放送大学で中国語を学ぶ
放送大学で1科目だけ学ぶということを数年続けている。今回は「中国語1」を選択した。
英語をはじめとするフランス語やドイツ語などの欧州の言語はどこかそれぞれが相通じるところがあるが、隣国中国の言葉は一体どうなっているのかという素朴な興味がその学ぶ原点だ。言語は文化の歴史そのものを背負っている。偉大な人類の遺産だ。知りたい、そこが学ぶ気持ちのコアにある。 学び始めるとすぐにこれは大変な作業だと解る。一番の難点は、欧州系言語のように文字を読むルールを覚えてしまえば意味はさておき声に出して読める、ということがない。漢字、それもワープロソフトではすぐには打てない簡体字の羅列からどう読むか覚えなければならない、というあたりだ。ピンインと呼ばれるローマ字表記がテキストには併記されていてピンインの発音を覚えれば欧州言語のように発声ができることにはなっているが、ピンインがどこでも併記されている訳では無論ない。インターネットの中国のページはピンインなどでは書かれていない簡体字の羅列だ、漢字を見て発音できるようにならないと先へ進めない。発音そのものもとっつきにくい。
まずピンインで読めるようにはならないといけないがこれも難しい。
ピンインではbとかdと書かれる発音は日本語ではブとかデと濁るように思うが中国語では基本は清音即ち濁らないというのだ。ブでなくてプとなる。Beijingと英語表記してペキンと読むのもそこから来ていてベイジンと英語では発音するのが英語なまりということになる。
ところが教材についてくるCDをよく聞くとdeというピンインをデと発音しているところが結構ある。質問箱でこの辺りのルールがどうなっているのか担当講師に聞くと弱く発音する音(「軽音」と称される)では濁った音になるのだという。dには濁った音が内在していて気を抜いて発音するところではそれが出てきてしまうという様な感じだ。全く一筋縄ではいかない。
清音ベースだから、チャチチュのような発音やシャシシュのような発音がどうしても多くなる、それが中国語らしい発音を形作っているように思う。
読み方が分からないときはチャチチュかシャシシュをあてると当たりになることが多いようだ。
声調というのをまず覚える、1声(高くパーンと出す)2声(下から上げる)3声(だみ声のように抑える)4声(上から下げる)の4つがあってピンインにマークしてある。テレビの講義で見ているとなかなかこれがまねできない、日本語とは全く違う発音だ。母音では2重母音(9個)、3重母音(4個)というのがあって母音も日本語の倍以上ある。
主語述語等の語順は英語的と聞いていたがそうでもなく日本語のような並べ方が多いように感じる、しかし動詞と目的語は英語的で逆になる。
疑問文は英語のように逆順にするのではなく、yes/noを聞く疑問文は最後に吗?を付けるだけだ。面白いのは正反疑問文というのがあって例えば 来ますか?というところでは 来不来 と 来るの来ないのという風に表現する、このような表現が結構多い。yesという単語はなくて yesなら 来 noなら 不来 と答える。
博多弁の と と似た表現もあって 的 構文とよばれる。どこからきたと? というように 你是从哪儿来的 と 的 を最後にくっつける といった具合だ、強調とされるが似た感じだ。考えれば日本語の表現も妙な癖がある、中国語から来たのがあるのかもしれない。
飲んだ、というような完了形は 了(le)をつける、飲んでいる というような持続を表すには 着(zhe) を付ける 、飲んだことがある のような経験を表すには 过(guo) というように文字を足して状態を表すところは日本語に通じるところがある、欧州の言葉とは違う。
発音できれば言葉としては日本語と親和性があるように思えてくる。どうも難しい一番の問題は発音にあるようだ。講義も後半ではテキストに出てくる会話が高速になってくる。何回か見ていると理解についていける、言葉のリズムが解ってきて単語をうまく発音できれば使えるようになるだろう、その感じは解ってくる、しかし道は遠い。
中国語はどんなものかは大体解ったが使えるようになるにはもう時間が足りない、そう感じる。
とにもかくにも知らない世界を開いてくれる、そんなところがやはり放送大学の面白さなのだろう。今日は試験だ。
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