があったのならここらだろう。もう少しこのあたりを調べてみようかとの気がしてくる。
古事記にあるイザナギ・イザナミが大八島の次の6島の国つくりで最後に作った島は五島列島の南にある男女群島と比定されている。古事記が書かれた昔から九州の西の端のこんな小島が注目を浴びていた、読み直してみると驚きが多い。九州の古代文化の更に向こうには朝鮮半島や中国があったのだろう。
いずれにしても日本書紀・古事記に出てくる九州の記述の多さは隠しようもない。
原鶴温泉のホテルには韓国のツアーが少なくとも3つ来ていた。温泉で福岡から近くキャパシティもあるがやや旧式化したここのホテルにとってはこれがビジネスを大きく支えているのだろう。
そういう位置関係なんだ、韓国とも、中国ともうまく和解できるだろうか、トランプが(はからずも)そのように導いてくれるだろうか。
トランプの話題ばかりのCNNを流して見るともはなしに眺めていると、今年どうなるか見ものになってきたようにも思えている。
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