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2018年9月30日 (日)

五島に旅するーその1

以前から五島が気になっていた。カクレキリシタンの歴史が世界遺産となったこともあるがハチクマの秋の渡りの唯一の出口が五島であることが気になっている最大かもしれない。更には古事記に記載の国産み伝説の中でイザナギ・イザナミによって2回目に作られた6つの島の中に五島列島とその南にある男女群島の2つの島が入っていて古代の海の交通の要衝だったことを古事記は図らずも伝えている、どんなところなのだろうか、そんな興味も大分あった。

ハチクマの渡り時期に合わせて9月の2つ目の連休の終わった次のあたりが平日で

Gotomap

行きやすいかとハチクマの観察場所である大瀬埼に近い玉之浦の民宿を2泊予約し、往復は博多港から福江港に向かうフェリー船とした。海の感じが欲しかった。海を眺めながら感じたかった。島内移動にはレンタカーを予約、また着いた日はキリシタン遺跡・島巡りのツアーが五島の観光協会で企画されていたのでこれも事前予約した。ハチクマの渡りのピークは日の出から数時間の間で観察は2日目にならざるを得ない、初日は観光とした。

肝心なのは天気だ。今年は船旅が悪天候に見舞われるのを3度経験している、うち2度はツアーキャンセルを余儀なくされた、今回警戒すべきは台風だ。祈るような気持ちで2週間くらい前から細かく天気をチェックしていくとどうやら嵐は予定の旅行の後になりそうだ、それでも北に秋の高気圧があり南側が低気圧となって旅行予定の辺りは晴れてもかなり風が強くなりそうではある。7-10m位の風になりそうだ。東風だからタカの渡りには好都合でタカにはいいのだが観察にはつらくなるかもしれない、また島めぐりの船は小さそうだから欠航となるかもしれない、フェリーのほうは風速20mまでは運航するというからこれは動きそうで行くことはできそうだ、その他にも色々気をめぐらしたがともかく風が最大の懸念事項だった。

往きのフェリーは23時45分博多港出航の野母商船の太古という新しい船でグリーン寝台というのを予約した。向かいが仕切り壁になっている上下2段ベッドを専用使用す

Gbed

る形だ、昨年小笠原航路で乗ったおがさわら丸の特2ベッドに近いがセミ個室というほどの独立性はない、しかし1個1個がカプセルホテルのようになっていて安心感がある。テレビもあって十分な感じだ。船内の施設は(使わなかったが)シャワーもあり、トイレも立派で綺麗だが、食堂がないのが残念な気がした。8時10分に福江着なので朝食は船内でとることになるがカップ麺に冷凍おにぎり・チキンを自販機で買ってカウンターで食べるほかない。もう少し何とか、と思ってしまう、ちょっとおしい。


Sunrise

上五島には4時頃着いて後は五島列島の島の間を縫うように進むことになっている、6時頃に起きだして日の出を見る、これがいい。風は厳しくもなく甲板で過ぎゆく島々を眺める、とにかく島だらけだ。乗客は寄港地ごとに次々と降りて静かになっていくが、最後の寄港地の奈留では通勤の風情の乗客が大勢乗ってくる。大事な島の足になっているようだ。

福江港に着くと早速レンタカー屋が待っていて事務所まで運ばれる。カースタというレンタカーチェーンでガソリン

Douzaki

スタンドが兼業でやっている。足掛け三日48時間のレンタルでマーチがほぼ1万円と安い。十分な感じだ。
島めぐりキリシタン遺跡ツアーの方は集合が11時45分ということもあって午前中は福江島の東側を少し走る。まずはキリスト教解禁後五島で初めて建てられたという堂崎天主堂へ向かう。県道162号から脇道へそれて天主堂への道を進むと途中で車両はここまでとの表示が出て少し手前の駐車場にクルマを置いて、歩いて到達する。立派な教会で五島のキリスト教の歴史の展示館にもなっていて潜伏キリシタンの貴重な展示もある。内部の撮影はできない。建築建築には有名な鉄川与助も施工者として参画しているという。世界遺産の構成要素ではないが五島のカトリック教会としては権威があった教会のようだ。福江島の教会を代表する堂々たる建築物だ。

Ishidaj

後は石田城跡と武家屋敷通り景観を巡る。駐車場探しに苦労したが探せば何とかなる。城は石垣と堀だけが残り本丸跡には高校がすっぽり入っている。離島での教育の重要さは島のあちこちで遭遇する小学校の廃校跡でも感じてしまうが、昔から未来につながる教育が島の最大の関心事だったのだろう。

島めぐりキリシタン遺跡ツアーは昼前に予定通り始まってまずは隣の久賀島(ひさかじま)に向かう。船は海上タクシーで狭苦しいが速い。心配した波は島に囲まれているためだろう、大したことはない。しかし窓も綺麗でなく景色がよく見えなくて船の楽しみは全くといっていいほどない。残念だ。
久賀島は江戸時代に潜伏キリシタンが九州本土から開拓民として移住して住み着いたとされる。島全体が世界遺産の対象になっているという。ここではタクシーで移動し

Gotokzr

て旧五輪教会が元々建っていた場所にある浜脇教会を見る。更にタクシーで移動して古民家を改修したところで昼食になる、結構忙しい。食事の後はまたタクシーで移動して牢屋の窄殉教記念教会という明治初期の解禁前の弾圧(五島崩れ)の地を見た後 旧五輪教会にむかう。五島の世界遺産のパンフレットには必ず出てくる教会だ。タクシーは離合不能の片側が崖の砂利道をしばらく走るが自分ではとても走る気がしない道だ、離合はバックしかないという。
それでも到着した降車場所からは坂を下って海辺までの未舗装路を500m位歩く必要があり、特に天気が悪いと
旧五輪教会は陸路からアプローチするのは難しい場所にある。潜伏キリシタンだけのことはある。

Gorin

やっとの思いで着いた旧五輪教会は木造のこじんまりとした教会だが内部は所謂蝙蝠天井になっていて美しい。明治14年に建てられたがその後この五輪の地に移築されている。五輪(ごりん)の名は集落の名前でこの集落には五輪(いつわ)姓が多く、歌手の五輪真弓の父方もここの出という。野球選手の野茂英雄も五島の奈留島にルーツがあるという話もあり、思いもよらず五島をルーツにして羽ばたいている人が多いのに気づかされる。乗っ

Gorin2

てきた野母商船の野母の名前もずーと辿れば五島に行きつくのかもしれない。
旧五輪教会の近くの船着場からまた海上タクシーに乗り奈留島に渡る。個人では組むのが難しいツアーだ。
奈留島では江上天主堂とその集落が世界遺産の対象になっていて江上天主堂を見る。ここも潜伏キリシタンの集落だったが明治になってカトリックの洗礼を受けている。小さくてきれいな建物だ。湿気除けに高床になっていたり

Egami

ステンドグラスが手書きだったり細やかな配慮がある。木造の柱の木目は特殊な技法で描いたものだという、美しいがとても描いたとは思えない。竣工は大正7年で設計施工はやはり鉄川与助だ。

これでツアーは終わりまた海上タクシーに乗って福江港へ戻る。やはりよく見えないガラス越しにしか外は見えない。寝不足なうえに窮屈な船に揺られることもあって何だか疲れた。海の景色が楽しめればなあとまた思う。
それにしてもツアー参加者11名は北は秋田から全国各地の来訪者となっているのに少し驚く。全国区だ。その内外国人も混じるようになるのかもしれない。こんな見せ方はまだ始まったばかりで暫くは色々と試行錯誤が続くのだろう。見るところが多い島のように感じる。

港の駐車場に置いておいたレンタカーで、玉之浦の民宿まで走る。島の道には不安があったりするものだがここは問題なく走れる道でクルマも少なく走り安い。1時間ほどで宿に到着する、18時過ぎになってしまう、明日は5時半出発目標で忙しい。


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