傘を治す
アルミの骨格ということもありいじりやすい。折れた部分の継ぎ手となる釘を適当に探してきて骨の両側の溝に押し込み周りのアルミをペンチでかしめる。これだけで一応使えそうな感じになった。ビニールテーを巻いて継ぎ手の脱落を抑えて完成とした。曲がりが残るがちゃんと機能してほのかな達成感がある。これで使っていてまた壊れればその時は買い直せばいい。
壊れたものは直せばいい、また壊れれば買い直せばいい、買うのが金銭的にためらわれるようになれば何かをあきらめればいい、単純な生活を送っている。単純な透明な生活、望んでいたものに違いない。
しかしまだまだ捨て去ることのできるものを数多く抱えている。
スキーはまだ捨てた気がしないが九州に引っ越してからこのかた全く滑れていない。この地でスローペースでのんびりしたスキーをやるなどは到底できそうにない。北関東にいた時のように自宅を出て1時間半でちゃんとしたスキー場で滑り始められて3時間も滑れば満喫して引き上げる、そんなことはもうできない。この地ではまともなスキーといえば遠くまで出かけて行って泊りがけでマイペースで一日滑って戻る、こうなる、一人ではできそうにないし付き合ってくれる人もいそうにない。スキーも捨てたも同然だ。
こんなに捨てたのに何故か日々が気ぜわしい。まだ見ていないもの、訪れていないところ、なんでも見たり訪れたりしたくなる。寿命というものを見つめ始めている、そう感じる。ちょっと嫌だがそうなのだろう。何にでも正面から向き合うようにしていかねば、そればかりを思っている。
それにしても、傘を治す、単純なことだが、捨てるべきといつも迫られている心地がしている時に一つでもささやかに押し戻せたという感触があって、どこかいい。
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