たらたらと歴史を想う
4月も終わりとなった。なんだかちょっと疲れた。
晴れた日が多くて、クルマも新しくなって出かけたくなる日が続いたためかもしれない。
なるべく食事会飲み会には出ないようにしているが何故か4月5月6月とその機会が増える。気象だ野鳥だとどうしても所属するグループの輪の飲み会・食事会には年度初めということもあり付き合うことになり、法事もあったりすると、そうでなくとも体調が今一つで足が遠のいているヨット遊びには出れなくなる。花見にも行かねば、興味のある歴史探索にも出かけねばと思えばとにかく忙しい。
本当はやらねばならないことなど何一つないのだから全部をうっちゃってぼーとしてればいいのだがそうもいかない。春は気ぜわしい。
最近行った歴史探索では装飾古墳の竹原古墳が心に残る。6世紀後半ころのものというから水城や基肄城や大野城といった、白村江の敗戦後に造られた対唐新羅防衛建造物などと同じころの古墳ということになる。よく残ったと思う。現地に常時駐在して管理している方の話によれば高松塚などの明日香の装飾古墳は漆喰の上に描かれたため脆くて傷みが出ているようだがここは岩にじかに描かれているため比較的傷みにくいということらしい。
同じく筑豊にある特別史跡の王塚古墳のはかない壁画に比べてもくっきりとして見事だ。勿論ガラス越しで見ることになるがよく見える。
きちんと管理して何時でも誰でも見れるという強さが古墳の管理には重要なのかもしれない。絵が傷みそうなら誰の目にもすぐそれが解るという状態が直ちに対策をとれるということになって望ましいのだろう。隠さないことが強さを作るのだろう。
壁画は撮影禁止となって掲示されている説明図を撮るしかない、説明にはなるが記録にはならない。フラッシュを焚かないことを条件に撮影可とした方がいいのではないか、そんなことも思ってしまう。最近福岡市に周ってきたポンペイ壁画展(日伊国交樹立150周年記念「世界遺産 ポンペイの壁画展」)は全て撮影可だった、そこには堂々とした誰に向かっても解放された人類の遺産という誇りがむしろ感じられた、そんな姿がこの古墳にも似つかわしい。
ポンペイの壁画展には紀元前数十年頃に描かれた壁画が含まれていたが、そのころといえばシーザーがガリア戦記を記したころだ。
たまたま図書館にあったガリア戦記(新訳ガリア戦記 ユリウス・カイサル著 中倉玄喜 翻訳・解説)を読んでいるところだったので一層この時代が生々しく感じられる。ガリア戦記もポンペイの壁画も2000年前とは思えないリアルさと人間の息遣いが感じられる作品だ。
2000年もの間を人類は徒に過ごしていたのだろうか、10
年前に書かれたといわれてもそうかと思ってしまうほどだ。
そのころの日本の様子はどうだったのか。2000年前の遺跡である自宅近くの吉武高木遺跡で少しはうかがい知ることができるが、到底ローマには及ばない時代を過ごしていたようだ。それにしても吉武高木遺跡の王墓らしき墓からは前漢製の鏡が出土するなど東シナ海を越えた交易が広がっていたようでもある。邪馬台国成立以前、伊都国や奴国ができる以前の時代だ。日本でも目いっぱい生きていたその時代の人の生きようがうっすら浮かぶ。進んでいたか遅れていたかそんなことではない人間の生活が感じられてくる。
たらたらとこんなことを思って4月も終わる。いい生き方かもしれない。時々そう思う。
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