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2019年8月28日 (水)

天気が不順で

Tenkizu2a 8月というのに涼しくなり方が速い
北から冷たい空気が下がってきてまだ十分に暑い夏の空気と丁度ここ九州北部でぶつかり合って活発な停滞前線を形作っている。雨の降りが厳しい。こんなことはなかったよな、と去年の同じ日の天気図を見ると前線の位置は少々北の南東北あたりだがちゃんとある。自分の身に降りかかるま でこんなことが今の季節に起こるなんて気が付かない、勝手なものだ。
Tenkizu1a 僅かな違いが人間には大変なことに思えてしまう、自然と対していると時々そんなことを思う。自然はきちんと物理法則に従ってその有様を変えているだけなのに人は自然が襲ってくるようにさえ思ってしまう、本当に勝手なものだ。
不順な天気だとあまり出かけることもなくなってしまうが、時にはと10日ほど前にアクロス弦楽合奏団の定期演奏会を聴きに行った。福岡の音楽ホールであるアクロスの音楽活動の一環としてオリジナル編成の弦楽合奏団の活動がもう15年も続られている。初めて聴いたのは6年前だったがかな り高い能力のいい合奏団という印象があって以来毎年聴いている。
今年の出し物は ロッシーニの弦楽のためのソナタ第4番、モーツアルトの交響曲第40番、バッハの 3つのバイオリンのための協奏曲、スークの弦楽セレナード という4つだ。モーツァルトの40番以外は全く知らない曲だ。
いつものようにいい演奏だったが、最初の2つはバイ オリンが多すぎるように思えてバランスがどこかしっくりしないところを感じてしまった。好みの問題かもしれない、40番のあの軽やかなところ が、 と思ってしまう。勝手なものだ。天気のせいもあるのだろう。
心地よかったのは後の2つの曲で、編成もバイオリンが少し減りこの楽団らしいキラキラしたところが感じられた。バッハの「3つのバイオリン。。」は3人のソリストが引き継ぎながら掛け合うように奏でるというスタイルで、新鮮さキラキラさが心地いい。最後のスークの曲も鮮やかさがあっていかにもこの楽団らしい演奏となった。

聴いている時の自分の気分で心地よかったりアレっと思ったりする、音楽を聴くのも自然に対するのも同じようなことなのかもしれない、そんなことを思っている。
Acros818 まだまだ雨は降り続く。

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2019年8月26日 (月)

アムンゼンの南極点征服を読む

 

厳しい暑さが続いたかと思えば雨ばかりの日々となってこの2か月余り出かけることがめっきり減った。更にはこのところ左ひざを痛めたのもあっていや増しに動きが鈍っている。こちらは医者に見せると変形性膝関節症ではないかという、そうかなあ、と疑ってみるが所詮痛み止めをAmunzen 貼るだけだ、自然治癒を待つ他ないようだ。
とにかく家に居てばかりの日が続く。暇つぶしに本でもとここ数日はアムンゼンの南極点征服の手記を読んでいた。1911年12月14日に人類初の南極点到達を成し遂げたその時の記録だ。
南極は行ってみたいところの一つだが費用も時間もかかってエイッと出かける踏ん切りもつかない。なんとなく時が過ぎてしまっている内に体が次第に動かなくなってきて近頃はもう南極はとても無理かなとの気がしている。100年以上前によくぞ南極点まで到達できたものだとの想いがあって読み始めた。
読むと相当の冒険だったのがよくわかるが計画や装備が寒さやエスキモーの知恵をよく吸収していたノルエーのチームだったからこそできたという実態が伝わってくる。リアリティがある。同時期に南極点に向かった英国のスコットとは随分と心構えが違うようだ、あちらは軍人で国の威信を背負っていたようだがこちらの方が随分ナチュラルだ。
アムンゼン隊の極点に向けての移動手段は犬ぞりとスキーがそのすべてだ。スコット隊は馬を使っていたが極地で馬が耐えられるはずがなく装備もちぐはぐで誤算続きだったようだ。
スキーはノルディックスキーという言葉があるくらいでノルエー人にとっては幼い頃から慣れ親しんだお手の物の移動手段でこれに100匹を越えるエスキモー犬を準備して南極に向かっているのはこの時代としてはベストの組み合わせと思える。防寒用装備もエスキモーの知恵に従っている。
それでも大変な行程だったようだ。まずは果てしなく続くクレバスに何度も落ちながらかろうじて切り抜けている、よくぞ神経が持ったと思う。スコット隊は1908年に英国のシャクルトン隊が南極点まで180kmのところまで迫ったときに使ったルートを使用していたがノルウエー隊は直線距離で短い新しいルートを使っていた、それだけに未知の困難も多かったようだ。
そもそも両隊とも当然のように南極で越冬した後に極点に向けて出発しているところからすごい。十分な準備の荷物と探検隊を降ろした後、船は南極をいったん離れている。後戻りできない冒険だったようだ。極点近くは標高3500m近い高地になっていて立派な山もある大陸という景観だということもちょっとした驚きだ、もっとだらーとした陸地かと思っていたが起伏に満ちているようだ。よくもこんな所をと思ってしまう。緯度測定は基本的に太陽の高度を図る天測航法だ、これで往復で95日かけて直線で計2500kmの距離を移動しえたということになる、驚くべき探検行だ。
途中でエスキモー犬をいくらか食べながらも進んだことが普通に書かれている、それも計画のうちだったようだ。そういうギリギリの探検行を平然とやれる精神がこんな旅には必要なのかもしれない。現代ではむしろもうできない旅なのだろう。

緩み切った生活を送っているとこんな記録には刺激を受ける。今からその10000分の1でもできることがあるのだろうか、そうも思ってしまう。

ありのままに生きていくしかない、そうなのだろう。また夏が終わっていく。

 

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2019年8月23日 (金)

月下美人が美しく咲いて

6年位前福岡に転居してきて古い家を引き継いで住んでいるが家に付随した庭木は勿論鉢植えの植物も引き継いでしまっているのでこれは生き物だけに何かと手がかかる。
鉢植えで場所を取っていたのは月下美人とクジャクサボテンで少しは珍しいところもあるだけに捨てる訳にもいかず育てていたが、自分で育て始めたわけではない生き物はどうにも気を入れて育てられない。
冬も大方外に出していたら3年位前に結構雪が積もった時があって、大半の鉢が枯れてしまった。どうしたものかと植物園で相談したら、根が生きていれば地面付近からまた葉っぱが出てきたりするだろうとあり、暫く待ってみたらかろうじて2鉢から新しい芽が出てきた。少し大振りの一Kujyakusbtn 鉢は全部は枯れずに半分くらい残っていたので計3鉢は何とか生き残った。5鉢位枯らしてしまったことになる。生残ったのは月下美人2鉢とクジャクサボテン一鉢だ、クジャクサボテンは引っ越してきてから何回か花を付けたことがあったが月下美人は花をつけたところを見たことがない、いずれにせよ雪でやられた後は2年ほどは花をつける素振りもなかった。
去年になって月下美人の大振りな鉢に蕾が現れたが開花するというタイミングは五島列島への旅行と重なり花は咲いたものの見ることができなかった。今年になってクジャクサボテンに計3輪の赤い花が咲き、もうだいぶ元気が戻ってきたと感じていた。月下美人の方も葉を盛んに広げていて今年こそはと思っていたところへ蕾が現れてきた。蕾の鎌首を少し戻しかけたところで屋内に入れて眺めていたところ遂に花が開き始めた、夜の7時頃のことだ。午後9時くらいにはすっかGekkabijin り開いて独特の香りも漂ってくる。なかなか見事だ、一晩しか花が持たないというのが如何にも惜しいが、咲き続けるには相当のエネルギーを要するのだろう、短い時間の中にすべてを解き放った美しさがある。
植物を育てるのも満更でもない。
今年は鉢植えのシンビジウムも久し振りの花を付けたり、生き物はおおむね元気がいい。温暖化のせいではないかと思ってしまう。地球温暖化は人間にとっては都合の悪いこともあるが大抵の 生き物にとっては生きやすい時代を迎えているように見える。恐竜時代の前の温暖な時期に植物が大繁殖して現代に至る厚い石炭層を残したことは有名だ、温暖化する地球は生き物には一般的には生きるのを助けてくれると言えるだろう。
温暖化で植物の力がなかなかのものを感じさせるのもあって、このところ食べた果物などの種を出来るだけ撒いて育てている、結構面白い。夏ミカンやレモンの種は良く発芽するが気をつけておかないとすぐにアゲハ蝶に卵を産み付けられて幼虫に折角の苗を食い荒らされてしまう。双葉からやっと本葉になったあたりが結構狙われる、葉が柔らかくて幼虫が育ちやすいのだろう、それではたまらないので片っ端から幼虫を見つけては別の鉢の中に入れて同じ柑橘類のキズの葉を与えて飼っている。あっさり駆除してしまうのも可哀そうだ。こちらも結構知的刺激がある。
種から良く育つのはビワで小さな鉢から幾つも大きな葉が出てくる、虫も寄り付かないようで手がかからない。食べた種ではないが昨年5月に指宿に行った時にソテツ自生地でソテツの実を安く売っていたのを買い求めて自宅の鉢に植えて眺めていた。買った時には、芽は大概出ます、といわれていたが一向に芽を吹かないので半ばあきらめていたら今年の春も終わり頃になってするすると芽を伸ばし始めた。今は3本の芽がそれぞれ別の種から延びてきていてこれは確実に育ちそうになっている、随分ノンビリとした命だがそれだけに力強い。楽しみだ。ほかにも巨峰の種を蒔いたら次々に芽を出して伸び始めたり多分プラムと思うがこれも種を埋めていたら結構育っAvocado たりしている。最近育てて面白いのはアボカドだ。水栽培ですぐに育つというネットの書き込みに従って、食べた種の水栽培を今年の2月頃に始めたが一向に出てこない。いい加減あきらめかけた6月頃にふと見れば白い根が伸び始めているのに気がついた、やってみるものだ。今は土の鉢に埋め換えて地上側に芽が伸びるのを眺めている。なんにせよ新しい命が生まれるのは楽しい。

身近の庭や鉢で自然が巧妙に息づいている様は次第に動かなくなっていく身体にかけがえのない刺激を与えてくれる。それそのものが自然の巧みのように思えている今日この頃だ。

(写真は上からクジャクサボテン、月下美人、アボカドの芽)

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2019年8月15日 (木)

ウスバキトンボ

毎日その日撮った写真をインスタグラムにアップするということをこのところ続けているが、思いの他毎日新しいことを見つけることになって刺激的だ。
最近ではウスバキトンボというトンボに少し驚いている。この一ヶ月くらいあちこちの公園で黄色いトンボをたくさん見かけるようになった。最初Usubakitonbo0809 はアキアカネの羽化したてのトンボかと思っていたが、インスタグラムに上げようと写真に撮ってよく調べるとウスバキトンボというトンボでアキアカネではないと解る。更に世界的に多い種で海を渡って北上して来たトンボとも解る。もちろん1世代では長い渡りはできない、途中で世代を引き継いでの北上となっているらしい。不思議なのは冬を越せない位寒いところまで北上して戻りがない片道切符の渡りとなっているいうところだ。一体何のための北上なのだろうか、明快な説明はなされていないようだ、謎とされているようにいえる。
面白いので少し考えてみる。北上するという習性は多くのウスバキトンボに共有されているようで、経験が引き継がれたのではないことが明らかな以上何らかの形でDNAに書き込まれた行為としか思えない。
種の多くの個体を存在せしめ続けるのがDNAの目的ならば南方で過剰なほどに孵った個体は、無駄な縄張り争いをするより何割かは北上して居場所を増やしてくれた方が都合がいいということだろうか。その子孫が死滅しても毎年北に送り込めれば地球上の広い地域をカバーして夏場の地球全体の個体数を数多く維持できる、夏場だけでも目的は達成されるということだろうか。
結果的にはそうでも何だか変だ。これは、現在よりはるかに温暖な時代があってその時代の行動様式を未だに保ち続けている、それができている、ということではないかて思ってしまう。今も続く氷河期のサイクルが始まってまだ3百万年くらいしか経っていない、トンボという種はそのはるか昔から地球上に存在していてその頃はずっと暖かく北に行っても冬を越せない程の低温になることなどなかったということは十分考えられる。温暖化はトンボにとっては氷河期という環境破壊がやっと終わりかけてくれるという事なのではなかろうか。ウスバキトンボにとってはこの日のために渡りの習性を温存できたという事ではなかろうか。
温暖化による環境破壊だと己の生き残りのことばかり叫びたがる人類はもっと謙虚になるべきなのではなかろうか、そんなことも思ってしまう。
ウスバキトンボ一つでも奥が深い、この世は面白くも興味深いことで満ちている、生きて感じることすべてが貴重だ。

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2019年8月12日 (月)

「恐怖の男 トランプ政権の真実」を読む

 

ボブ・ウッドワードの書いたトランプ政権暴露本 『恐怖の男 トランプ政権の真実(Fear: Trump in the White House)』をこのところ読んTrump2a でいる。例によって図書館に予約しておいたのがやっと順番が回って今頃になってしまったという次第だ。
原本の米国での出版は去年(2018年)の9月11日というメモリアルデイになっている、如何にも話題ねらいの出版という感じがする。

ボブ・ウッドワードはワシントンポストの記者としてニクソン政権のウオーターゲート事件を暴き政権の崩壊に導いたことで有名だが、このトランプ本を書いた時点でもワシントンポストの現役で、副編集長の地位にあったという。今回のこの本は政権崩壊に導くかというと全くそんな感じでもない。淡々とした本だ。

日本語版の出版は同じ年の11月20日に日経出版から出されているが2か月余りで和訳出版できたのはいかにも手際がいい。訳者は伏見威蕃氏1名の名前になっているがサポートした人が何人かはいたのだろう。先行したトランプ本「炎と怒り」(マイケル・ウォルフ著、1.5ヶ月で和訳出版)ほどではないが素早い。
500ページ位あって結構厚い本だ。
内容はボブ・ウッドワードが関係者からのインタビューで情報を取得しこれを基に神の目で見た様な形でトランプ政権内のやり取りを記述している。基本的に3人称だが時々「私」ボブ・ウッドワードも現れてはいる。
前読んだ「炎と怒り」でも感じたが、トランプの行動そのものはそう異常なものではない。国際関係であっても冷たい政治力学ではなく血の通った人間同士の話し合いやつながりを重視して政治にパッションを織り込もうとしている、普通の感覚の持ち主だ、そのことそのものが今の世界を動かしている冷たい計算で満ちた世の中のアンチテーゼであるのだろう。こういう人が出てこざるを得なくなっている現代というものの行き詰まり感を感じてしまう。トランプ政権を支えている人々は相変わらず軍人でありゴールドマンサックスやエクソンで泳いできたクールな企業人が殆どだ。トランプ流の判断とはどうしても合わなくて、辞任ばかりが目立つ。もっとこらえ性のあるスタッフは居ないものかと思ってしまうが、それがエスタブリッシュメントで固められたこの世界の問題点なのだろう。小学生並みの理解力だと悪口を言うよりそんな人がなれた大統領に何故自分がなれないのか何故トランプは多くの国民の支持を集めえているのか考えるべきなのだろう。

大半は驚くような内容でもないが今の時点で読んでいて少々引っかかるのはトランプは韓国の文在寅を嫌っているというくだりだ。トランプは就任早々からKORUS(米韓FTA)の破棄、在韓米軍駐留経費の負担増を繰り返し主張してきている。これは今も続いていて1週間前のニュースではボルトン国務長官が大幅な駐留経費負担増を韓国に要求したと報じられている。対韓で安倍政権が現在やや強硬に出ているのはトランプが文在寅を嫌っているというのを知った上での安倍の決断ではないかと思えてくる。米国は韓国の側には立つはずがないとの確信があるのではなかろうか。

それにしてもこんな本が相次いで出版されるところにアメリカという国の強さがある気がする。日本ではとてもこんな本は出せないだろう、辞めたといってもこんな風に内部情報を次々に記者に提供する政権高官が出てくる状態は日本ではちょっと考えられない。政治史を後で研究するにはこんな本は貴重な資料となるだろう、ある種の透明性が確保されている、そこに強さがある。

日本の方が息苦しい世の中を現出しているようだ。参院選挙で感じられた閉塞感、誰かが決めた候補者の狭い範囲からの比較選出を迫られる無意味な選挙、もう現実世界に対処できなくなっているシステムをそこに感じる。変えなければいけないところに来ている、日本にこそトランプのようなエスタブリッシュメントの壊し屋が必要なのだろう。

 

 

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2019年8月 2日 (金)

2019年7月の福岡市南区周辺の野鳥

 

20日過ぎまで梅雨が明けず雨が多かった。若鳥が目立ってきてハシブトなどでは騒がしい。鹿助池では新しいバンの雛が現れてはいるが新市楽池では4羽いた雛の姿が見えなくなっている、厳しい生存環境があるようだ。昆虫の活動が活発になって夏本番となってきた。

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2019.7.5 11:30 薄曇り  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ドバト2、コゲラ1、シジュウカラ2、メジロ2、スズメ3-5、ムクドリ声  新市楽池:バン1、スズメ6、(トンボ:チョウトンボ4-5、コシアキトンボ2-、ギンヤンマ1、ナツアカネ又はアキアカネ1)

2019.7.6 17:30 薄曇り  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:シジュウカラ2、ムクドリ10-30、ツバメ1、マガモ3(♀2、エクリ1)、スズメ5-、  新市楽池:スズメ、バン2、シジュウカラ声1-2(トンボ:、コシアキトンボ 他)

Aobazk0708 Kogame 2019.7.7 14時 晴れ風力3  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
ドバト10+、スズメ10+、ホシハジロ♀1、マガモ2♂♀、バン1、(ウシガエル声、チョウトンボ)

2019.7.8 14:00 曇り 那珂川市仲     神社
アオバズク1

2019.7.10 13:30 雨  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ドバト2、ムクドリ4、スズメ、シジュウカラ2+、ハシブトガラス1、マガモ1(エクリ1)、(子ガメ)  新市楽池:なし

2019.7.11 12時 晴れ風力3  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
Mukdr0716 Aosagi0716 ムクドリ10、、スズメ25、マガモ3♂1♀2、、バン1、シジュウカラ4

2019.7.14 pm2:00 曇り  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:スズメ声、メジロ2、アオサギ1 新市楽池:バン1、スズメ2、キジバト1 鹿助池:メジロ2、ムクドリ4、スズメ2-4 (キノコ、トンボ)

2019.7.16 17:00   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ40、ハシブトガラス2、スズメ40、 新市楽池:バン1、(トンボ) 鹿助池:アオサギ若1、ムクドリ10、スズメ10、バン声1 (、トンボ)

2019.7.20 10時30 雨  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
Banoyako0724 Suzumewaka0727b マガモ6、アオサギ1、ハシボソガラス1

2019.7.22 17:00 曇り  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワラヒワ声、スズメ2-3、  新市楽池:ハシブトガラス1、バン1、(トンボ:チョウトンボ、ギンヤンマ、コシアキトンボ )

2019.7.24 17:00   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:スズメ8、 新市楽池:バン2、 鹿助池:バン5(親3、子2)、マガモ2、ムクドリ6、スズメ3、バン声1 ハシブトガラス1、

2019.7.27 10時30 曇り  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
Hasibutowaka0727 Magamoecl0729 ドバト20、マガモ7、スズメ、アオサギ1、ハシブトガラス3(親1、若2)

2019.7.29 6:00   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:スズメ4、ムクドリ6、 新市楽池:バン1、スズメ3 鹿助池:アオサギ1、ハシブトガラス4(成3、若1)バン声、マガモ3(エクリ2、♀1)、キジバト2、ムクドリ8、スズメ8、ヒヨドリ2

2019.7.30 18:00 晴れ  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ15、スズメ30、ハシブトガラス5、ドバト4、  新市楽池:バン2、

2019.7.31 10時30 晴れ  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
マガモ4、バン1、カワウ1、ツバメ1、ドバト10、、ハシブトガラス5、スズメ20 (トンボ:アキアカネ、ナツアカネ、ウチワヤンマ、チョウトンボ、シオカラトンボ、他アオメアブ)

(写真は上からアオバズク,池の子ガメ、ムクドリ若、アオサギ若、バン親子、スズメ若、ハシブトガラス若と親?、マガモ・エクリプス)

 

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2019年8月 1日 (木)

「サピエンス全史」を読む

みむ

気になっていた「サピエンス全史」上下(ユヴァル・ノア・ハラリ著)の借り出し順がやっと回ってきて暫くこれを読んでいた。結構厚い本だが難しいことはないのですらすら読めて1週間くらいで読んでしまった。
もっと科学史的な本かと思っていたら人類という種の歴史を生物的に或いは社会学的に主張を持って俯瞰したやや独善的な本だった。キリスト教・ユダヤ教の西洋人が俯瞰している人類史だった。西欧世界で評判になったのがうなずけるような本だが果たして東洋で特に日本でおっしゃSapience る通りといえるかというと、そう思える本でもなかった。
目からうろこというほどではない、が 歴史に沿ってニュートラルに考えをまとめて道筋をつけるという手法が新しい。
ネットで拾いながら考えをまとめていくとこんな文章になるかもしれない、そんなことを思ってしまった、自分も同じようなやり方でブログを書いている。

内容は、例えばこうだ。農耕文化の始まりはホモサピエンスには労働時間の増大と多様性の損失をもたらした、生活者にとっていいことはなかったのではないかというのだ。

狩猟時代の生活は現代まで地球上に残された狩猟民族の生活を調べることで推測されているようだがそれによれば狩猟による生活は多くの自然の様態と調和し自然の恵みを得られることで、小麦を辛抱強く育てていく農耕より少ない労働時間で変化に富んだ生活が得られるという。狩猟時代から農耕時代に移行したことにより考えることが減り脳の重さがやや減少したという説も紹介される、人類にいい事ではなかったかもしれないというスタンスだ。人々はゆっくりした変化であったため気がつかずにこの悪化ともいえる変化を受け入れてしまったのだろうともいう。

何故こんなことが起こったか。小麦や稲という植物にとっては農耕はその種の勢力の拡大をホモサピエンスが汗水たらして行ってくれたことになり、人類はまんまとその戦略にはまったのではないかとの説を展開する。確かに生物には他の生物に影響を及ぼして自らに都合のいい環境を作り出す或いはその生物にそのような行動をとらしめるということがあるようだ。これは最近放送大学の生物系の講座で学んだばかりだ。しかしここまでのことがあるだろうか。走り過ぎているようにも感じる。
地球上の生物としても人類の牛や鶏などの他の家畜と呼ぶ生物に対する仕打ちは残虐そのものだ、このような残虐さは地球の歴史ではこれまでにないものとなっていると繰り返し指摘してもいる。ここでは一生物としての人類の歴史という視点に新鮮さを感じる。
宗教に対しては仏教に対しての記述がどこか暖かいものがある、現代の人類で広く支持されている平等、自由 という思想が、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教などの一神教の思想-神の前には人は平等-に由来しているのではないか、必ずしも人類を幸福には導いていないかもしれないという懸念を示してもいる、歴史を追っていくと仏教の心の平安を追及する考え方に価値を見出すようになってくるということだろうか、そのようにみえてくる。
その他、よく収集された広範囲の新しい知識の上に議論が展開されているところは圧倒的だ、ネットの助けがあったればこその著作という気がしてくる。勿論多くの原典は読んだにしてもどのような議論が各分野で展開されているかをつかむにはネットが多用されているように感じる。
面白い時代になった。新しい広範囲な思索に基づく著作が色々これからも現れそうだ。一方で、この本はニュートラルな立ち位置に気を配っているが、偏った考えのそれらしい本も出やすい状況になってきているのも感じる。面白いが不安な時代になってきたということだろうか。

 

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