何かが凝縮した街東京
東京で同期会が2つあって、おまけに気象予報士総会のシンポジウムも聞いたりして久しぶりに2泊3日を東京で過ごした。折角だからとモノレール羽田線沿いのコアジサシを途中下車でみたり、皇居東御苑のアヤメを見たり、旧古河庭園のバラを見たり東京をあちこち動き回ってもみた。
何とか時間を作って東京駅近くで開かれるダビンチ・ミケランジェロ展もみようと計画したが結局疲れて力尽きて辿り着けず旧古河邸での歌曲のミニコンサートを心安らかに聴いていた。歌の翼がバラ園の中空に拡がっているようでゆるく流れる時のうねりが心地よかった。
東京はストレートな生き方がし易いかもしれない、そんなことを思っていた。
旧古河庭園にバラの時期かと見に行ったのは、東京には旧華族や財閥の邸宅がいくつか残されていてそれが東京ならではの見どころのように思っていることがあった。
旧古河財閥の迎賓館であった旧古河庭園は北区にあり京浜東北線の田端の次の駅上中里で降りて10分足らずで到着する。泊まっていたホテルは人形町駅の近くだから日比谷線で上野まで出てJRに乗り換えればいいという塩梅で複雑な地下鉄乗換もなくて気軽にアプローチできる。
日曜だからなるべく早めでないとと人出が気になって9時の開館直後に入る。洋館の見学は10時半からだが当日申し込みは少し早めに行って並ぶ必要があるらしいというのもあった。
バラは殆どの木にはまだたくさん蕾をつけていて1番花は過ぎているものの2番花が十分に楽しめる時期だった。2番花などという言い方はここのホームページで初めて知ったが言って見るといかにも詳しそうな雰囲気になって面白い。丁寧に手入れされていて、見ている間もずっと手入れの人が手を動かし続けている。話しかけたくなって、バラのムシ対策は?と聞いてみる、基本的に1週間に1回の薬剤散布でムシは防げているという。ふーんそんなもんでいいんだという感じだ、話すことが面白い。
洋式庭園の作庭は邸宅の設計者ジョサイア・コンドルによるものという。いかにもヨーロッパの庭園だ。
連日の飲み会で疲れていたのもあって日本庭園につながるところの木陰のベンチで鳥の声を聴きながらスケッチを始めた。描くべきものがたくさんある景観だから十分に時間が使えて気兼ねなく休憩できる。
鳥の声は大抵がヒヨドリで時々コゲラの声がするそれくらいだ、しかし何故か品がいいヒヨドリでいやみがない。ゆったりした時の流れに身を任せる。
いくら何でも洋館見学時間が迫ってきたので切り上げて急ぎ日本庭園を見て回る。茶室が点在しこのままのんびりしようとすれば幾らでも居られる雰囲気の庭だ。いいところだ。
洋館に辿り着くと当日見学の列ができ始めているが十分定員内だ、ほどなく見学が始まる。写真撮影は禁止という。写真を撮ることにしか興味のない人はご遠慮願いたいという管理者側の気持ちが伝わってくる気がする。
建物は進駐軍に接収された後暫くは放置されてお化け屋敷状態にあったというが今は綺麗に維持されている。こういう風に整備され始めたのが戦後の終わりを示しているともいえるだろう。
2階の洋式ホールのドアの裏側に襖があって和室が作られていたりする、和室の床の間や違い棚も含めて全てジョサイア・コンドルの設計という所がまた面白い。明治期の招聘外国技術者で鹿鳴館等を設計した人だ。東大で辰野金吾他多くの建築家を育て、個人的にも日本画や日本舞踊まで習い日本舞踊で知り合った日本人の妻をめとって67歳で日本で没している。ロンドン生まれの英国人だ。デレーケ等も含めて明治初期の日本には人生を日本に捧げた優れた外国人が来てくれているのには感謝を覚えるばかりだ。
一回りした後、1階ホールで3人の女性声楽家によるミニコンサートがあるというのでもう東京で回るところは終わりにしようとコーヒーとケーキを味わいながらその歌声を楽しむ。菩提樹にからんで訳詞の近藤朔風を少し調べたところだったので同じ訳詞家の手になる野ばらの歌唱になにか因縁を感じる、歌の翼がバラ園の空に響くさまは何とも言えない安らぎがある。
東京という街もさすがに素晴らしい、そう思えてくる。何かが凝縮している。
上中里駅から浜松町経由で雨が降り始めた羽田に出て午後の便で福岡へ戻る。博多駅前でバスを待っていても人の多さの圧力を感じない、やはり東京の人の厚みは疲れるかな、歳をとるとすかすかしている福岡位の街が丁度いいかな、そんな風にあれこれ思いながら家路についた。この街らしい乾いた風が吹き抜けていた。
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