芦屋の遠賀川に歴史を感じる
ひと月前くらいにクルマを定期整備に出したら、どうこういうほどではないがバッテリーがやや充電不足気味のようだ、遠出少ししたほうがいいですよとやんわり忠告された。確かにこのところあまり走っていない。歳をとるということは何事にも億劫になる。いいことではない。
それではと、遠出というほどではないが、遠賀川河口の芦屋近辺に出向くことにした。1か月くらい前コクガンが来ているとの情報を受けながら体調不良で出かけられなかったところだ。鳥はもういるはずもないが海岸の洞窟や芦屋釜の歴史なども面白そうに思えた。片道60km位で高速を使うほどでもあるまいと下道で行く。でもやはり結構疲れる。
芦屋着はランチタイムの時間帯になってしまったのでまずは海鮮料理店に直行する。コクガンが出たと教えられた洞山のすぐそばにある。店に入るとすでに順番待ちとなる、かなり流行っている店のようだ。海鮮丼と天ぷらのついたメニューを頼むが懸念した通りに量が多い。若者向けのようだ。次にくるならそばかうどんと天ぷら盛り合わせにするのが適当のように見える。この店の看板メニューらしかったのもあり海鮮丼を久しぶりに食べてみたかったので選んだのだがちょっと無理した感じだ、もっと素直に生きて行くようにせねばとまた思ってしまった。魚は新鮮だが感動はいまいちだ。
食べ終わって車を少し動かし漁港の駐車場に置いて洞山を見に行く。海蝕洞穴でネットの写真では見栄えがいい、インスタかフェイスブック向けかな、という期待がある。
小さい半島のようになっていて磯の岩の上を歩いていくのだが歩きやすくはない。数分で洞穴が見えてくる。目立たないようにコンクリートで補強してあるがやはり危ないようで洞に入って通り抜けることはできない。玄海国定公園にある玄武岩の特徴ある海蝕地形の一つとされてる。
感動は別にない、フーンという位だ、しかし一見の価値はある。半島部の先端がこのあいだコクガンが出たとされるところだが足場が悪く遠目に見てもウミウが1-2羽いるくらいだから端まで行くのはパスして小廻りに周って駐車場に戻る。鳥はウミウの他はイソヒヨドリ、マガモの群れ、メジロ位だ。しかし海辺を散策するのは足場が悪くても鳥が少なくても気持ちがいい。心が広くなる気持ちになる。
結構時間を費やしたので後は近くの芦屋釜の資料館を見て帰ることにする。
芦屋釜というのは茶の湯で名前は聞くがどういうものかきちんと理解していなかった。
資料館には展示部分と広い庭があり抹茶も飲めるようになっていてゆったりと時間を過ごせる。釜の工房もある。元は昔の大名の庭園かと思えば聞くと例のふるさと創生一億円をコアにしてこの施設全体を更地から全く新たに作ったという,ちょっとした驚きだ。
芦屋釜そのものは南北朝時代にこの地で 始まって技術的に確立され 室町期には京都の茶人に愛されるようになり有名な茶釜となったとされている。現在残る重要文化財の茶の湯釜9点のうち蘆屋楓流水鶏図真形釜など8点までが芦屋釜となっている。その後庇護していた山内氏が滅亡したのもあって江戸初期にはこの地の製造はすたれてしまったという。職人は各地に散ってそれぞれに茶の湯の釜を作っていったらしいが芦屋釜の技術そのものは長らく途絶えてしまっていた。現在ではふるさと創生事業としてここで芦屋釜の復元が進められ復興釜が作られるに至っている。砂鉄から薄い厚みの釜を作るところが技術のキーのようだ,現代でも再現は容易ではないらしい。。
近年ここで作られた梵鐘の制作過程の展示もあり、そういえば梵鐘と茶釜は似ている、元はお寺の鐘を作る技術がこの地にあって芦屋釜はそれから発展させたのかもしれないと思ってしまう。調べると国宝の京都妙心寺の梵鐘は698年制作で筑前糟屋評造の銘があり北部九州で梵鐘が作られていた歴史にはかなり古いものがあるようだ。遠賀川河口は砂鉄が取れそこが発祥のそもそもの元かとも思える。
広い心地のいい庭をのんびり堪能してお茶を飲んで帰る。なかなかのショートトリップだった、これ位の旅がいい。それにしても遠賀川には神武東征の出発点にふさわしく長い時の流れを感じさせるものがある、それが心に残った。
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