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2018年5月31日 (木)

2018年5月の福岡市南区周辺の野鳥

中公園にカワセミが久しぶりに姿を現せ動きが活発になってきた。新市楽池ではバンが4羽雛をかえしヒナが愛らしい。油山の森ではキビタキ、オオルリのさえずりが続き夏鳥の活動が盛んだ。有明海のシギチドリは夏羽の彩が華やかだが冬鳥が帰り、次第に数は減ってきている。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2018.5.5 am10-12 晴れ 福岡市油山市民の森
  ホオジロ、ヤマガラ、キビタキ、ヒヨドリ、メジロ、シジュウカラ

Ban1

2018.5.12pm16 晴 風力2-3 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:バン6(親2、ヒナ4)、スズメ5+、ムクドリ1+ 鹿助池、バン声1、コゲラ2、ムクドリ2、マガモ♂2、ハシボソガラス2、 中公園:スズメ5+、ムクドリ1+

2018.5.14 am6 晴れ 福岡市油山市民の森
  キビタキ、オオルリ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ヤマガラ、ヤブサメ、メジロ、エナガ、ソウシチョウ、ハシブトガラス、ウグイス、フクロウ、ホトトギス、ツバメ、ホオジロ、Rサンショウクイ (ほぼすべて声のみ)

Aosagi1

2018.5.15pm16 福岡市南区長丘周辺の野鳥  新市楽池:バン1、スズメ、ムクドリ1+ 鹿助池、バン声1、コゲラ2、ムクドリ1-2、スズメ10+、 中公園:スズメ5、ムクドリ2

2018.5.17 am6:30 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ツバメ3、ムクドリ1-2、マガモ1、スズメ  新市楽池:バン1ヒナ、スズメ 鹿助池:アオサギ1、ムクドリ2、スズメ、ハシボソガラス1、カワラヒワ1、マガモ2、バン1+1声

Nokorihosihaf

2018.5.18 am6:30 曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ツバメ3、キジバト1、ムクドリ3、ハシブトガラス1、アオサギ1、カワラヒワ1、シジュウカラ1、 新市楽池:バン6(親2、ヒナ4)、キジバト1、ツバメ1、スズメ6 鹿助池:シジュウカラ1、ムクドリ、スズメ、ハシブトガラス2-3、バン1

2018.5.18  11:30  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 
    マガモ♂4♀1、アオサギ1、ホシハジロ♀1、カワウ2、ドバト2、ツバメ4+、スズメ10+、カワラヒワ1

Sorihasisigi

2018.5.20 am11:30前後 晴れ 佐賀市大授絡み
  ダイゼン、チュウシャクシギ、切りあい、ムナグロ、アオアシシギ、トウネン、ハマシギ、アオサギ、クロツラヘラサギ1、ダイサギ、ソリハシシギ、メダイチドリ、シロチドリ

2018.5.22 am7:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ツバメ2、ムクドリ4、ヒヨドリ2、コゲラ声1、マガモ2♂♀、スズメ5、ハシブトガラス1、ハクセキレイ1、カワラヒワ1、 新市楽池:バン6(親2、ヒナ4)、マガモ♂1、ハシボソガラス1 鹿助池:アオサギ1、マガモ2♂♀、ヒヨドリ1、バン声1、ハシボソガラス1、スズメ―5

Sijyuukarasm1

2018.5.23 pm17:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:バン6(親2、ヒナ4)、ツバメ1、ムクドリ1 鹿助池:アオサギ2、ハシボソガラス2、スズメ―5 (移動中):シジュウカラ1、ムクドリ、ツバメ、スズメー10、中公園:コゲラ1、カワセミか声、ムクドリ1、ハクセキレイ1、ツバメ1、キジバト1

2018.5.24 am10 福岡市植物園
   ツバメ、カワラヒワ、メジロ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、スズメ、R サンショウクイ声、シジュウカラ声、ウグイス声

2018.5.25 12:30 宗像市さつき松原
   ホオジロ多数、カワラヒワ、ツバメ、ムクドリ  

2018.5.27 am10:30 福岡市油山市民の森
     キビタキ(キャンプ場上ー91辺り)、ソウシチョウ、ウグイス、ホオジロ、ヤブサメ、ホトトギス、コジュケイ、ヤマガラ、カワラヒワ、メジロ、ハシブトガラス、ハシブトガラス

2018.5.29 pm16:30 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:バン5(親1、ヒナ4)、ツバメ1、 鹿助池:アオサギ1、ハシボソガラス1、メジロ声、キジバト1 (移動中):シ

Kawasemi0531a2

ジュウカラ1、中公園:シジュウカラ1、スズメ、ツバメ2-3

2018.5.31 am7:00 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ14、ツバメ3、ヒヨドリ1,ハシボソガラス3, ムクドリ1,カワセミ1、キジバト2、 新市楽池:バン1+ヒナ声1、スズメ2-3 鹿助池:バン1、ムクドリ1,ヒヨドリ1,ハシブトガラス1、スズメ3、カワラヒワ1 (移動中):シジュウカラ1


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2018年5月26日 (土)

春の渡り

春の渡りのシーズンだが今年は気合が入っていないせいかハチクマの春の渡りを見逃した。
5月17日の日に思い出して天気も良くなっていいころ合いかと油山の片江展望台に昼過ぎに出かけてみる。昼過ぎでは確率が低いのだがこうなってしまってはしょうがない。タカ観察の人に今日は?と聞くとゼロ羽との答えが返ってくる。この時間でゼロならもうないか、とそれでも1時間くらいは待ってみてあきらめて引き上げる。サシバとの声もあがるが見ても角度が悪いせいか確信は湧いてこない。見た感じがしない。

渡りといえば蝶の渡りもある、朝散歩していてアッ!アサギマダラだ という日があった。これもすぐに視界から消えてしまって確信はいまいちだが、こちらのほうがそうだとの感じが残る。
確か植物園の入り口にアサギマダラが渡りの時期に現れていたがと植物園に出向く。花はと見るとまだまだだ、そうかこれはフジバカマだ、秋の花だ今の時期に咲くわけがない。
春の渡りはどこで見られるのだろう、とそういえば少し気になっていたところへfacebookに掲載されたアサギマダラが宗像の海岸に出ているという知人の記事が目に入る、これこれと心が動いた。

しかし何の花に来るのだろうかとネットで調べる。宗像のアサギマダラについて60ページものpdfのレポートがネット上に公開されているのに行き当たる。恐ろしく便利な時代になった。個人の知恵が容易に集積される。出版しなくてもpdfのしっかりしたレポートを残せばこれは出版と同じだ。
facebook情報では宗像の三里松原だったがこちらのレポートでは宗像のさつき松原海岸とある、そんなことは大差ない。直ぐにも出かけようとの気になった。

花についてはピロリジジンアルカロイド(PA)という成分を含む花の蜜に来るという。このピロリジジンアルカロイドがないとオスはメスと交尾できないというからオスにとっては深刻だ。春の渡りの時期に咲いてこのピロリジジンアルカロイドを持っているのがスナビキソウで海辺にスナビキソウが花を付けるところにアサギマダラが群れるということになる。大分県姫島でもスナビキソウにアサギマダラが集まる様子が新聞等でも紹介されることもあるようだ。但しアサギマダラは暑さに弱いので日陰の少ない浜辺では午前の早い時間までしか見られないようだ。その他ではスイゼンジナという黄色い花にも多く含まれるようで宗像では織幡神社の入り口に咲いているところがあるという、こちらは日陰もあるようで昼でもいるかもしれない。
秋の渡りの時期に咲くフジバカマやヒヨドリバナがこのピロリジジンアルカロイドを多く含むがこの他でもツワブキの花やキク科の花などもこれを含むようで飛来写真が紹介されている。ホルトノキの花にも来るようだからこの花にもピロリジジンアルカロイドがあるのだろう。このピロリジジンアルカロイドは人間の肝臓には毒になるようだ、強すぎるのだろうか。
とにかくそういうことかと、仕掛けが解る。宗像では越冬期に背後の山地で幼虫が見

Munakataumi

出されており渡りをせずにこの地で過ごす個体も大分あるようではある。渡りの途中の群れと一緒になったりもしているようで鳥のように縄張り争いがあるということでもなさそうだ。色々学ぶ。
とにかく出かける。着は昼頃になるので最初から浜辺で見ることは半ばあきらめていた。現地の海岸に着くとスナビキソウの花そのものを見つけることができない。ここらの花期はもう過ぎたのだろうか。facebookにあった海岸はもう少し先なのだがその途中に織幡神社がある。ここにいれば、とほのかな期待で立ち寄る。参拝者専用駐車場にクルマをとめて辺りを見回すと確かにネットで見た黄色いもしゃもしゃのスイゼンジナの花が見つかる。近寄って覗こうとするとアサギマダラがひらりと現れる。やっ

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ぱりここか、と刺激しないように遠巻きに見る。ここなら半日蔭くらいでそんなに暑くもない。2頭いる。あまり広くないのでそんなものだ。
自宅から50数キロあることもあり、とにかく出会えたのでここらで引き返すことにする。もう夏の日差しだ。帰りしに世界遺産となった新原・奴山古墳群をちょっとだけ見る。要するに古代の墓地で大した感動もないが結構いい土地が墓場で占領されているのが少し気になる。いい土地を大きな墓場にできるというのが権力の誇示

Kofun

だったのだろうが当時も抵抗感があったに違いないと思えてしまう。薄葬令で7世紀半ばから古墳の規模が制限されて古墳時代は終わりとなったのは当然と思われる。ともかく海上交易で強大になっていた勢力がこの地にあったことは明らかだ。

宗像というところは不思議なところだ。古代より大陸に向かう海上交通の要衝だったこととアサギマダラが住み着いてもいることと何かつながりがあるのかもしれない。いざとなれば海を渡って半島に逃げることもできる、その逆もある、そんな地であることがアサギマダラのDNAのどこかに書き込まれているのだろうか、何しろ卵で越冬したり親子の代を継いで海を渡ったりしている蝶だ。個々の命の期間は短いが引き継がれるDNAがしっかりと長い歴史を見届ける、そんな生き方をしている生き物なのだろう。大事な記憶は引き継がれているのに違いない。

人間もそんなワザができるようになれば実質的に不死の命を得るということが可能になる事になる、そんな日がこれからの長い人類の歴史には訪れることだろう。とても間に合わないが。命の渡りは様々なことを考えさせてくれる。

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2018年5月18日 (金)

福翁自伝から話が広がって

ひと月位前に福翁自伝というのを読んだ。面白い本だ。福沢諭吉が64歳の時に書いた自伝という、口述筆記させて後から随分手直ししたらしい、講談本のようだ。明

Fukuoojiden

治30年の作ということになる。日清戦争と日露戦争の間という維新が結実して強国になっていく時代だ、威勢のいい空気が背景にある。
読むと幕末から明治へ移行する時期のリアルな活写となっているところがとりわけ興味を引く。福沢諭吉は幕府召し抱えではあるが勤皇でも佐幕でもなく超然とした翻訳者の立場に立っていたようだ。諭吉は積極的開国論者であったが、幕府の言う開国も結局は攘夷をしたいが止む無く開国というようで諭吉には気に入らなかったともある。幕末から明治にかけては何より暗殺が最も恐れていた事態だったという。夜は出歩かないと心していたとある。そうだろう。

幕末ドキュメンタリとも読めてなかなか面白いと思っていたところ思いがけず先月の法事の席で福翁自伝に話が及んだ。
親戚繋がりの方から出てきた話だ。福翁自伝の緒方洪庵・適塾時代のくだりに松下元芳という久留米出身の医者と諭吉が夜店に入って暴れた話が出てくるがこの松下元芳とその方は5代くらい前で系図がつながっているという。ということは系図の線をたどっていけば自分と松下元芳をつなぐ線が現れるということになる。何だか人類皆兄弟と思えてくる。


自分の両親の家系はどちらもずっと九州のはずだ、一度できる範囲で辿ってみるのも面白いかもしれない。そう思い始める。

単純計算では5代辿れれば100年、50代辿れれば1000年前まで行ける。勿論役所の書類では3-4代前くらいしかわかるまい。その先はお寺や神社やどこかの記録に残っているかということになる。

できはしないが500代で10000年と縄文初期までトレースを追えれば遡れるはずで、もっと前にも勿論つながっているのは間違いない。突然生命は生まれるはずもなく今ある命のもとは数十億年前の生命の誕生まで必ずつながっていなければならない。考えてみれば途方もないことだ。今生き残っている全ての命は46億年の地球の歴史の中でおこった数回に及ぶ地球生命大絶滅の大波をかろうじて潜り抜けてきた奇跡のような生き残りばかりだ。恐ろしいばかりに貴重な命だ。

自分はどこからきたのか。多細胞生物が始まる10億年位前までに至るDNAの分岐を遡ってルーツを追っていく、これをだれもが行える技術として いつかは人類の手に入るのだろうか。このまま人類が絶滅することなく永らえれば1億年位は人類の時代が続くだろう、きっとその内にそのくらいのことはできそうな気がする。そんな技術があってこそ人類は助け合わねばならないことをリアルに感じることができるのではなかろうか。たかが数千年をたどれる位の約束の地などは殆ど意味のない約束だと知るだろう。

とんでもないところで線が交差し枝分かれして延々と続いていく、それが個人という生き物で構成される世界の成り立ちであり行く末なのだろう。

考えていくと僅か100年足らずの寿命であるのが残念になる、しかし1億年先までの未来を連綿とつながる自分のDNAは見続けていってくれるだろう、それがあってこその寿命と思い切ることもできる。
命の連鎖は面白い。福沢諭吉から一気に考えが拡がるのもまた面白い。世界は面白いことで満ちている。




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2018年5月17日 (木)

傘を治す

あまり傘は使わないのだけれど、雨が降りそうで散歩に出る時等にはポケットに入るくらいの軽い安い折り畳み傘を持ち歩くことがある。
つい半月ほど前 何かの拍子にこの傘の骨がぽっきり折れてしまった、安い傘で買い直せばいいのだが、ごみが増えるだけなので治してみる。物を「なおす」というと直すという字を使うべきだろうが骨が折れたとなると治すと書きたくて書いてしまう。

Kasanaos

アルミの骨格ということもありいじりやすい。折れた部分の継ぎ手となる釘を適当に探してきて骨の両側の溝に押し込み周りのアルミをペンチでかしめる。これだけで一応使えそうな感じになった。ビニールテーを巻いて継ぎ手の脱落を抑えて完成とした。曲がりが残るがちゃんと機能してほのかな達成感がある。これで使っていてまた壊れればその時は買い直せばいい。
壊れたものは直せばいい、また壊れれば買い直せばいい、買うのが金銭的にためらわれるようになれば何かをあきらめればいい、単純な生活を送っている。単純な透明な生活、望んでいたものに違いない。
しかしまだまだ捨て去ることのできるものを数多く抱えている。

Yotto

この春からヨットをやめた。未練があるが体力的というか体調的というかよほど安定してないともはや一日続けてはできないなと思うに至ったことによる。
フルートもばったり吹くのをやめている、やはり体調上、肺がきつくなるような気がしているためだ。
山歩きも体に負担を感じるほどにやれば内臓がてきめん不調になる、ほんの散歩+アルファくらいしか体が許してくれない。
ランニングは5kmのスロージョギングがいいところだ、少しピッチを上げて負荷をかけると心臓がリアルにおかしくなる。以前軽くできたと思っていたレベルの運動は次々に捨てざるを得なくなっている。しかし捨てても捨ててもやることはなくなりはしない。


Skii

スキーはまだ捨てた気がしないが九州に引っ越してからこのかた全く滑れていない。この地でスローペースでのんびりしたスキーをやるなどは到底できそうにない。北関東にいた時のように自宅を出て1時間半でちゃんとしたスキー場で滑り始められて3時間も滑れば満喫して引き上げる、そんなことはもうできない。この地ではまともなスキーといえば遠くまで出かけて行って泊りがけでマイペースで一日滑って戻る、こうなる、一人ではできそうにないし付き合ってくれる人もいそうにない。スキーも捨てたも同然だ。

こんなに捨てたのに何故か日々が気ぜわしい。まだ見ていないもの、訪れていないところ、なんでも見たり訪れたりしたくなる。寿命というものを見つめ始めている、そう感じる。ちょっと嫌だがそうなのだろう。何にでも正面から向き合うようにしていかねば、そればかりを思っている。

それにしても、傘を治す、単純なことだが、捨てるべきといつも迫られている心地がしている時に一つでもささやかに押し戻せたという感触があって、どこかいい。

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2018年5月15日 (火)

離島に行けない

連休に新潟の粟島に春の渡りの野鳥を見に行こうと計画して 福岡‐新潟の航空便を何とか安く予約するとか、瀬波温泉の宿を渡る前に泊まるために1泊分予約するとか村上付近を渡る前に見て回ろうとレンタカーを予約するとか、色々準備した。関東にいたころの鳥の仲間に現地で合流させてもらう手はずでもあり楽しみにしていた。気になるのは天気だった。
15日前から北半球の高層500hp高度分布予想は米国colaのサイトに出てくる、これが普通にネットで手に入る情報として一番早いと思っている。15日前にこれを見ると予定の日程のあたりでトラフ(気圧の谷)が日本海を西から東に走りそうだ。これは荒れるかもしれない、しかし変わりやすい5月の気象では早まったり遅くなったりそれほど厳しくもなくなったり、その通りにならない可能性も十分ある、でも注視しなければならない。そう思ってそれから気象庁の11日予測GSMモデル結果やwindyの欧州気象庁(ECMWF)の予測を追い続けた。特に気になるのは嵐による波だ。

Nami

およそ35km離れた粟島と本土側岩船港の間にはこの時期大型のフェリーが毎日1往復、小型の高速船が毎日3往復している。高速船は1.5mの波高の波で欠航となる、フェリーは3m位までなら運航されるがそれ以上では欠航となる。飛行機便の都合もあり旅行の計画としてはフェリーだけを使うというわけにいかず往きフェリー帰り高速船としていた。予定の日が近くなってきても天気

Hakou0505

の見通しは一向に好転しない。少なくとも往きのフェリーは出そうだが帰りの高速船はかなり怪しい予測となってきた。帰りは低気圧通過後の南風で海面を風が吹き渡る吹送距離は短めにはなるが10mを越える風となり1.5mの波高はオーバーしそうだ。windyのECMWF予測では2m位の波になると出る。予定の高速船に乗れなければせっかく抑えた航空便に乗れなくなる、安い切符でも不可抗力では変更はしてもらえるが次の便は満席で連休が明けるまで新潟に2泊くらいしないと戻れない可能性が高い。これはもう旅行として成り立たない。合流するメンバーとも相談してキャンセルすることにした。航空機の切符が旅割75という安い切符であることもあり日が迫ってのキャンセルは6割くらいキャンセル料をとられる。しょうがない。片道一人分だけマイルを使ったフライトにしていたが取り消し手数料として3000マイルとられた。これもしょうがない。宿やレンタカーもキャンセル料が発生する時期になってのキャンセルだ、いくばくかとられてもしょうがない。新潟で途方に暮れるよりましだ。

暫く落ち込んでいたが、それでも連休は日帰り旅行やどんたく見物などでそれなりに楽しんでいた。
連休も最終日に福岡の北40kmほどのところにある小呂島に鳥を見に行こうという話が前からあって粟島行きとぶつかって不参加としていたが粟島行きがなくなったのでこちらに参加してみようと話に乗って行く気でまた気象と波を調べていた。こちらは高速船が日に2往復で日帰りでは朝行って3時間くらい歩き回った後同じ船で引き返すという計画になり、やはり波高1.5mで欠航となる。天気の見通しは予定の日の夕刻に低気圧接近で荒れてはくるが昼過ぎの帰り便あたりならば何とかなりそうな雰囲気だった。前日になって気象予測データを見ると荒天がやや早めに訪れそうとなってきて際どい。もし帰りが欠航となると島には宿泊施設や食堂はなく かなり厄介なことになる、予想では当日帰れなければ翌日も荒れが続き翌々日になってやっと帰れるということになりそうだ。これはかなりなハイリスクとなって直前で中止と決まった。予約はないのでキャンセル料ということはないが、またかと落ち込んでしまう。

風の吹送距離と波高の関係を示した経験式、Wilsonの公式では40kmの吹送距離では13m/sの風で波高は1.5mを越える。低気圧が通り抜ければ海上で風速13m以上の風はありうる風だ、低気圧が近づくと離島は遊びに行けない。勿論北西風など海側から吹いてくる吹送距離の長い風では8-9mの風でも1.5mの波高となりもっとしばしば欠航は起こりうる。一昨年の沖縄慶良間諸島に波が高くて行けなかった教訓が1年もすれば頭の中から抜けてしまっていたようだ。

離島にはなかなかキッチリ決めては行けない。しかし厳しい自然があってもそれに勝る価値があるから人は住み着く。
魅力的な島ほどリスクがある。思い知るべきだ。

遊び心で離島に行くには思いついたように直前に天気を見て決める、なるだけ日帰りにする、これしかないのかもしれない。また狙ってみよう。

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2018年5月13日 (日)

カズオイシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を読む


Watasitachigakoa

このところカズオイシグロの作品を読むことが多くなった。
この「わたしたちが孤児だったころ」(原題:When We were Orphans)は「充たされざる者」の次に発表された長編で丁度うまく図書館から「充たされざる者」の次に順番が回ってきた。こういう風に読むと違和感があまりないが、「日の名残り」の次に読むと、何だこれは、という印象が出てくるのではとも思う。素直に読むべき小説ではない。

探偵が主人公の私小説という設定自体が奇妙だ、リアリティが希薄だ。歪んだ眼鏡を通して物語を追っていく気分になる。戦前の上海という舞台設定もこの世ではない世界のようにも思ってしまう。上海で現れる日本軍人はぎこちないし再会した幼い頃の親友だった日本人の像も揺らいでいるように思える。
実体験のない世界を奇妙にひずませることによってそれを見ている読者を巧みに構成されたイシグロの世界にリアルに引き込んでいるような気がする。面白いつくりの小説だ、スピード感がある。異様な展開も時空を超えて予想されたような結末となって普通に話は終わる。変な読後感は残らない。「充たされざる者」に比べればはるかに読みやすい。


それにしても上海の租界というところはは随分と異様な世界だったようだ。今も残る建物群が1か月ほど前訪れた北京とは相当に違う雰囲気を現在でも与えているようだ。また格安プランででも行ってみようか、それもいいか、との気がしてきている。

心象風景を現実に見る、ゆらぎながらこれを行う、こんな遊びが面白いように思えている。カズオイシグロに影響されはじめたのかもしれない。

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2018年5月12日 (土)

薩摩を旅する

離島の旅行を2つ立て続けに失敗して、これならばという天気をしっかり読み休暇村指宿に空きを見つけて鹿児島に小旅行した。大河ドラマの影響がもちろんあるが、指宿の温泉に行けるうちクルマでに行っておきたいというところに心が動いた。長崎ランタンフェスティバルもインフルエンザで行けなかったし自力で行けるところがだんだん狭くなってきていると最近感じ始めていた。
5時間近く走って鹿児島を巡った翌日知覧へ行ってみた。武家屋敷と特攻で知られる。ここの記念館で40年位前に宇都宮で眺めていた4式戦「疾風」その機体そのものに突然再会した。一体どういう経緯でここに至ったのか。(写真は1973年に撮影したもの)。
1973年の入間航空ショーでフライトしその後宇都宮飛行場へ飛来してこの地に暫く止まった。宇都宮上空を飛行している姿を見上げるように街中から眺めたこともある。旧中島飛行機関係者のプロフェショナルな手で丁寧にメンテナンスされていたが、オーナー

Hayate1973a2a

の後閑氏が亡くなった後宇都宮を離れ、関西を転々とした挙句知覧町の手に渡りここに落ち着いたという事のようだ。多分もう飛べないだろう。残念だがしょうがない。
貴重な機体の写真を撮りたかったが撮影禁止という事で撮れない。なぜ禁止なのかはよく解らない、なにを気にしているのだろうか。

Hayate1973b


仕方なく写真が載っているパンフレットを購入する。少しでも稼ぎたいということかもしれない。情けない。
展示を見ていく。特攻は一定の戦術的効果を米軍に与えたといわれる。そのまさに必死の抵抗が日本上陸侵攻後にも続けられれば米軍は多大な損害をさらに受けると恐れ、それがためらいのない原爆投下に繋がったというのはあなかち牽強付会と言うわけでもないような気がしてくる。何でこんな悲惨な戦争を邁進したのか、誰が責を負うべきなのか、それを解明しようとする或いは糾弾する説明文はどこにも見られない、日本国民として戦争責任を追求する行いがほとんど行われずに今日に至ったのが腹立たしくてしょうがなくなる。死んで行った幾多の命に申し訳ない気がしてくる。知覧の展示はその意味で全く情けない、同情を買い客寄せのためにやっているのかと言いたくなる。永遠にゼロだ。

鹿児島の街はとんでもなく走りにくかった。世界遺産の寺山炭窯跡から仙巌園に向かおうとナビに目的地を入れると一筋縄では読めない道順が出てくる。ループでシラ

Navi

ス台地から降りて南下したあとUターンして北上せよとの指示だ(写真)。どういう道だろうと走っていくとまさにそうしないとたどり着けない。ループを降りては左折して北上することができない道になっている。普通の道ではない。解ってない人、地元ではない人には走りにくい道になっている。ほかでも感じる、よそ者のことは親身に考えていない構造を。

世界遺産の構成資産である関吉の疎水溝と寺山炭窯跡はいずれも良いところだった、しかし、行きにくい。
福岡を朝クルマで出ると丁度ランチ時が最初の訪問地ということになる。

Touonkan

関吉の疎水溝の近くの稲音館(とうおんかん)という所をランチ場所と決めてナビに住所を入れて出発する。予定通り12時頃に現地に着いたのだが最後はとんでもなく細い道を指示してくる。どういうことだろうと恐る恐る進むと確かにこの道しかないと解る。関吉の疎水溝の駐車場は5台くらいのスペースで稲音館にクルマを置いても行けるのだがこちらも5台くらいだ。勿論バスは入れない。人はほとんど来ないと決めてかかっているようだ。稲音館のランチは美味しくテラスで風に吹かれていい気持だったが数組しか入れない、

Sekimuzu

この時はついに他のお客は現れなかった。県道沿いには看板も気が付かない程でナビか知ってる人以外来ようがないところだ。関吉の疎水溝のほうは興味深い遺構が残っていて疎水のはるか仙巌園に向かって流れ行くさまも見れて特に夏場は心地よいところに思えた。しかし行きにくい。次は寺山炭窯跡に向かう。こちらはネットで調べてみても駐車場は少し離れた公園を示してあったりでよく分からなかったがとにかく現地にまず到達してみようと走っていった。やや細い県道220号線を、ここらあたりか、というところまで来ると駐車場入口の表示が見える、やっぱり近

Sumiyaki

くにあったんだとクルマを入れるが1台も止まっておらず不気味なところがある。どっちへ向かえばいいのか道案内もなくて看板を探したりと少し手間取るが解って歩き始める。100m位で近い。森の中でリュウキュウサンショウクイやシジュウカラの声などが響いて気持ち良い散策となる、いいところだ。炭窯跡の遺構はいかにも近代遺産という感じで普通の炭焼き跡とはずいぶん違う。ここが仙巌園の反射炉のエネルギー源であり、辺り一面の落葉樹が切られていったのだろうが今はいい森だ。落ち着ける。
いずれも自然散策にいいところだがよそ者にはなかなか近づけない雰囲気のする場所だった。世界遺産で何とか整備しようとしているところは感じるが元々が人の近づきにくいところに作られていて本来的に行きにくい。
そのあと今回巡ったいくつかのポイントでもよそ者にとってのわかりにくさを感じた。そういうう風土なのだろう薩摩というところは、簡単には抜け去らないのだろう。

2日で720kmくらい走って、随分歩きもした、疲れた。殆どアクセルもブレーキも踏まずに済む車だから走れた気がする。こんな旅行はいつまでできるだろうか、それでも旅は面白い。

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2018年5月 8日 (火)

昔住んでいたところを歩く

昔住んでいたところを歩いてみよう、ずっとそう思っていた。自宅から歩いて5分程のバス停から出る路線に乗れば乗り換えなしで行ける。又は最寄駅から西鉄電車で行ってもいい、簡単に行ける。それなのに福岡に引っ越してきて実際に訪れるまで5年かかった。いつでも行けるという気持ちがここまでずるずると引き延ばしてきたような気がする。
結局3週間ほど前のとある日思い立って全く唐突にふらりと出かけた。すぐ近くのバス停から駅行きが来ればそれに乗ればいいし間があれば少し離れたバス停からバスに乗ればいい、そんな風に思ってまずはすぐ近くのバス停の時刻表を見ると数分後に駅行が来るようだ。ラッキー!とこれを待って乗り込む。ミニバスだ。久しぶりに乗る、駅東口が終点となっていて、前に乗った西口で降りるのと行き方が少し変わっている。なんでも変わっていく。短い間にも世の中は動いていく。
次の
まで西鉄電車に乗る。
そういえばこの駅で降りた記憶が昔にもない、というか蘇ってこない,その先で降りるのが常だった。駅の階段を降りて出たところでも地理がピッと頭に来ない。暫く眺めまわしてああこっちだとわかる。
街角の記憶は薄っすらとしかない、写真があればいいがそんな写真は昔撮ってはいない。

Jinjyax

北へバス通り沿いに下っていくと右手の路地のずっと向こうに鳥居が見える。西鉄電車の高架線を越えた向こうに神社があるようだ。こんな神社は全く記憶にない。昔は西鉄電車が高架になっておらず土手のように盛り土した上を走っていた、そんなせいで土手の向こうの記憶が乏しいのかもしれない。とにかく人の記憶などあいまいなものだ。
川を渡る橋の少し手前を右に折れる。道の向こう側には駄菓子屋があったはずだが勿論今はもうない。近くの外車ディーラー大手のショーウインドーは健在だ。生き残る

Dagasiyaato

のは大手だけなのだろうか。右に曲がって進んでいくと昔ここらのどこか広い場所でラジオ体操を行ったと思い出すがそれらしい場所はない。変わってしまった。進駐軍の将校が接収して住んでいた角の家のところまで来る。今や背の高い建物ばかりで面影はない。昔住んでいた区画の中では自宅の裏にあったやや大きな木造の家がそのまま残っている、50年以上前そのままの姿に少々驚く、但し空き家のようだ。その他の家は全く面影がない。もと自分が住んでいたところはと見ると今は通信制の高校のビルになっている、初めて知った。通信制でありながら全日制

Uraroji

のユニークな高校で芸能人も輩出しているようだ。
昔の風情を感じるどころか驚きだけだ。昔歩いた道を行きつ戻りつジグザグに歩いて先の電車の駅に向かう。途中でおやという張り紙に出くわす。昔行きつけだった床屋だ、寄る年波には勝てず3月末で店を閉めました、とある。惜しかった、あとひと月早くここを散策しておれば床屋の主人か女主人と言葉を交わすことができたものを。喧嘩床屋と「うち」ではあだ名していた、いつも床屋夫婦が言い合いをしながら髪を切ってくれた。昔の思い出のままとなってしまった。80才は過ぎているだろうから店を閉めるのもむべなるかなだ。
駅に抜ける抜け道だった細い路地が拡幅されて立派な歩道になっている。変わり続ける。
高架になった駅を左に見て1丁目に向かう。途中で右へ折れて昔 通学のバス停までの経路として使っていた道を探してみる。すっかり様子が変わっていて道を見つけるのさえ苦労する。
しかしどんどん昔の記憶が蘇ってくる。路地の太さの感じが昔の記憶より細い。周りの建物の高さが高くなったためだろうか。
一丁目で終わりにしようかと歩いてきたのだが着くとまだ元気だしずんずん歩けて面白

Rakusui

い、もう少しと柳橋の市場に向かう。手前で少し休憩したくなったのと喉の渇きを覚えたのとでコンビニでアイスコーヒーを飲む。座れるところのあるコンビニは有り難い。
長くいるのも気が引けて飲みながら歩く。柳橋市場に来たのは小学校以来のような気がする。古い記憶だがあまり変わっていない感じがする。見るだけで通り過ぎる。昼下がりの時間帯では活気も少ない。
思いの外短くて市場を抜ける。ここまで来ると出発前に何気に見ていた楽水園の紹介が思い起こされて楽水園まで行って終わりにしようと想い始める。手に持ったアイスコーヒーの飲み残しカップが邪魔だが捨てるところがない。
住吉神社のところまで歩いてくる、通りは人は多くないが旅行者風の姿がちらほら見える。
住吉神社境内に入る、池にはマガモがいてつつじがきれいだ。広い境内を歩いて本殿のところに出る。5年前の正月に初詣に来て以来だ。

Suikinkt

5年前の混雑とは様変わりして落ち着いた雰囲気がある。中国からの旅行者の一行が過ぎていく。
昔 海に向いていたといわれる正面入り口から出て右回りに縁を巡って樂水園に至る。この地にあった明治時代の豪商の別邸庭園を再現したような庭園で建造は戦後だ。茶室で抹茶を飲む。ちょっと気が休まる、雰囲気はいい。そういえば水琴窟がここにはあって音が聞けると思い出して尋ねると、庭の石に水をかけて耳をすませば聞こえるという。早速試す。周辺の都市雑音がやや気になるが石に柄杓で水をかけて耳を澄ますとゴアンゴワンというかすかな音が聞こえる。フーン優雅な響きだ。博多塀などもじっくり見て近くのバス停から帰路に就く。何だか満喫した思いだ。

昔の記憶を思い起こしながら気ままに街を歩く、これは案外面白い。計画しないところがいい、そんなことが気ままにできる街だし、歳だ。
また新しい遊びを見つけたような気がした、果てしない時の流れは泳ぐように過ごしていくだけで楽しい。

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2018年5月 1日 (火)

2018年4月の福岡市南区周辺の野鳥及び旅先の野鳥


アトリがまだ残って公園に姿を見せた他帰れない様子のホシハジロ♀や、マガモもまだ少数残っていて冬鳥が帰りきらない。一方月後半にはオオルリやキビタキが現れた。ツバメも元気よく飛び回っている。いかにも春らしい。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2018.4.1 12:00 城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 カワセミ1、マガモ4、バン1

2018.4.5 am 北京 天壇公園 オナガ、カササギ、スズメ

Jyobich

2018.4.6 am 北京万里の長城八達嶺 ジョウビタキさえずり1、カササギ

2018.4.12 12:00  福岡市南区長丘周辺の野鳥 鹿助池:コサギ1、バン1、スズメ15、ハシブトガラス1、ドバト2 新市楽池:メジロ1、ドバト 中公園:アトリ6+、ハクセキレイ1、カワラヒワ2-3、ハシブトガラス1

2018.4.13 pm14:00 晴風力2-3 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:マガモ♀1,バン1、スズメ3-4 鹿助池:ハ

Kawarahiwa

クセキレイ2、カワラヒワ1、スズメ10+、ドバト4、ムクドリ7 中公園:ツバメ2、カワラヒワ1、ハクセキレイ1、(カワセミ?1)

2018.4.15 pm16:00 風力3 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:マガモ3(♂2♀1),バン2、カワラヒワ1  鹿助池、アオサギ1、ツバメ4-5、バン1、ハシボソガラス1、スズメ5、ムクドリ4  中公園:コゲラ2、ヒヨドリ1、シロハラ1、ハシブトガラス1

2018.4.18 10:30am 城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 バン1、マガモ3(♀2、♂1)、カワウ1、アトリ1、スズメ10、ハクセキレイ1、ドバト6、ハシボソガラス1

2018.4.19 7:00-8:30㏂ 福岡市南公園 リュウキュウサンショウクイ声、キビタキ、シジュウカラ、ヤマガラ声、キジバト、ヒヨドリ、シロハラ、ウグイス声
 

Cyudaisag

2018.4.20 am11:00 快晴風力1-2、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:マガモ2(♂1♀1)、鹿助池:チュウダイサギ1、コゲラ声1、ムクドリ2、バン1、スズメ  中公園:カワラヒワまたはアトリ声1、ムクドリ2、シジュウカラ3、キジバト1、ツバメ2

2018.4.23 15:00 曇り風力3-4、 福岡市南区長丘周辺の野鳥 新市楽池:マガモ2(♂1♀1)、バン1、ハシブトガラス15、ドバト2、スズメ10+、鹿助池:チュウダイサギ1、ハシボソガラス2、スズメ、バン声 中公園:マガモ2(♂1♀1)、コゲラ声、スズメ10+、カワラヒワ声、ツバメ4
Tubame
2018.4.25 10:30am曇り 城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ツバメ8、マガモ4(♂3、♀1)、ホシハジロ♀1、ドバト4、スズメ

2018.4.29 9:30-12:30 福岡市油山市民の森 イカル、ウグイス声、エナガ、オオルリ、カワラヒワ声、キビタキ、コゲラ声、シジュウカラ、ソウシチョウ、ツバメ、ハシボソガラス、ヒヨドリ、ホオジロ、メジロ、ヤマガラ、リュウキュウサンショウクイ、アオサギ1

Kibitk2018

 

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