群馬防災ヘリの墜落
暑い日が続いてのんびり家の中で過ごしているとテレビがヘリ墜落のニュースを流す。
また上越エリアでの墜落だ。昨年11月に上野村にヘリ墜落事故があったばかりだ。山岳へりは安全運航が難しいのはその役割から宿命的なのかもしれない、とっさにそう思う。
今解っている範囲の事実を整理してみる。、
8月10日/2018年 午前10時頃 群馬県と長野県の県境である渋峠近くに群馬県の防災ヘリが墜落した。搭乗者9名全員死亡。
機体は JA200G 、ベル412EP で製造番号は36132、登録は1996年12月、「はるな」と名付けられていた。機体の操縦・整備は整備担当会社である東邦航空が行いパイロット・整備員は同社から運航者である群馬県防災航空隊に派遣された形となっているようだ。群馬県防災航空隊は群馬県の組織で1997年1月1日に発足、今回の事故機「はるな」1機で活動していた。隊員の実体は県内消防本部と東邦航空からの要員で構成されており計15名の態勢であった模様(wikipediaによる)。
報道によれば「はるな」の総飛行時間は7000時間を超えたあたりであったという。
機体:ベル412EP:ベル社製双発タービンヘリコプタ(乗客13名)エンジンPT6T-3(900eshp )x2、最大離陸重量5397kg,ローター直径14m ベル412シリーズは民間・軍用として世界的に多用されているヘリで長年改良を重ねており機体としては技術的に安定していると思われる。
機長は飛行時間5000時間のベテランパイロットと東邦航空は説明している。昨年春から群馬県防災航空隊に派遣されている。
搭乗者は群馬県防災航空隊員として機長、整備士各1(東邦航空からの派遣)、隊長、隊員各1 の4名に吾妻広域消防本部の職員5名の総計9名であった。
群馬県が魅力ある山岳アクティビティとして整備推進してきた「ぐんま県境稜線トレイル」のルートが全線開通したのを記念したセレモニーが翌日開かれるのに合わせて、全ルートを空から視察し救助活動が必要になった時に備えておく というものであったようである。「ぐんま県境稜線トレイル」は北の谷川岳エリアの土合から南は四阿山の南の鳥居峠までに至る全長100kmの稜線道でこれまで未開通だった野反湖北のエリアの三坂峠―白砂山の開通に合わせて8月11日に全通セレモニーが予定されていた。パンフレットや紹介ビデオを見ると1500m-2500mの山を連ねるロングトレールは景色も良く花も楽しめそうで山歩きとして魅力的に見え、行ってみたくなるコースとなっているように感じる。群馬県が力を入れるだけのことではあるようだ。
10日は午前9時15分に群馬県防災航空隊の4名が乗り込んで群馬へリポートを出発、途中 西吾妻福祉病院のへリポートで吾妻広域消防本部の職員5名を乗せて9時28分に離陸、南側からコースの視察に入った模様。
「はるな」にはヘリコプター動態管理システムが搭載されていて20秒ごとに飛行データがイリジウム衛星を経由して消防庁のサーバに送られこれにつながっている各自治体のパソコンでリアルタイムにヘリの情報を見ることができる。今回はデータ送信が途
切れて40分経ってやっと群馬県防災航空隊事務所の職員がこれに気づいたという対応遅れが指摘されてはいるが、事故に至る飛行情報が残されているのは貴重だ。
地図に飛行軌跡データ(赤)を重ねたものは添付の図のようになる。軌跡データはYoutubeのテレビニュース報道に写されていた動態管理システムのデータである。9時57分頃渋峠(標高2172m)を通過して群馬県側に入り尾根を越えて暫く飛んだあと急な180度旋回をして尾根にまた向かいそこでデータは途切れている。墜落現場は10時01分のデータが途切れた地点から北西に約1km+のあたりという報道に従うと図の丸で囲った横手裏ノ沢の南側斜面ということになる。
急旋回とその後に速度の急減急増があったと報じられているので上昇反転の様な曲技的なマニューバを行っていたことになる。9人も乗ったヘリがこんなマニューバをやるというのは何があったのだろうと思う。
一つには進行方向に雲底が迫っていてこのままではまずい、囲まれそうだ、直ぐに引き返そうと小さな上昇反転を打ったことが考えられる。
当日の気象状況は衛星写真(可視画像)を見ると中部山岳地帯には低層雲が地面に張り付く、山岳霧が各地に出ている。事故地点付近では風は弱いが10時頃には高度2000m-3000m(800-700hp)に広く湿気が入ってきており霧が出やすい条件になりつつあった(MSM予測データ、湿数の図)。霧発生の目撃者談もあるようだ。群馬側なら大丈夫かと峠を越えても改善されずむしろ悪化して、少しでも視界がとれる元来た方へ引き返そうと無理なマニューバをしたのではなかろうか。
無理がたたって10時1分の段階で機体の一部が立ち木に接触して少な
くもアンテナが壊れデータ送信が停止し、多分ローターも損傷を受け、なんとか体勢を立て直そうと努めたが叶わず1km先の地面に激突したということのように思える。飛行コース上のどこかに接触痕が見つかればもっとはっきりしてくるだろう。
こんなきつい気象条件で飛行を続行してしまったのは何故か、翌日のセレモニーというのが心理的圧力になっていたのかもしれない。台風13号の接近で8日、9日と現地では悪天候が続き、なんとか10日には飛ばねば、ということだったのかもしれない。
ベテランパイロットが自分の庭の様な空域で事故を起こす、またかと思う。事故をパイロットミスと片付けては決してならないように思える。県・消防の体制も含め運航のやり方・手順全体を根本的に見直し、ゆくゆくは機械的に安全を判断する装置を開発するという、システム的対応が望まれているように思えて仕方がない。
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