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2019年11月30日 (土)

牛頸窯跡群

 

壁にかかっている新聞屋のカレンダーの11月がいい写真の紅葉だったのでその場所へ出かけてみた。牛頸ダムという。確か今年の始めにベニマシUshikubi1121z コを見に行ったところだがダム全体は見ていなかった。大野城市だが大野城市というのも水城史跡や古代城の大野城史跡をつないだような横長の市域でイメージがちょっと湧きにくい。福岡市への通勤が多いベッドタウンの様相があるような気がしていた。
グーグルマップの航空写真から撮影地点を割り出してともかくそこをナビの目標値に入れて出発する。自宅からは1時間以内で着けるとの計算だ、近い。
ダムの周回道路を進むと難なくそれらしいところに着く。駐車場所もある。紅葉の方は未だ今一つだった。が、景観は悪くない、野鳥は少なかったがオオバンやカイツブリくらいは見れた。こんなものかと見渡すと 牛頸窯跡群 との看板が立っている。窯跡はどこにも見当たらないのだがこの辺りがそうだということらしい。平成21年に国の史跡に指定されていて九州最大の須恵器の窯跡だという、全く知らなかった。日本の3大古窯の一つに数えられているというから全国区ということにもなる。
戻ってネットで調べると出土品も大分あるようで中にヘラで漢字を刻み込んであるのもあるという。最も古い窯は6世紀頃だが最盛期は8世紀頃で太宰府と水城等の防衛線が建設された時期からこの地が須恵器の生産拠点として整備されていったようだ。
1Ushikubi1121b1 0世紀には衰退したようで現在はこの辺りでは陶磁器の製造はなされていない。そんなこともあって古窯遺跡の保存にはあまり力が入っていないようにも感じられる。
太宰府から博多を結ぶエリアに人が住み始めてもう恐らく数千年の時が流れているのだろう、踏みしめている地面には想像を超えた長い歴史が文字通り刻まれているのを感じる。何処を掘ってもなにがしかの遺跡があるのかもしれない。
11月もこんな風にして終わっていく。流れ続ける時そのものが存在の本質ではなかろうか、そんなことを思っている。

 

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2019年11月29日 (金)

ギターデュオコンサートが後びく

 

時々コンサートを聴きに行く。
最近聴いたので好印象だったのはアクロスランチタイムコンサートのギターデュオだ。
ギターというので前の方の席をとっていたがアクロスホールは音響がいいのか殆どスピーカーを通さない生でも2階席までの観客に届いているようだった。ホールのサイズが丁度いい。
演奏者は大萩康司&上野芽実 という2人だが、不勉強でよく知らない名だった。でもともかく上手だ。
曲は
F.ソル:幻想曲「二人の友」 (Fernando Sor: Les deux amis)
I.アルベニス:12の性格的な小品集 op.92-12 より “朱色の塔”
F.タレガ:アルハンブラの想い出
L.ブローウェル:祭りのあるキューバの風景
L.ブローウェル:11月のある日Guitarduo
藤井眞吾:ラプソディ・ジャパン
アンコール  P.ベリナティ:ジョンゴ
で知った曲も少しはある。
ソルらしい端正な2重奏で始まった。
次の2曲は良く知っている曲で上野芽実 がソロ演奏
続くL.ブローウェルの2曲は大萩康司のソロ演奏となるがこちらは知らない曲だ。しかし如何にもスパニッシュギターという技巧の感じられる曲でなかなかいい。L.ブローウェルという人は全く知らなかったが切れのいい曲を書く人のようだ。
コンサートの日から暫く間をおいて思い出しながらこれを書いているが雰囲気は思い出せても知らない曲のメロディそのものはなかなか蘇ってはこない。こんな時はyoutubeの検索で調べると大抵の曲は出てきてそうだったとなるのだが「祭りのあるキューバの風景」という曲名だけはひっかかってこない。原語のタイトルを推定して幾つか検索するうち Paisaje  Cubano con Fiestaで当たりが出た。多分これだったのだろう、日本語の名前で引っかからないのは日本での演奏が少ないことを示しているのだろうか、でもなかなかの曲だ。「11月のある日」のほうはすぐにひっかってああこの曲だったとわかる、印象的な曲だ。再び2重奏となって「ラプソディ・ジャパン」、そしてアンコールの「ジョンゴ」となる、このアンコール曲が長い立派な曲で技巧的でもあって、アンコールで演奏するより本来のプログラムに入れておくべき曲のように思えてしまう、いい曲だ。1時間と少しのプログラムというのは却って構成が難しいのかもしれない。
真っすぐな気持ちのいいコンサートだった。
こんなコンサートを聞くと暫く遠ざかっているギターをまた弾いてみようかという気がしてしまう、楽器を自在に演奏したいという長くも果たせない願望にもう一度挑戦してみたくなる、刺激が後びく、そこがいい。 

 

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2019年11月26日 (火)

佐木 隆三 の 小説 大逆事件

年齢を重ねてくると記憶力は減退するが判断力は維持される、との言い方を昔から聞かされてきたがいざ自分がその境遇に入っていくと、判断力も何もかも全てが衰えていくのを明らかに感じる。どうしようもないことなのだろう。いつからか小説を何かしら読むのが脳の働きにいいような気がして、気を付けて間を開けないように小説をように心がけていた。組み立てられた架空の物語には何か立体的に脳を刺激されるところがある。しかしながらこのところ論文めいた文章を読むことが多くなり何かと落ち着かなくて暫くあけてしまっていた。Daigyaku

なんとかせねばと思っていつも行く図書館で眺めるともなく書棚を見ていると小説大逆事件という佐木隆三の本を見つけた、リアリティがあって歴史の勉強にもなってこんなのもいいかもしれないと読み始めた。
結構厚い本だったが一度貸し出し延長をして20日くらいで読み終えた。
大逆事件は名前は有名だが幸徳秋水が非公開の裁判で無理やり死刑にさせられた事件という側面ばかりが強調されていて本当は何があったのかきちんと学んだ記憶がない。
佐木隆三はそのしつこさと社会派的感覚で事件を細かく調べ直しているのがよく解る。調べつくした後の空気を埋める創作という感じの本だ。
旧刑法73条(天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス)の大逆罪を適用した初めての事件だった。大逆罪は一審で結審し上告はできない、天皇を殺害しようとしただけで死刑となる厳しい法律だ。
読み始めようとすると最初からつまづく。読み方がたいぎゃくなのかだいぎゃくなのか調べてもよく分からない。両方の読み方があるということは確かだが法律用語だからどちらかに法律上は決まっているはずだ、それが分からない。自分の記憶では だいぎゃく とおそわった覚えがあるが 広辞苑では たいぎゃく だいぎゃくともいう という表記でたいぎゃくが主流としている。但し逆の表記の辞書もある(精選版 日本国語大辞典)、ネット上の法律用語辞典ではだいぎゃくとある。NHK放送文化研究所編 『ことばのハンドブック 第2版』ではだいぎゃくで放送ではだいぎゃくとするとなっているらしい。法律用語はだいぎゃくだが慣用的にどちらもあるということのように思えてどうにもすっきりしない。
読んでみるとどこか事件のデイテールにに固着しすぎているところを感じる。世界のあちこちで社会主義者や無政府主義者の動きが沸き起こりこれを国家が必死で押さえつけようとしていた時代全体の雰囲気があったはずだがこれが感じられにくい、事件の起こった1910年はロシアでは帝政がデモで揺らいでいたはずだ、そもそも日本政府は5年前の日露戦争時に明石大佐が工作活動で欧州・ロシアの反政府活動を強力に支援しており、世界的に勢いづく社会主義や無政府主義の運動をどこよりも感じていたはずだ、その上での抑え込みだったのではなかろうか。爆裂弾を製作し襲撃を計画していた宮下太吉ら4名は死刑を免れることは難しいがトータルで24名に対し死刑判決が出た、これを機に危険分子の一掃を図ったのはある意味で起こりそうな事態だったとも思われる。この後に起こる関東大震災の混乱に乗じた大杉栄暗殺につながる脈絡なのだろう。
体制が欠陥だらけでもろかったからこそ僅かな反体制者の動きにもピリピリしていた当時の実像が見えてくるようなところがあって、まずまずの”小説”ではあった、しかしどこか物足りさを感じてしまうのはどうしようもない。こんなものかと思ってしまう。

もっと読まねば。

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2019年11月22日 (金)

安徳台遺跡が興味深い

市になって間もないせいか那珂川市が主催する講演会が少し気になって、聞きに出かけた。安徳台遺跡についての講演だ。
安徳台という名前についての解説はない。そちらの方がまずは気になったりする。
少し調べると安徳台の名は安徳天皇に由来していることとすぐわかる。平清盛の強引な後押しで安徳天皇が数え3歳で即位したのが1180年,壇ノ浦で入水したのが1185年で,短い命だが足かけ6年は在位している。この間1183年に木曽義仲に押されるように京を離れ平家とともに九州太宰府に移り、筑紫の豪族原田種直の館に滞在した。この時安徳天皇がいた場所がこの安徳台とされる。この後一行は屋島に移動するも義経の奇襲に会い、再び西へ逃れ逃れて壇ノ浦にまで至って滅んでしまう。
江戸時代にも安徳台は「御所が原」と呼ばれており、とにかくこの地に安徳天皇がいたことは確かのようだ。
一方で2003年に安徳台で弥生中期の大型円形住居跡が発見され俄かに大規模な弥生遺跡として注目されるようになった。この地は古くより居住に適しており、それが故にこの地一帯を支配する豪族がここを拠点にしてきたと思われる。安徳天皇がここにいたというのも歴史的な必然があったのだろう。神功皇后が開いたとされる裂田の溝(うなで) も安徳台のすぐ横だし日本の住吉神社の本宮ともいわれる非常に古い神社現人神社も近い。
Antokudai歴史のある場所のようだ、それにしても安徳台とは何なのだろうと思っていたところへこの講演会のポスターが目に入り聴講を申し込んだ、というのが聴くことになった経緯だ。講演が3つとシンポジウムが1つという構成で13時スタート終了17時の4時間の講演会となっていて長い。安徳台遺跡でそんなに話すことがあるのだろうかとさえ思ってしまう。
3人の講演者の話をつなげると弥生中期から古墳時代まで続く遺跡で様々な出土品や人骨が長い時間経過に応じて出土している、ということのようだ。昨年11月の答申を受け今年2月に安徳台遺跡として文化庁から国の史跡に指定されている。それを記念しての講演会ということになる。
話を聞いていると弥生時代に玄界灘の荒波を越えた交易を平然としばしば行っていたというのにも尊敬の念さえ覚えてしまう。
青銅器の鋳型や鉄剣、ガラス器、ゴホウラ貝やイモ貝のおびただしい数の腕輪等出土品が多様で広範囲の国や地域との交易の有様が証拠付けられているように思える。
交易ルートは那珂川から博多湾に出る水路の他、南に峠越えし有明海から船出する交易路の使用も推測されている。今では街から離れた奥まった場所だが、この地は現在思うより遥かに交易に都合の良い立地だったようだ。
ともかくここは魏志倭人伝に登場し漢から金印を授けられたあの奴国を支える重要な地域の一つだったということになる。
講演をMapantoku 聞いていくと知らないことも多い。ゴホウラ貝の腕輪は主に男性の右腕の副葬品で右腕に25個も付けた状態で発見された人骨もある、女性はイモ貝の腕輪となっているという、そんな区別が有ったとは知らなかった。呪術的な意味合いがあるのだろう。また、勾玉は勢力の強い被葬者ほど大きい美しいものが出ておりその差は歴苑たるものがあるようだ。力があるということを誰の目にもわかるように示すといTekkenn う役割があったのだろう。鉄製品や鉄素材は弥生時代は殆どが輸入されたものでそのため鉄剣の分布は西日本に偏っているというのも初めて知った。戻って少し調べると弥生時代の国内鉄生産については諸説あり国内でも幾らかは製鉄されたとするのが有力そうだ。日本における製鉄の歴史も色々とまだわからない事が有って面白そうに思える。

飽きることなく話が湧いてくる。時空を流れる流れの様を俯瞰して見ていくような心地がしてこんな話には興味が尽きない。我々は一体どこからきてどこへ向かっているのだろうか。

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2019年11月18日 (月)

岩屋城の戦いが空しくて

放送大学で毎学期1科目だけとって学ぶというのを続けているが、放送での受講ばかりでなくたまには面接講座もいいのではないかと、この下期には一つだけ面接講座もとってみた。タイトルは「太宰府争乱史」という、2日間の集中講座だ。古くから太宰府周辺で起こった争いの歴史を学ぶというものだが2日間張り付きででも勿論全歴史が学べるわけではない。
10月30,31日に開講される。初日に座学として「磐井の乱」「白村江の戦い」「藤原広嗣の乱」「岩屋城の戦い」の4つを九州歴史資料館で学び2日目は実地学習として太宰府、水城、大野城跡を巡る。講師は歴史資料館の学芸員が交代で当たり、試験はないが初日の最後にレポートを提出してそれで評価される形にはなっている。
それぞれに興味深い内容だが4番目の「岩屋城の戦い」というのが気になって、事前に歴史本を読んだりして少し予習もしていた。戦国時代Mapiwayajyo1 1586年頃の戦いで、大野城址のある四王寺山の中腹に築かれた戦国時代の山城「岩屋城」を大友宗麟配下の高橋紹運が守るが九州制覇を目指す島津の大軍に囲まれて少ない手勢で奮戦したものの全滅した。しかし島津軍はここに手を取られ過ぎて攻め下る秀吉軍が到着する前の九州制覇を果たすことが出来ず、結果的に南九州に押し込められた形で秀吉に従わざるを得なくなった、という歴史上の事件だ。如何にも戦国時代らしい話に満ちていて、後世にも種々誇張されて語り継がれたようだ。高橋紹運の息子でこの時すぐ北方の立花城にたてこもって守り抜いたのが武人として名高い立花宗茂で、武勇の系譜が引き継がれているところにも物語がある。
島津と九州の覇権を争った大友宗麟はキリシタン大名として知られるがキリシタンに改宗して期待していたのは国崩しの大筒と言われたような西洋式の強力な武器の調達に魅力を感じてのことで、不純なところがある。宣教師の是認の元、戦いに敗れた捕虜を奴隷として海外に輸出していたようでもあり、この岩屋城の戦いも汚い戦いに満ちていた九州の中での空しい戦さとの感を禁じ得ない。こんな時代を終わらせた秀吉・家康は色々な意味でやはり偉いというべきなのだろう。
Iwayajyou1a 岩屋城跡そのものには行けなかったが大宰府政庁跡から直ぐに見上げる場所にありしたから眺めることはできた。辺り一帯を制するにふさわしい山城としていい位置にあったように思われる。
山城としては同じ四王寺山にある、6世紀後半白村江の戦に破れて中大兄皇子が慌てて造らせた大野城の方がはるかに大きい規模になっている。岩屋城の背後に大野城跡の土塁や石垣がある形で、岩屋城は水も大野城跡から得ていたらしい。岩屋城の戦いでは水の道の場所を地元の老婆が島津側に教えたためにあっけなく城は落城したという言い伝えも残っているようだ。教えた老婆は再び岩屋城が大友勢の手に戻った時住民によって大野城跡の石垣の下に生き埋めにされたという話まで伝わっているらしい。高橋紹運は立派な人物としてよく知られていて豊臣方の黒田如水は無駄な戦いとなる岩屋城の放棄を助言しまた敵将さえも何とか彼を生かしたいと努めたが果たせず武士らしい死に際を選択して散っていったという。
歴史を理解することはできるが如何にも空しい。戦うだけのために特化した武人が支配する時代の無意味さを強く感じてしまう。
現代にもその底流はどこかに流れていて気を緩めるとすぐに顔を出してくる、それが人類という種族なのかもしれない。

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2019年11月 8日 (金)

月下美人3回目の開花といい時間

歳を重ねてくると猶更、いい時間を送りたい、と思うようになる。しかし時はするすると流れ去っていく。

Geka1023 もう2週間と少し前のことになるが自宅にある月下美人が今年3回目の開花を見せてくれた。
同じ株が1年に3回花を咲かせることは滅多にないようで、インスタにアップしたら米国の月下美人愛好家から3回目はなかなかないですよとコメントを頂いた。つたない英文でインスタを毎日投稿していると海外から時々”いいね”以上のレスポンスが届いて面白い。日記の代わりにもなっていつ何が起こったかインスタを手繰ってその日の投稿に辿り着くとその時の光景が思い浮かんでくる。日付がすぐ解るので何かと役にも立つ。

今年は温暖化のせいか暖かい日が続いて春先から植物の花付きはどれも良かった。1回目の開花は7月12日でとりわけ早いというほどでもないが、前の年に咲いたのが9月末だったのに比べると今年は元気がいいと思えた。2回目は9月18日、そして3回目が10月23日となった。2回目から3回目の間隔は1ヵ月ちょっとしかなくよくぞ咲いたと思う。10月7日に3回目の蕾を見つけた時は今年は一体どうしたんだろうとさえ思った。
昨年は留守中に開花してしまい開花は見れずじまいだった。今年の1回目は初めて開花をちゃんと見れたので、ちょっとした感動ものだったが2回目になると驚きも薄れて あれまた咲いた、くGekatubomi1007 らいだった。しかし3回目の蕾を見つけた時はまさか、と別の意味で驚いた(写真右)。このまま開花まで至らずに寒さを迎えるかもしれないとも思った。しかし心配には当たらず、台風17号(9月23日早朝に福岡に最接近して我が家にも損傷を与えた)の後には強い台風も福岡には接近せず、順調に蕾は膨らんでいった。毎日様子を見ていて、前2回と同じパターンとなる首を開花に向けた最後の曲げを示したところで家の中に鉢を取り込んだ。今晩咲くはずだ。

間違いなくその日の晩に開花したのだが、今回は何故か香りが圧倒的だ。溜めていたものを一気に解き放った感じさえある。花の咲きっぷりも堂々として迫力がある。一晩で萎むのは惜しいばかりだが一晩限りだからこそこの迫力が出せるのだろう。
翌朝には約束通り萎んでしまったつぼみが残されていた。
思えば今年は6年前の大雪で殆ど枯れていたクジャクサボテンも元気になって2株共花を付けた。この月下美人もその時にダメージを受けていたがやっと傷が完治したということなのだろう。
こんなことがあると年の瀬を迎えつつある今、今年を振り返りながらいい年だったと思えてくる。

いい時間とはこんなピースが寄せ集まって流れていく時間なのだろうか。

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2019年11月 3日 (日)

2019年10月の福岡市南区周辺及び訪問先の野鳥

ジョウビタキが10月18日から現れ始め賑やかになってきた。カワセミも出現頻度が上がってきて、モズも高鳴きを始めた。秋本番の感がある。
手元のメモに残された記録は下記の通り:
Enaga1001Sijyuukara1001 2019.10.1 15時   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:キュウシュウエナガ12 新市楽池:バン1、ヒヨドリ3、メジロ声 鹿助池:ヒヨドリ声2、シジュウカラ3-5、キュウシュウコゲラ3、ハシブトガラス2、
2019.10.2 14時30 曇り風力3 7Cu050   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:アオサギ1、シジュウカラ1~2、 ハシブトガラス1、ハシボソガラス1  新市楽池:バン2、 鹿助池:ヒヨドリ4、メジロ10、バン声1、シジュウカラ声2

2019.10.4 14時30 曇り風力3 7Cu050   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:- 新市楽池:コサメビタキ1、バンKogera1001 Mejiro1001 2、 鹿助池:アオサギ1
2019.10.5 17時 晴れ  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
マガモ12、ホシハジロ♀1、バン1、ドバト6、スズメ、アオサギ1、ハシブトガラス1
2019.10.6 17時 曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:- 新市楽池:バン2、コサメビタキ1、 鹿助池:アオサギ1
2019.10.7 17時 曇り 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ1 新市楽池:バン2、 鹿助池:シジュウカラ2-3、ヒヨドリ声1-2、キジバト声1、マガモ声1-2、バン声1
2019.10.9 12:00 油山の野鳥 
モズ、ホオジロ、シジュウカラ、メジロ、ヒヨドリ
2019.10.9 14:30    福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
Kosamebtk1007 マガモ14(♂4、♀及びエクリ10)、ホシハジOnagagm1010 ロ♀1、ドバト約30、カワウ1、スズメ
2019.10.10 11:00-12:00 福岡市西区今津
 モズ、ダイサギ、アオサギ、コサギ、ソリハシシギ、コブハクチョウ3、イソシギ、ミサゴ、トビ、マガモ、カルガモ、オナガガモ、カワウ、カササギ、ヒバリ、スズメ、ベニマシコ疑、カラス
2019.10.13 10時30  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ10、ヒヨドリ2、アオサギ1、ハシブトガラス1 新市楽池:バン2、マガモ2♂♀、ハクセキレイ1 鹿助池:シジュウカラ1、マガモ3(オス2、♀1)
2019.10.15 9時30-11時30 佐賀県大授搦の野鳥
Sorihasisigi1010Hearasagi1015 オオソリハシシギ、ダイゼン、ムナグロ、オバシギ、トウネン、ヨーロッパトウネン、ハマシギ、ダイシャクシギ、メダイチドリ、クロツラヘラサギ、ヘラサギ、ダイサギ、チュウサギ、
2019.10.16 16時30  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ4(♂3、♀1) 新市楽池:バン1、キンクロハジロ♀1 鹿助池:アオサギ1、バン1
2019.10.17 14:00    福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
マガモ12、ホシハジロ♀1、アオサギ1、カワウ1、スズメ8~10、ドバト約10、
2019.10.18 14時  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:メジロ声 新市楽池:バン1、 鹿助池:アオサギ1、ヒヨドリ4、マガモ1♂、シジュウカラ声1、ジョウビタキ声1
2Daizen1015_20191103203801 019.10.19 10:30    福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
キンクロハジロ♀1、ホシハジロ♀1、マガモ♂3♀3、カワウ2、アオサギ1
2019.10.21 14時 福岡市南公園の野鳥
Oosorihashisg1015 ジョウビタキ1、モズ2、ヒヨドリ、(アサギマダラ1)
2019.10.22 14時  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:カワセミ1 新市楽池:ジョウビタキ♀1、マガモ2♂♀、ハクセキレイ1 鹿助池:アオサギ1、ダイサギ1、ヒヨドリ1、マガモ1♂、ジョウビタキ1
2019.10.23 13時  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ジョウビタキ2♂♀、ヒヨドDaisyakusg1015 リ2 新市楽池:ジョウビタキ♀1 鹿助池:アオサギ1、ダイサギ1、ジョウビタキ1、、ハシボソガラス1、ヒヨドリ1
2Obasg1015 Jyobitk1028 019.10.26 13時30  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:、ヒヨドリ2、カワセミ1、モズ声1、ジョウビタキ声 新市楽池:ジョウビタキ声1 鹿助池:マガモ2♂2♀、アオサギ1、
2019.10.29 16時30  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:、ジョウビタキ1 新市楽池:マガモ2♂♀、バン1 鹿助池:ジョウビタキ1、モズ1、アオサギ1、
写真は順に キュウシュウエナガ、シジュウカラ、キュウシュウコゲラ、メジロ、コサメビタキ、オナガガモ、ヒバリ、ソリハシシギ、ヘラサギ、ダイゼン、オオソリハシシギ、ダイシャKawasemi1026 クシギ、オバシギ、ジョウビタキ、カワセミ

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