佐木 隆三 の 小説 大逆事件
年齢を重ねてくると記憶力は減退するが判断力は維持される、との言い方を昔から聞かされてきたがいざ自分がその境遇に入っていくと、判断力も何もかも全てが衰えていくのを明らかに感じる。どうしようもないことなのだろう。いつからか小説を何かしら読むのが脳の働きにいいような気がして、気を付けて間を開けないように小説をように心がけていた。組み立てられた架空の物語には何か立体的に脳を刺激されるところがある。しかしながらこのところ論文めいた文章を読むことが多くなり何かと落ち着かなくて暫くあけてしまっていた。
なんとかせねばと思っていつも行く図書館で眺めるともなく書棚を見ていると小説大逆事件という佐木隆三の本を見つけた、リアリティがあって歴史の勉強にもなってこんなのもいいかもしれないと読み始めた。
結構厚い本だったが一度貸し出し延長をして20日くらいで読み終えた。
大逆事件は名前は有名だが幸徳秋水が非公開の裁判で無理やり死刑にさせられた事件という側面ばかりが強調されていて本当は何があったのかきちんと学んだ記憶がない。
佐木隆三はそのしつこさと社会派的感覚で事件を細かく調べ直しているのがよく解る。調べつくした後の空気を埋める創作という感じの本だ。
旧刑法73条(天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス)の大逆罪を適用した初めての事件だった。大逆罪は一審で結審し上告はできない、天皇を殺害しようとしただけで死刑となる厳しい法律だ。
読み始めようとすると最初からつまづく。読み方がたいぎゃくなのかだいぎゃくなのか調べてもよく分からない。両方の読み方があるということは確かだが法律用語だからどちらかに法律上は決まっているはずだ、それが分からない。自分の記憶では だいぎゃく とおそわった覚えがあるが 広辞苑では たいぎゃく だいぎゃくともいう という表記でたいぎゃくが主流としている。但し逆の表記の辞書もある(精選版 日本国語大辞典)、ネット上の法律用語辞典ではだいぎゃくとある。NHK放送文化研究所編 『ことばのハンドブック 第2版』ではだいぎゃくで放送ではだいぎゃくとするとなっているらしい。法律用語はだいぎゃくだが慣用的にどちらもあるということのように思えてどうにもすっきりしない。
読んでみるとどこか事件のデイテールにに固着しすぎているところを感じる。世界のあちこちで社会主義者や無政府主義者の動きが沸き起こりこれを国家が必死で押さえつけようとしていた時代全体の雰囲気があったはずだがこれが感じられにくい、事件の起こった1910年はロシアでは帝政がデモで揺らいでいたはずだ、そもそも日本政府は5年前の日露戦争時に明石大佐が工作活動で欧州・ロシアの反政府活動を強力に支援しており、世界的に勢いづく社会主義や無政府主義の運動をどこよりも感じていたはずだ、その上での抑え込みだったのではなかろうか。爆裂弾を製作し襲撃を計画していた宮下太吉ら4名は死刑を免れることは難しいがトータルで24名に対し死刑判決が出た、これを機に危険分子の一掃を図ったのはある意味で起こりそうな事態だったとも思われる。この後に起こる関東大震災の混乱に乗じた大杉栄暗殺につながる脈絡なのだろう。
体制が欠陥だらけでもろかったからこそ僅かな反体制者の動きにもピリピリしていた当時の実像が見えてくるようなところがあって、まずまずの”小説”ではあった、しかしどこか物足りさを感じてしまうのはどうしようもない。こんなものかと思ってしまう。
もっと読まねば。
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