« フィッシング | トップページ | くじゅうの夏 »

2018年8月26日 (日)

アクロス弦楽合奏団の演奏会と連鎖する時間と

今年の夏はとりわけ暑い、赤道付近の温まり方がいつもより過剰でその余波が及んでいるとしか思えない。ハドレ―循環の下降風で形成される太平洋の高気圧がいつもより頑張って日本列島に南風を休みなく運んでいる、暑いわけだ。

 

Acros12

 

夏の暑い時期には冷房の効いたホールで音楽でも楽しむに限る。
8月は例年どおり今年もアクロス弦楽合奏団の定期演奏会が開かれたので勿論聴きに行った。会員向けに格安料金で聴けるとあってほぼ満員となっている。
5年前に初めて聞いた時にこれはレベルが高いと感じていた。メンバーはN響、九響、都響、日フィル他からの演奏者、国内外のソリスト、それにアクロスが育てた若手演奏家が加わり、質の高い室内楽を繰り出してくる。
今年はハープが東響から加わっていた。
プログラムはヘンデルのハープ協奏曲から始まる、どこかで耳にすることのあるメロディだ、ハープが正面に出て演奏される。巧みな指さばきで当然のように歌うように奏でられる、ハープ奏者はどうやって練習するのだろうか、ハープを自分で所有するのだろうが子供からは持つことはできまい、何時からハープ奏者の道を進むのだろうか、そんなことをつらつら思いながら聴いてしまう、ともかく明るい雰囲気から演奏会がスタートする。。
続くバッハのブランデンブルグ協奏曲6番はいい演奏だが曲がちょっと重い感じかなと思ってしまったものの、次のヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲はヴァイオリンの歯切れがいい。さすがと思わせる弦の響きが迫ってくる、気持ちが刺激される。ここで休憩になる。今年もなかなかの出来栄えだ。
休憩のあとはマーラ交響曲第5番4楽章となっている、マーラーというのでは管楽器パートはどうなるのか大編成になるかと思えば、弦楽合奏の曲だ、頭が出てくるとあああのヴィスコンティンの「ヴェニスに死す」だと、15年位前に訪れた欧州旅行のことを

 

Rido1

 

思い出していた。ヴェニスではこの映画の舞台となったまさにそのホテル(Hotel des Bains)に宿泊した。水上バスでリド島に渡る、五月では映画のような海水浴の光景はなかったが、品のいいロビーホール、しゃれた調度品、いかにもイタリアという雰囲気があったと蘇ってくる。まさに映画のままだった。朝はクロウタドリのうるさいまでのさえずりがあったことも思い出す。
10年位前にこのホテルはアメリカ資本に売られてその姿を変えてしまったらしく泊まれただけでもよかった旅だった。最近美少年ダッジオという言葉が朝ドラで図らずも使

Rido

われたりして、時々あのイタリア旅行のの残影が浮かび上がることがある。
時間と場所の流れの中に我々は生きている、あるタイミングというものがある、外しても外した代わりの時空が流れる。
この時の旅行は本当は前年の秋に行くはずだった、それがあの9.11事件が勃発して旅行自粛の波にのまれて次の年の5月に延期とした、その旅行だ。あらゆる事象が糸のようにつながっている、どうしようもない連鎖だ。連鎖の果てが今だ。

演奏会でただただ椅子に座って大人しく聴いていても自由な想いが次々に流れていく、安心して浸れる演奏のなせる業なのかもしれない。

 

 

 

 

 

演奏はこの後バルトークの弦楽のためのディヴェルティメントで終わり、アンコール2曲で閉じられた。いつにもましていい演奏会だった、すこぶる個人的な感傷があるのかもしれないが。

 

 

 

この合奏団はいつまで続けられるのだろうか、CD化してくれないのだろうか、会場を後にしながらそんなことも思っていた。

|

« フィッシング | トップページ | くじゅうの夏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アクロス弦楽合奏団の演奏会と連鎖する時間と:

« フィッシング | トップページ | くじゅうの夏 »