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2018年11月27日 (火)

村上龍の「半島を出よ」を読む

もう何年も前から、小説はどんなものであれ何かを読んでいた方が精神にいい、という確信を持つようになっている。現実にべったりつきすぎてはいけないと、ということかもしれない。
久し振りに村上龍の小説を読んだ。半島を出よという題名だ。もう13-4年前に書き上げられた作品で文庫版がたまたま図書館の返却済みのラックに入っていたのが目についた。パラパラと見ると始めの方の北朝鮮兵に福岡ドームが攻撃されるところがちょっとリアルでフーンという気持ちが湧いてきて借りることにした。上下2冊に分かれていて結構厚い。上巻を兎に角借り出しては見たものの あれやこれや遊びまわってしまって読み始め

Hantou

ないままに貸し出し延長を繰り返してしまう、これは時間を作ってでも読むしかないかと思い切って
読み始めた。

2005年出版の長編小説で2011年春の福岡を舞台にした近未来小説という形だ。北朝鮮兵士の語り口から物語は展開していくところも他にはない。
北朝鮮の反乱軍と称する部隊が福岡市を占領するという設定になっていて形態は全く違うが2011年春に日本にとっての大事件が起こるというところまでは図らずも予測したことになっているのも興味深い。失われた10年を過ぎても続く終わりの見えない低迷は大きな形での破綻に導かれるのは避けられない時代だったということだろうか。

小説として眺めると読み慣れた文学としての小説とはだいぶ違っている。あとがきを読むと韓国で脱北者からの聞き取りを重ねたり元(及び現役?)経済官僚や自衛隊経験者、ミリタリーに詳しい人達の強力な支援を受けたり、その他調査に何人もの人が協力して知恵を貸してくれた結果出来上がった本だと知らされる。参考文献も膨大だ。
北朝鮮の状況の描写、軍の描写が詳細でリアル感があるし、武器の細かい描写も詳細にわたっていて、ついていけない感情さえ引きおこす。日本の官僚機構の危機に対する対応も本当らしさがある。全体にうっとうしくなるくらいに細かい描写や知識の披露にこだわっている。だから文章の分量がかさ張ることになる。しかし何となく文学的とはいいにくい。事実を描写する形での説明が長すぎるともいえる。それがわずらわしくなる。
福岡ドームやヒルトンシーホークなどが舞台の中心で福岡市に住んでいると出てくる場所が身近で面白い。但し侵入した北朝鮮反乱軍が住民票コードを入手すれば住民全員の情報を銀行預金まですべてわかる設定になっているがそこまで住民票コードは普及せずにその部分はやや大げさだとか、経済的に日本が大きく凋落した状態になっているという設定は殆ど当たっていないとか、近未来とはいえ予想しきれていないところが、いくつかある。色々とやりすぎ感がある。
しかし読み終えると結構面白かったという読後感が残る。村上龍は反米愛国というのが好きなのかもしれないそんな感想も抱くし、どこか「愛と幻想のファシズム」を思い起こすところがあったりもする。構築された世界を楽しめたという余韻が残る。

こんな文学らしくない小説も時にはいい、次は何を読もうか。

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