イランでATR72が墜落
また旅客機の墜落事故だ。今度はイランでATR72が山岳地帯に墜落し搭乗者全員が死亡した。世界でここ1年以上旅客機の墜落事故がなかったことの「つけ」がここへき
て周ってきたような気持になる。ついこの前のロシアの事故の前の事故は2016年11月28日南米で起こった、ブラジル代表のサッカーチーム・シャペコエンセを乗せたチャーター機の墜落だった。もう随分前になる。
今回の事故は高山地帯への墜落だけにまだわかっていないことが多くあるが今手元で得られる資料を整理すると以下のような状況だ。
2018年2月18日イラン・テヘランのマハラバード空港を現地時間8:05頃に離陸し、南部の都市ヤスジュに向かって飛行中のイラン・アセマン航空3704便の旅客機ATR72-212が現地時間9:30頃、ヤスジュ空港の北東約15kmの山岳部に墜落した。乗員6名乗客59名計65名全員が死亡したとみられている(当初66名と報じられていたが乗客1名は乗っていなかったことが確認されている)。
墜落場所は標高約4000mの山地で事故機の破片が散乱しているのが確認された。天候が悪く事故4日目の21日に救助隊がやっと徒歩で現地に到達し捜索と遺体の引き下ろし作業を行っている。フライトレコーダ・ボイスレコーダはまだ発見されていない。
この付近はアラビアプレートとイランプレートがぶつかるあたりで4000m級の山脈が形成されており地震も多い。
Flightradar24が入手した飛行中の機体から送られてきたADS-Bの飛行データからは標準時で5時55分59秒(現地時間9時25分59秒)の高度16975ft(5174m)が最後のデータとなっている。21000ftの巡航高度から降下をしていたところだったように見える。最後の管制との通信は現地時間9時30分にQNH1021のコールバックをしたところだという。9時34分のタワーの呼びかけには応じていない。
9時27分頃の降下は約1400ft/minと読め墜落地点の標高は約13000ftであることから最後の通信の直後に墜落(山腹激突)したと想像される。最後の3分間のADS-Bの通信が切れている理由は解らない。
機長のHojjatallah Fouladは経験豊かなパイロットと伝えられ2013年には同型機で片エンジン停止でヤスジュ空港に緊急着陸も行っている。
アセマン航空はイラン3位の規模の航空会社で主に国内線を運航している。29機を所有しておりそのうち6機がATRとなっている。事故を起こした機体は機齢24年とやや古く更には昨年まで7年間フライトせずに保管された状態にあったがこれをリハービッシュして昨年11月から飛行への供用を再開している。事故機は数週間前に技術的問題を起こしていたという報道もあり、機体に何らかのハード的トラブルが生じていた可能性もある。
イラン核合意までは禁輸措置が取られていて部品の供給も困難だったが現在は禁輸も解け2016年にはボーイングから新型の737MAXを30機購入する契約を結んでもいる。それなりのエアラインと思われる。
事故当時の気象条件はやや厳しい。西から大きな雨雲が近づいており、ヤスジュ空港の現地時間9時30分(標準時間6時)のMETARは
OISY 180600Z 13004KT 9999 FEW035CB SCT040 OVC090 13/M00 Q1021
で9000ft以上は一面の雲に覆われている、一部に積乱雲もある。雲中飛行だ。GSM気象モデルによる推算からは16000ftでは事故当時-5℃程度風速20m南西風と推測され着氷の恐れも考えられる。墜落が突然起こっている模様であることから雲中飛行で位置を誤り山腹に衝突したとするのがありそうではあるが、管制との交信では21000ftから17000ftへの降下を許可され降下が終わったあたりでADS-Bのデータが途切れておりそこらで何かが起こり更に降下せざるを得なくなり降下したところで山にぶつかったとも考えられる。何が起こったのだろうか。
フライトレコーダが見つかればより明確な原因追及が可能となろう。
禁輸制裁が続いたためイランの航空会社は部品調達がままならず苦しい運航を続けていたようでもある。未だに向上しない生活に現政権に対する不満が形を現し始め政府批判の動きが表面化してきたタイミングでこの事故ということもある。それみたことか、との批判も出かねない。今後どのように事故原因が追及されていくか、事実を見つめて素直に解明されるだろうか、イランがどうなっていくだろうか、注意深く見守っていくほかないそんな気にする事故だ。現代史の危ういところを突いた事故ともいえるような気もしている。
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