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2018年1月28日 (日)

古事記と万葉集を学ぶ

古事記と万葉集という講義を放送大学で受講している、というかもう試験も終わったので受講していたというべきなのだろう。ラジオで聴取する形で、教科書とラジオ録音がすべてだ。15回の講義で1回あたり800円弱の受講料を前もって払っておく必要がある。高いといえば高い。資格を取るといった明確な目標を抱いて学ぶ人には妥当なのだろうが面白そうだから学ぶというには費用が少々大きい。まあしかしこんなものだろう。

古事記から入る。古事記は713年に完成し天皇に献上されたとされている。
古事記は漢文体の日本書紀に対比させられる音訓交用表記であり、中の歌謡は一音一字の音読みの所謂万葉仮名表記,神の名前は殆どが訓読み表記となって文体に苦心の

Kumo1a

跡がうかがえる。
中国文化を日本文化に取り込み咀嚼した漢字かな交じり文の原型が作られたのが古事記ということになるのだろう。
太安万侶の序文は表記の苦心を述べているがこの序文自体は漢文であり、公式文書はやはり漢文という当時の感覚も感じる。

古事記はともかく伝えられている国の歴史を物語と歌謡としてそのまま内向けの言葉で書き下すところに力点が置かれたと感じられる。

万葉集の巻一巻二は古事記とほぼ同時代に編纂され、古事記の続き すなわち舒明天皇以降の歴史書としての側面を課せられていたように考えられるという。
古事記では雄略天皇までが事績の記述が書き込まれていてその後の推古までは系譜のみとなるが日本書紀は持統までの事跡が淡々と記されていて対外的な歴史書の体裁をとっているようだ。
古事記+万葉集が所謂人間史、日本書紀が正史とういうことになるように思える。

古事記以降の人間的な歴史の記述を担わされたのが万葉集の一側面ということになるものの、万葉にあげられている古い時代の歌はその後の時代に造られた歌がそのように言い伝えられて残ったともみられるところがあり(即ちまつわる物語が創られていて)、混乱があるところがかえって生々しい。

例えば16代仁徳天皇皇后の磐姫が作ったとされる短歌四首が万葉集に載せられているが(巻二)、古事記の記述では19代允恭天皇の軽太子のところに出てくる衣通王(そとほしのおほきみ)の歌がこの四首のうちの一つとほぼ同一で、どちらが創ったとするのが正しいのか、どちらも怪しいのかわからない。巻二は古事記の編纂された十年位後の720年代にはほとんど出来上がっていたと思われているようだ。

古事記の軽太子のところに出てくる長歌は万葉集巻十三相聞歌に出てくる軽太子にまつわる長歌とほぼ等しいものの、この万葉仮名表記は古事記の方では1字1音を守っているが万葉集では漢字万葉仮名混じり文のように万葉仮名を使っていて明らかに万葉集編纂者は古事記を見ながら編纂し、編纂時の世間で語られていたことに引きずられて漢字万葉仮名混じり文にしているといると感じられる。
*)注。
先にあげた古事記で衣通王の歌とある短歌については古事記が時代的に先だけに衣通王の作とするのが正しそうに見えるが、一方で万葉集で磐姫の歌とされる四首は第四十一代持統天皇(在位690-697年)(藤原不比等の時代)のころに連作としてまとめられたようだという見方もあり、やや奇々怪々の印象を受ける。

藤原氏の勢力がゆるぎないものとなったのは当時の慣例を破り皇統でない藤原氏出身の光明皇后を仁徳天皇の皇后として立后(729年)したところにあるとの見方が有り、この立后の僅かな前例が同じく皇統でなかった皇后磐姫だったというところに磐姫を巡る記述の危うさがあるようでもある。古事記での磐姫の記述は極めて嫉妬深い女性として描かれ印象が今一つよくないところを改めるべく、磐姫を立派な歌を詠んだ姫とのいい印象を与える後付け証拠としてよくできた4首が集められこれが磐姫の連作のように万葉集に載せられたのではないのか、藤原氏の強い意向が入っているのではないか、どうにもそのように思えてしかたがない。

この衣通王は、柿本人麻呂・山部赤人とともに和歌三神と呼ばれるほどに和歌に優れた才能を示したとされているようだ。もっとも和歌三神としては幾つかの挙げ方が古来よりあり、玉津島明神と住吉明神、柿本人麻呂を挙げるのがむしろ普通ではあるようだが玉津島明神とは衣通王のことを指しているとされるため、いずれにせよ衣通王は古来より和歌三神の一柱だったということのようだ。それにしては残された歌が僅かしかない。衣通王の伝説が先にあって紀の国に伝えられておりそれをひきずったのが古事記の記述であるのかもしれない、古に優れた女性歌人がいた、そこが伝説の始まりかもしれない、そんなことも思ってしまう。すべてが架空のものがたりであり、歌だけが残ってきたという気がしてくる。

古事記と万葉集を見て行くと漠とした上代の雰囲気が感じられてくるばかりで、不確定性原理のようなその漠とした存在の仕方が日本の文化の原点そのものであるように思えてくる。そんなことを感じるようになっただけでも改めて学んだ価値があったように思う。学ぶことはやはり楽しい。
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*)例えば
隠(こも)り国(く)の 泊瀬(はつせ)の河の 上つ瀬に 斎杭(いくひ)を打ち
という長歌の始めの方の表記を比較すると

古事記允恭天皇90:
許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知

万葉集巻十三3263:
己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打

と万葉仮名表記でも随分違う、万葉集は漢字で纏められるところは纏めている。

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2018年1月21日 (日)

ダーウインの種の起源を読む

ダーウインの種の起源を読んでいる。光文社の文庫本だと何となく岩波の文庫本よりとっつきがいい。

Syunokigen

読み始めて気が付いたのが原本の出版年が思いの外遅いという事実だ、日本の歴史では殆ど明治維新寸前というあたりになる。

正確には幕末安政の大獄が引き起こされた1859年で、9年後には明治元年となる。ぼんやりと進化論発表は1830年位のイメージを持っていたがそうではなかった。アメリカでは南北戦争、欧州ではナポレオン3世がオーストリアと戦争していた頃で世界的に騒然としてきた時代のように思える。音楽ではショパンが亡くなった後のブルックナーの時代となる。
第1次大戦前の世界に向かってグローバリゼーションが展開していきつつある時代ともいえる。
読むと確かに今に通じている。今でも疑問に思うことを地道に追いかけている。世界の動植物の生きていく様をつぶさに見て考察した結果が自然淘汰による生物の進化だったということのようで非常に説得力のある本だ。膨大な観察を背後に感じさせる。
たとえば草原に何故この植物が繁茂しているかを受精に関わる昆虫ともからめて説明している。
アカクローバーを訪花するのは蜜まで口が届くマルハナバチだけでそこに生息するマルハナバチの数はその巣を荒らすノネズミの数に大きく左右されネズミの数は猫に左右される、従って
アカクローバーの花がその地域で見つかる頻度はその地域にどれだけの数のネコがいるかによって決まる可能性がある、と説く。
ダーウインの主張のキーは結局は小さな形質の差異が生存や種の生き残りに結構大きな影響を与えているというところにあるような気がする。相互に依存している生命はわずかな変化が別の連鎖の優位性を生み出すというところにあるようだ。
確かにそういうところはある、しかしそれは変化を拡大する自然の不安定な一面の強調であって変化を抑え込み安定させている保存系としての地球の面はとらえきれていないようにも思う。それがあってこそ46億年も緑の地球は続いたのだろう。そこらが自然淘汰によりかかる進化論の限界のようにも感じる。

何がこの世界を安定化するように働いているのか。「神の見えざる手」は何なのだろうか。命の寿命だろうか。環境の多様性だろうか。今なお色々考えさせられる本だ。

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2018年1月13日 (土)

神功皇后の存在感が

今年の初詣は元旦に近くの御子神社を訪れた、ここ数年同じで引っ越してからの生活パターンも定まって来た感じがする。3が日はのんびり過ごした後この地の習慣に従ってあと2社を回った。3社参りは明治になって商業的動機で人為的に広められた習わしと言われ、従う理由も無いのだが正月は何か時間がゆったりしていて3社くらい回るのがやはりちょうどいい、1社ではやや物足りない。

Umikoboku

福岡周辺の大きなお宮はこれまで順に詣でていたがそういえば宇美八幡にはまだ行っていない。今年はここからかと訪れてみた。
福岡空港の向こう側で、九州高速のすぐ東にあるようだ。ナビで目的地を入れて向かうと難なく到着し駐車場も特には並ばなくて呆気ない。1月も4日ではだいぶ空いてくるようだ。
立派なお宮だ。そもそもは神功皇后が三韓征伐から戻って 後の応神天皇となる御子を産み落としたのがこの地であったことから宇美の名があるという、古事記にはっきりそう記されている。福岡周辺では神功皇后の言い伝えがあちこちで顔を出すような気がするが、ここではこの地域の成立そのものが神功皇后だ。進んで行くと社殿の両側に巨大なクスの巨木が見えてくる。樹齢2000年とされる。確かに縄文杉に漂う異様さがここにも感じる。これはかなり古い。神功皇后も見たに違いないと思えてくる。その時代とつながっている現代をどうしても感じてしまう。すごい。

2日後、神功皇后の残した石がご神体になっている糸島の鎮懐石八幡宮を訪れた。こち

Chinkiq

らは神功皇后が新羅征伐に出発するとき懐妊しており出産を遅らせるために二つの石を持参した、そのうちの一つの石のある八幡宮ということになっている。単なる言い伝えでなく万葉集巻五に山上憶良がこの地を訪れた時(西暦730年頃)にこの神功皇后の残した石を見て説明を記し歌を詠んでいる。この時すでにここに石があったことは疑いようがない。(写真は展示されている相当の石、本物は御神体となっていて見れない)
このほかにも福岡市周辺には神功皇后の残したとされる遺跡が幾つかあり、那珂川町にある神功皇后が新羅征伐勝利祈願の神田に水を引くため掘らせたとされる農業用水路「裂田の溝(うなで) 」は現在でも水路として使われていたりもする。神功皇后は福岡周辺では存在感の強い名前となっている。
Shichitou九州以外でも、石上神社に伝わる七支刀(国宝)は百済から神功皇后に贈られたと日本書紀にある七支刀そのものではないかとみられているようでもあり、物的証拠があちこちにあるのも神功皇后の不思議でもある。

それにしても、神功皇后とは何者なのか。古事記・日本書紀では第十四代仲哀天皇の奥方で、九州に熊襲退治に天皇とともに訪れた時に天皇が亡くなり神の啓示を受けて新羅征伐にたった、とされる。首尾よく新羅征伐に成功しこの地に戻った、というのが武功の大筋ということになる。本当だろうかと思うが倭国が新羅を攻めてこれを破り新羅から朝貢を受けるようになったという事実は朝鮮半島側の4世紀後半頃の記録にも残されているようで史実と考えてよさそうだ。それが本当に神功皇后の武功であったかは解らない。神功皇后の話が記載されている古事記は8世紀初めの書物だから古事記が書かれた段階で既に三百数十年経っていたことになり、相当に話が脚色されてしまうのはいかにもありそうな気がする。しかし古事記万葉集の時代までに言い伝えられる程の事跡を残した人物がいたのはほぼ間違いないような気もする。

古事記では神功皇后の母方の生家は出石氏であったとされているようだ。出石氏は新羅王子であった天之日矛(アメノヒコボ)が帰化した所謂渡来人を祖先とする一族とされており元を辿れば朝鮮半島につながることになる。当時の倭と朝鮮半島の三韓は血族的にも強く結びついていたようにも思える。倭と三韓は今の日本と朝鮮半島の様な切れた関係ではなかったようで神功皇后にまつわる話は少なくともそんな雰囲気の中で形作られたと思うとある種のリアリティを感じて来たりもする。

半分本当で半分作り話、そんな世界が九州で見る古代史には立ち込めているようだ。その痕跡がすぐ間近にあるという所が面白い。
それにしても、核ミサイルであれ慰安婦問題であれ北朝鮮が韓国がという話が未だに日々の話題の中で重きをなすのは、歴史的に見れば当然ということかもしれない、これからもずっとこういう立場でお互いを見つめていくのだろう。理解しあうよう努めるほかないのだろう。

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2018年1月 6日 (土)

ガラケーからスマホに

年が明けて正月2日にスマホに変えた。
携帯はガラケーくらいがちょうどいいと思ってきて同じ型のガラケー(D705iμ)を中古

Sumaho

で買い替え買い替え使いつづけてきたが、もうさすがに古くなり世の中のセキュリティの深化にもついていけずモバイルスイカも使えないタイプになってしまった。今持っている個体も表面の金属板も剥がれ始めて物理的にも限界に来ていた。一方でiモード携帯はとうに出荷されなくなっていて、新品で売られているのはガラケーでもアンドロイド携帯になってしまっている、これまで親しんできたiモードの新品への買い替えはもう望んでもできない。ここらがスマホに乗り換える時期かと思いきった。
年末にドコモの店を訪れて話を進めていたが月末にスマホ契約に変えるとその月の支払いは月初めからスマホになったとして請求される仕組みになっていると聞かされ1月2日の開店日に手続することにした。日割りにしないのはどこか上から目線のお役所仕事的な処理でnttはドコモでもまだ親方日の丸の電電公社体質を引きずっているのかなと思ってしまう。
正月の店は結構混んでいて家内も同時に切り替えるのもあって店員の対応に時間切れの雰囲気が出てくる。後はご自分でご確認をというところが残る。丁寧な対応はできなくなっているし、更には初売りでもあるのにおまけもでない、結構きつい商売になっているのだろうかドコモは。
ともかく使い始める。選んだのは富士通のArrows Be という機種だ。簡単な説明書はあるがいわゆる取扱説明書は紙の形では付いてなくて小さいスマホの画面で見るかネットからダウンロードしてパソコン・ipadで見るほかない。そういう時代だ。
どうせipadと同じだろうとタカをくくっていたら少々手ごわい。
まずはモバイルsuicaの設定だ。 別途入会しようとするが同じビューカードから同じ携帯の番号では入会できない。それではとモバイルsuicaの機種変更を設定しようとしてパソコンから手続きに入ると元の携帯から手続きに入るかそれができなければコールセンターに電話でとなっている。勿論元の携帯はsimを抜かれてもう使えない。コールセンターの電話番号をネットで探して電話すれどお話し中ばかりで一向につながらない。めげず10分以上かけ続けているとついにつながるが自動応答で大変混んでいますのでこのままお待ちいただくか掛け直しを とくる。新年から異常な混み方だ。スピーカーホンにして別のことをしながら待ち続けると今度こそやっとつながる。話すとパソコンで一度退会手続きをすれば明日7時から再入会が可能になる、スイカに残っているチャージは193円と少額なので手続き費用と相殺という形で0になる(多額の場合は手続き費用を差し引いて申請した銀行口座に振り込まれる)という。少額とはいえ巻き上げられるのは悔しいので近くのセブンイレブンでアイスクリームでもとスイカで買ってほぼ使い切る、simカードが抜かれてもまだスイカの機能としては使える。翌日落ち着いてパソコンで入会手続きをしてやっとモバイルスイカが使えるようになる。少々疲れる。
並行して、lineの設定をする。lineが開通すると少しスマホらしくなる。lineのメールの打ち方も暫くはよくわからなかったが見つけるとああそうかコールにして下の枠に打ち込むのかとわかる。元の電話帳から読み込まれたのか友だちのところにたちまちアイコンが並ぶ。そうかこの人もlineかと思うが数はそう多くもない、やはり同世代はスマホは少ないかなと思ってしまう。
wifiにつないでメールを打つというところでもトラブルに遭遇する、家内のスマホの方だ。dアカウントが設定されてない(のでwifi下ではメールを打てない)とでてくる。dアカウントはドコモのお店で設定してもらったような気になっていたがそうではなかったようだ。dアカウント設定に進むとネットワーク暗証番号のところでロックされていて進めない とくる。
ロック解除はドコモ店に行くかサポートに電話するしかない。また電話かと悩ましいがこちらはすぐにかかってロック解除手続きができる、ネットワーク暗証番号の記憶違いの様だ。dアカウントをパソコンで設定しても何故かスマホ上ではまた設定しろとでてきてよくわからなくなるがスマホの指示に従って進めるとやっとのことでwifiでドコモメールがつながるようになる。これもかなり疲れる。トラブルが出ると病気になりそうなくらい疲れる。
lineのほうは自分のスマホは掛けただけ電話代のかかるシンプルプランとしたので通話はできるだけline outの有料通話をつかおうとこの設定をする。180日有効で240円をチャージする、固定電話国内3円米国1円/分だから使い切れるかどうかとなる。ドコモはこれでは電話代のビジネスは成り立たつまい。更には15秒の広告を見れば1日数回は無料でかけられるサービスもある、が、まだるっこしいのでまずは有料のlineoutだ。
そのほかdropboxの設定接続をして写真のスマホとipad・パソコンとのやりとりをやってみたりスマホ特有の文字入力であるフリック入力の理解と試行をやってみたり様々にいじっている。
やっと落ち着いてきた。重さは懸念したほど重くはなく電池も1.5日か2日くらいは持ちそうで少しは気楽だ。

しかし、なんだか選択肢を又失ったような気になっている。グーグルの網に絡みとられた気がしている。ネット、ソフト、AIの進んでいくビジネスの方向は結局はユーザーの選択肢を次々に切り落としていくところにノウハウがあるような気がしてきてこの先本当に愉快な世界があるのだろうか、誰かが決めた愉快さにはめ込まれるのではないのだろうか、そんなことばかりを思っている。しかしそういう感覚も含めた世界の動きを体感するためにはスマホを持ってみることがやはり今となっては必要になっている、そんなことも痛感している。

思い直せば世界はどこへ向かっているのだろうか。

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2018年1月 3日 (水)

2017年12月の福岡市南区周辺の野鳥


いつもの冬の鳥が街の公園に居座っている。まだシロハラは滅多に見ない。ミサゴを見かけることが多くなった、少し増えているような感じがする。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

Okayosi171217

2017.12.1 pm2曇 4Sc040  福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:コサギ1、ハシブトガラス2、ジョウビタキ♂1、スズメ2、シロハラ声1  新市楽池:ハシビロガモ3(♂2♀1)バン1、マガモ2(♂♀)鹿介池:ハクセキレイ声

2017.12.2 pm1 福岡市西区小戸海上 ミサゴ2-3

2017.12.6 am11 曇 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 マガモ8、オカヨシガモ2、ハシビロガモ2、ヒドリガモ4、カワウ2、オオバン1、ジョウビタキ♂1、シジュウカラ2+、アオサギ1、コサギ1、

Hosihajiro2

ヒヨドリ

2017.12.7 pm15  晴 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ハクセキレイ1、シロハラ2、ジョウビタキ♂♀、ヒヨドリ4 新市楽池:ハシビロガモ2、オカヨシガモ4、バン2、スズメ5

2017.12.8 pm14  曇 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園(工事中):ハクセキレイ1、ヒヨドリ 新市楽池:ハシビロガモ2、オカヨシガモ4、バン2、鹿介池:ヒヨドリ

Hakusekiri


2017.12.13 am11  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 マガモ8、ホシハジロ♀2、ヒドリガモ♂2、カワウ2、オオバン1

2017.12.17 pm15  福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:コサギ1、ヒヨドリ 新市楽池:ハシビロガモ2、オカヨシガモ2、バン2、ハクセキレイ1 鹿介池:バン2、コサギ1、アオサギ1、ヒヨドリ

Hasibiro171207

2017.12.19 pm14  福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:カワセミ1、カワラヒワ2、コサギ1、ヒヨドリ1 新市楽池:メジロ1、ハシビロガモ4、オカヨシガモ3、バン2、マガモ4 鹿介池:コサギ1、アオサギ1、ヒヨドリ2、スズメ10、マガモ♀2、ドバト4

2017.12.20 am11 曇 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 マガモ8、オカヨシガモ2、ハシビロガモ5、ホシハジロ♀1、ヒドリガモ1、カワウ2、オオバン1、アオサギ1

Kosagi171219

2017.12.22 pm14 晴 1Cu050 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園):シロハラ1、ヒヨドリ 新市楽池:ハシビロガモ4、オカヨシガモ4、マガモ2、バン2、オオバン1、ハシブトガラス1 鹿介池:バン2、コサギ1、アオサギ1、ヒヨドリ1、ハシブトガラス1、ドバト6

2017.12.23 pm14:30 薄曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園):ジョウビタキ♀1、ヒヨドリ 新市楽池:ハシビロガモ4、オカヨシガモ4、マガモ4、バン2、オオバン1、ハクセキレイ1、スズメ6、ハシブトガラス1 鹿介池:バン2、ウグイス1、コサギ1、ヒヨドリ2、モズ1、スズメ6

Kawasemi171219

2017.12.26 pm15:00 風力3-4 曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園):ヒヨドリ 新市楽池:ハシビロガモ2、オカヨシガモ4、マガモ2、バン2、ハシブトガラス1 鹿介池:ウグイス1、コサギ1、アオサギ1、ヒヨドリ3、カワセミ1、ドバト

2017.12.31 pm15:00 風力3-4 曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園):コサギ1、シロハラ疑1 新市楽池:ハシビロガモ5、オカヨシガモ3、マガモ5、バン2、

Mozu1

オオバン1、ハシブトガラス1、ドバト1


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