刀剣ブームは平和の証
1週間ほど前になるが福岡市博物館で開かれている「特別展「侍」~もののふの美の系譜」という展覧会を見に行った、目玉は刀剣だ。
刀剣ブームだそうだ、混んでいて若い高校生くらいからの女性が列をなしてじっくり見ている。戦場で殺しあう道具をだ。
並んでいる刀剣はここ福岡市博物館の所蔵のものが結構多いし九州博物館のもある、この地には刀剣のいいものが多く残されているような気がしてくる。しかし思い起せば上野の国立博物館の国宝・重文の刀剣の量も可成りなものがあった。刀剣は日本の美術品の強固な一角であることは疑いを入れない。
どこがいいのだろうと純粋に思っていた。名刀といわれる現物を見ても、確かに立派で凄みがあったりするが感動を与えてくれる或いは作家によって込められたテレパシーのようなものを受け取ることができない。
名刀にまつわる物語が人を引き付けるのかとも思う、例えば今回展示されている、織田信長が今川義元から奪って生涯手放さなかったといわれる「義元左文字」は本能寺の変では本能寺にいた神官の娘がうまく持ち出しそれが秀吉に渡ることとなったという。このあたりは胡散臭いお話に見えて、ほんとかなという逸話に満ちているようにも思えるが、ともかく秀吉から秀頼に渡りそれが徳川家康に献上されたのち、代々将軍が引き継ぐことになっていった。最終的に徳川宗家から明治時代に創設された建勲神社に奉納されて現在に至っている。歴史を背負っているところに価値があるようにみえてしまう。
刀そのものの美術的なものはどうにも感じ取ることができないが平安後期より連綿と続く武家文化の中心でありその時代時代の匠の技が命がけで 込められているということ自体が、隠しようもない価値を発散させているようにも思える。
しかし、それを若い女性たちが列をなして丹念に見ていく光景はちょっと異様な景観に見える。刀剣ブームに火をつけたスマホアプリゲームがあったにせよ、ここまで人を動かし続けるにはそのものの魅力がどこかにあるとしか思えないが、それが分からない。
名刀の刃を持参した双眼鏡で細かく見てもマルテンサイトに混じるパールライトだろうか黒い点が点々と見える位だ、良さが見えてこない。
展示されていた名刀は天下五剣のひとつ国宝「大展太」など国宝の刀・短刀が12本もあり、重要文化財・重要美術品のものは30本に及ぶ、とにかく数が多い。
筑前にも有名な刀鍛冶がいて南北朝時代の左文字源慶の作として江雪左文字(国宝)が展示されたりもしている(添付ポスターの右の刀)。めったに見られない名品が見られる機会であることは間違いない、しかし感動がない。
展示はガラスケースに大事に収められてそれを見るだけというところから生身の日本刀の怖さというものが感じられにくいのもこれほど多くの若い女性の人気を支える理由の一つでもあるのだろうが、実態は恐ろしいまでに冷徹な人殺しのための道具だ。会場の雰囲気にどうしても違和感を感じてしまう。
しかし平和が続くということはこういうことなのだろうか。
平和な平成の世も終わって韓国との間もそれに合わせるようにギスギスしてきた。平和な刀剣ブームもそろそろ終わりが見えてくるのかもしれない。そんな予感は当たってほしくないが。
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