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2018年10月29日 (月)

オルフェオと井筒と流れゆく時間

毎年秋には福岡市で、規模はそれ程大きくないが、古楽の音楽祭が開かれる、今年

Orufeo

はアクロス福岡でモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」を見た。1607年初演のバロックオペラだ。原語はイタリア語だが勿論字幕が付く。オーケストラボックスはなくて管弦楽団も舞台の中央にいて宮廷での演奏会もこうだったのだろうという形式で演じられる、舞台装置は殆どない。題材はギリシア神話にとっている。太陽神アポロの子オルフェオは蛇に咬まれて死んだ妻エウリディーチェを黄泉の国から連れて帰ろうとするが振り返ってはならないといわれていたのをつい振り返ってしまい、連れて帰ることができなかった というのが大雑把なあらすじだ。
単調な展開というのもあるが歌声と曲のうねりにどこにも悲劇的なあるいは劇的なところがなく淡々と進行していき、とにかく眠い
寝不足もある。男声はカウンタテナーで女声のような高さの音域で奏で、対する女声と音域が近く気持ちのいい音域ばかりを使って曲が構成されている、それが眠りを誘う気もする。リラックスする響きだからだろう、宮廷で演じられていた時代でもこれは眠かったに違いない、そう思う。
ともかくこのまま寝入ってしまえばどんなに気持ちよかろうという心地だった。

このつい5日ほど前に能を久し振りに見たばかりだったが能のほうが遥かに目が覚める。

Idutu

こちらのほうは住吉神社の能楽殿という能舞台で演じられたのをひょんな経緯で見に行ったのだが住吉神社の境内の中にこんな立派な能舞台があることなど全く知らなかった。この時は宝生流で「井筒」が演じられていた。なかなかの微妙な男女の感覚を見事に能に落とし込んでいるところがいい。
福岡市にはこのほかにも大濠公園にある能楽堂が知られていて2つも本格的な能舞台があるとは、と思ってしまう。立派な文化都市だ。


諮らずも西洋と日本に伝わる古典舞台芸術を続けて見たことになる。数百年の時代を越えて音曲で演じる舞台がいずれもそのままの形で残されて今でも人の心に響くものを与えてくれる、そこにちょっとした驚きを感じてしまう。永遠の命というものがあるとすればこのようなものかもしれない。この先どこまで伝わっていけるだろうか、1000年位はいけるだろうか、あるいはひょっとしたら1億年位も伝わるかもしれない。目の前を滔々と流れゆく時間が感じられてきてこれに手を振って励ましたくなる。人の心はそうは変わらない。

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