春の渡り
渡りといえば蝶の渡りもある、朝散歩していてアッ!アサギマダラだ という日があった。これもすぐに視界から消えてしまって確信はいまいちだが、こちらのほうがそうだとの感じが残る。
確か植物園の入り口にアサギマダラが渡りの時期に現れていたがと植物園に出向く。花はと見るとまだまだだ、そうかこれはフジバカマだ、秋の花だ今の時期に咲くわけがない。
春の渡りはどこで見られるのだろう、とそういえば少し気になっていたところへfacebookに掲載されたアサギマダラが宗像の海岸に出ているという知人の記事が目に入る、これこれと心が動いた。
花についてはピロリジジンアルカロイド(PA)という成分を含む花の蜜に来るという。このピロリジジンアルカロイドがないとオスはメスと交尾できないというからオスにとっては深刻だ。春の渡りの時期に咲いてこのピロリジジンアルカロイドを持っているのがスナビキソウで海辺にスナビキソウが花を付けるところにアサギマダラが群れるということになる。大分県姫島でもスナビキソウにアサギマダラが集まる様子が新聞等でも紹介されることもあるようだ。但しアサギマダラは暑さに弱いので日陰の少ない浜辺では午前の早い時間までしか見られないようだ。その他ではスイゼンジナという黄色い花にも多く含まれるようで宗像では織幡神社の入り口に咲いているところがあるという、こちらは日陰もあるようで昼でもいるかもしれない。
秋の渡りの時期に咲くフジバカマやヒヨドリバナがこのピロリジジンアルカロイドを多く含むがこの他でもツワブキの花やキク科の花などもこれを含むようで飛来写真が紹介されている。ホルトノキの花にも来るようだからこの花にもピロリジジンアルカロイドがあるのだろう。このピロリジジンアルカロイドは人間の肝臓には毒になるようだ、強すぎるのだろうか。
とにかくそういうことかと、仕掛けが解る。宗像では越冬期に背後の山地で幼虫が見出されており渡りをせずにこの地で過ごす個体も大分あるようではある。渡りの途中の群れと一緒になったりもしているようで鳥のように縄張り争いがあるということでもなさそうだ。色々学ぶ。
とにかく出かける。着は昼頃になるので最初から浜辺で見ることは半ばあきらめていた。現地の海岸に着くとスナビキソウの花そのものを見つけることができない。ここらの花期はもう過ぎたのだろうか。facebookにあった海岸はもう少し先なのだがその途中に織幡神社がある。ここにいれば、とほのかな期待で立ち寄る。参拝者専用駐車場にクルマをとめて辺りを見回すと確かにネットで見た黄色いもしゃもしゃのスイゼンジナの花が見つかる。近寄って覗こうとするとアサギマダラがひらりと現れる。やっぱりここか、と刺激しないように遠巻きに見る。ここなら半日蔭くらいでそんなに暑くもない。2頭いる。あまり広くないのでそんなものだ。
自宅から50数キロあることもあり、とにかく出会えたのでここらで引き返すことにする。もう夏の日差しだ。帰りしに世界遺産となった新原・奴山古墳群をちょっとだけ見る。要するに古代の墓地で大した感動もないが結構いい土地が墓場で占領されているのが少し気になる。いい土地を大きな墓場にできるというのが権力の誇示だったのだろうが当時も抵抗感があったに違いないと思えてしまう。薄葬令で7世紀半ばから古墳の規模が制限されて古墳時代は終わりとなったのは当然と思われる。ともかく海上交易で強大になっていた勢力がこの地にあったことは明らかだ。
宗像というところは不思議なところだ。古代より大陸に向かう海上交通の要衝だったこととアサギマダラが住み着いてもいることと何かつながりがあるのかもしれない。いざとなれば海を渡って半島に逃げることもできる、その逆もある、そんな地であることがアサギマダラのDNAのどこかに書き込まれているのだろうか、何しろ卵で越冬したり親子の代を継いで海を渡ったりしている蝶だ。個々の命の期間は短いが引き継がれるDNAがしっかりと長い歴史を見届ける、そんな生き方をしている生き物なのだろう。大事な記憶は引き継がれているのに違いない。
人間もそんなワザができるようになれば実質的に不死の命を得るということが可能になる事になる、そんな日がこれからの長い人類の歴史には訪れることだろう。とても間に合わないが。命の渡りは様々なことを考えさせてくれる。
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