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2017年10月27日 (金)

古楽が

福岡では何故か秋になると毎年福岡古楽音楽祭というのが開かれている。古楽というのはバロック時代及びそれ以前の音楽を当時と同等の楽器と奏法で演奏する、と

Kogaku

いうことのようだ。音律も平均律をベースとした奏法でない、自然の倍音に従ったゆるい肉声になじむ演奏と思っているが平均律かそうでないかは聴いてもすぐには解らない。

18日にはバッハの無伴奏バイオリン・パルティータから第3と第2が演奏された、第2の最後はシャコンヌだ。演奏しているのはシギスヴァルド・クイケンで、たまたま2000年頃当人が録音した同じ曲のCDを持っていてコンサートン前に聞いて予習をしていたが17年後の本人の演奏はさすがに老いが感じられCDの時のようには輝いていない、しかしこれはこれで心に入ってくる演奏だ。古楽らしいともいえる。
3日後に今度はクイケンが主宰するプティトバンドの演奏でハイドンのオペラブッフェ「歌姫」(ラ・カンテリーナ)を聴いた。宮廷音楽だ。そもそもハイドンのオペラはすべからく宮廷の中にしつらえた舞台で演じられていたというから簡単な舞台装置と当時の衣装で演じるオペラは当時もこのような風に演じられたのだろうと思わせるところがある。話は金のない歌姫親子がパトロンとなっている男たちからまんまと金品をまきあげる筋立てとなっていて喜歌劇だ、しかし笑いどころが今ひとつ解らない、笑いからしてフランス革命前の貴族の邸宅に向けた笑いなのだろう、現代の庶民の笑いとはどうにも違うようだ。
古楽はそこのところからの理解をも求めているのかもしれない。少々難しい。

ロビーでは古楽に用いられる楽器が販売用として広げられているが、お客は勿論古楽の演奏家達で一般の人は相手にしていない風情だ。何だか古楽愛好演奏家の世界的サークルの内輪のコンサートのようにも見えてくる。音楽そのものに感動するというより古楽という文化を嗜好する人たちが支えているようだ。ベルギー政府からの支援が絶たれて寄付を募っていたが、そんな位置づけなのだろう。
福岡という街は音楽そのものよりそんな筋書きのある音楽を好んでしまう街なのかもしれない、そんなことも思った。中身よりかぶっている衣が好きなのかもしれない。
そんなことも感じてしまった。
コンサート一つからでも色々学ぶことが多い、そこが面白い。

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