マーラーの交響曲3番を聞く
台所の水栓及び水漏れトラブルは一応終息したが、床がたわんでフワフワしてしまうのはまだ悩ましかった。自分でやる応急手当も限界になってリフォームを依頼する他ないとネットから適当かと思われる所を探し出しつい3日前にやっと工事も終わった。台所の床の張り替えになるので食事が家では作れず毎日昼と夜は買ってくるか食べに行くかという生活が3日も続いた。少々疲れる。2日で終わる予定が古い造りということもあって色々厄介で3日目午前までかかってしまいその日午後の九州交響楽団コンサートの後の夕食も外で、ということになった。しようがない。
今回の九響コンサートは定期公演で令和になっての初回という。出し物はマーラーの交響曲第3番だ。途中休憩なしで100分の演奏となる。最長の交響 曲としてギネスにも載せられていたというしろものだ。席は買うのが遅くなったのもあって前から2列目右手と見上げる位置で全体が良く見えない。オーケストラ+合唱+独唱で舞台が目いっぱい使われるためか最前列の第二バイオリンは舞台のへり近くになってすぐそこに見える。迫力は随分とある。
客席は満席だ、とにかく始まる。第一楽章はマーラーらしい金管の響きがあるが何しろゆったりだ、疲れもあって直ぐに眠くなる、どうしようもないことだ。そのうちどうしたんだろうという位ハチャメチャな旋律が出てきたりして目が覚めるがまた眠くなる。長い第一楽章がやっと終わるとやはりゆったりした第2楽章に入る、これも眠い。工事で不規則な生活リズムとなった疲れがあるようだ。音の海を漂うように聴いている。3楽章も半ばくらいからどこからかラッパの響きが加わってくる、舞台裏から鳴らしているようだ、趣向が面白い。しかし とりとめのない曲のようにも思えてくる。音楽は所詮とりとめもないようなものなのだろう、プロパガンダに堕さないまともな音楽は結局そういうものかもしれない。
第4楽章から歌が加わる。メゾソプラノ独唱でツアラトウストラはかく語りきの一節が歌われる。ツアラトウストラとはゾロアスターのことだと今読んでいる「サピエンス」の中で知った。何だそうだったのかと思う。西洋哲学はキリスト教のくびきから逃れるのが大テーマになっているように思える、そうですか、という風にしか思えない神が死んだといわれても。ニーチェもゾロアスターを持ち出さないと出来なかったということのようだ。
しかし少なくとも目は覚めてくる。
マーラーの響きは身近には「ゴッドファーザー」のようであったり「ベニスに死す」であったりする。「ベニスに死す」は現地の舞台となったホテルに宿泊したということもあって、マーラーというとベニス・リド島の風景が頭を巡る。映画に使われたのは第5番だが響きは同じだ。浸るように流れるマーラーに身を任せて頭の中に巡りくる景色がえも言われない。いつまで続いてもこれはいい。と思っていると終わりが来る。終わったところで指揮者も演奏家も余韻に思いを込めている時に遮るようなブラボーの声があって一気に興ざめする。間髪を入れずブラボーと言いたいばかりにここまで聞いてきたんじゃないかと言いたくなる、情けなくなる。
いい演奏だった。万雷の拍手だがアンコール演奏は無論ない。
音楽を聴くのはすこぶる個人的な体験なのだなあとまた思ってしまう。それぞれの想いのマーラーがある。それだけかもしれないがそれがいい。
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