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2018年9月14日 (金)

庭にも同じく命の循環が

このところ庭木の伐採にいそしんでいる、というか少々やりすぎて筋肉の動きがぎくしゃくしている。
確かに歳なのだろうが、それなりに体の準備をして取り掛かるべきだったのだろう。少々の運動より大分きつい。

Kinoe1

一番の眼目は伸びすぎたモチノキだ。2本あってその内高い方は5年位前に引っ越した時既に5m以上の大木になっていて(1番目の絵)インターネットで依頼した植木職人に取りあえず短くしてもらっていた。しかし数年たつと切り口から延びてきた枝がまた元のような高さまで及び切らなければと思っていた、前頼んだ植木職人がもう仕事をやめたのか電話しても通じず、これ位なら自分でできなくもないと切り始めた。上に向かって伸びている枝が6本くらいあって高さはあるが夫々はまだ細くのこぎりで切るのはできそうに見える。脚立を用意して切り始めるがいい位置で切れるわけでもなく結構疲れる。低めの枝を手始めに2本切ってみる、まあ切れる。一旦作業を止めて切れた枝を燃えるゴミで出せるようにゴミ袋サイズに切り刻む、太目の枝は電動ノコを持ち出して切っていく。その後暫く雨の日が続いて雨もほぼ止んだかと思う日、最も長く上に延びている枝を切る。脚立に上って切るが位置があまりよくなくかなり疲れる。枝も結構太い。倒れるギリギリまで切り進んであとは望む方向に向けて高枝切狭で押し倒す。兎に角切れた、かなりへとへとになる。後は電ノコで切り刻んで袋に入れる、太い枝だけあってこれも結構疲れる。
また数日雨が続いてやっと上がったところで体力も回復したので残りの3本を切る。

Mochinoki

この間にもう一本の方のモチノキの伸びた小枝の幾つか(左図)を小雨の中で切ったりもする、とにかくほっておくとろくなことにならない。残った枝3本は細いと思っていたが切り始めると結構太くて切りでがある、甘くない。最後に最も太目でやや横に延びている枝を切り始めると疲れもたまってなかなかはかどらない。やっと切り落とせそうになってまた高枝切狭で押すがツタが絡まっていて思う方向には落ちず道路側に倒れて引っかかる、どうしようもないので通行がないころ合いを見計らって見張りを頼んで道路に落としてしまう、とにかく切り終えた。
2-3日は体のあちこちが少しおかしい。多分準備運動もせずに結構厳しい肉体の使い方をしてしまったからだろう。

庭を見渡すと自分の植えたのではない木ばかりが目に付く、宇都宮の家に長年植え育ててきた木や草を全て放棄して引っ越したのがいつも心に引っかかっている。今の家の庭は越してくるずっと前に庭師がそれなりに企んでこしらえた日本庭園だ、自由な感じがしない、新たに植えられる植物は場所が限られていて植えてもバランスが悪くなる。いっそすべてを植え替えてしまいたい庭だが体力的にもそれはできないし頼めば結構な出費になってそこまでのことはできない。
なんとはなく意に沿わない庭と付き合っていくのは楽しいものでもない。ゆっくりでも変えていかねば、そう思い続けている。生きてるとこんなことばかりだ。


少し前、インスタにアゲハ蝶それも欧州には普通だというキアゲハではなく日本らしいナミアゲハの写真をきっちり撮ってアップしたいと思っていたところへちょうど庭にナミアゲハが飛んできた。暫くひらひらしていたがうまい具合に羽を開いた状態でツ

Ageha

ル枝にとまってくれた。急いで写真を何枚か撮ったが蝶の方はそれからも飛び去る風でもなく何となくひらひらしている。どうやら産卵場所を探しているようだ。ナミアゲハは柑橘類の樹に産卵する。わが庭にないわけではないが、と思ってそのままにしていた。2週間くらいたって種から育てている小さなポッドの夏ミカンにアゲハ蝶の幼虫がいるのに気付いた。こんな小さな木ではその内全部の葉が食べられて枯れてしまう。困った。キズの樹なら大きくて耐えられるかもしれないとキズの若葉を摘んできて幼虫に与えるが柑橘類でもキズは全く気に召さないようだ。どうしようもなくなって殺してしまうのは気が引けて幼虫をキズの樹の近く

Youcyu

に運んで放ってきた。多分生きては行けまい。またポッドをもとの位置に戻して様子を見ているとナミアゲハの成虫がひらひらと飛来した。親の様だ。なんとなく私の子供にひどいことするじゃないかと怒ってつっかかってくるようにみえる。しばらく周りを飛び回って気が済んだのか飛び去って行った。

小さい庭だが命が循環している、小さなドラマがある。
DNAサイズからみればヒトはキヌガサソウに遥かにかなわない、自分は何かの間違いで蝶になっていたかもしれないし夏ミカンの苗になっていたかもしれない、或いはモチノキだったかもしれない、ただDNAに書かれた暗号がヒト仕様だったに過ぎない、どの命も命は平等だ、そんなことを思ってしまう。
庭の自然からも学ぶことが多い。

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