中国語の教材から香港を理解する
このところ出不精になってきている。やることすべてに処理速度が低下して、時間をうまく使えなくなってきたことにもその一因があるようにも思う。
無駄ではないがあちこち手を出しては途中で止めてしまうことも目に付きだした。
最近では市政だよりにあった陶芸教室に通ってはみたが2か月ほどで止めてしまった。どうにもおばさんの習い事の雰囲気が強くてどうしても馴染めなかった。ソバ打ちも暫くやってみたがこれもどこか馴染めなくて足が遠のいている。
歳がいってくると人に合わせて何かをやっていくというのはあまりうまくいかないような気がしている。
どうにも しばらく続いている放送大学くらいが習い事としては無難なようだ。
今年の下期は上期に続いて中国語をとってみている。中国語2という講座だ。会話ではなく文章の読解中心になっていて、ちょっと大学の英語の講義のようなところがある。かなりしんどい、覚えられない。試験がきちんとあるところが放送大学のいいところだが覚えられなくては試験などとても受けられないような気がしている。
とにかく毎週の講義は聴いている。何人かの中国の作家の文章を教材にしているのだが、今は北島(Bei Dao、ペイタオ)という現代中国の詩人の「銭阿姨」という文の読解に入っている。作者の幼い頃家で働いていた銭おばさんというお手伝いさんにまつわる思い出を書いた散文だ。文革前後の中国の普通の暮らしがどう展開していったかというのがリアルに読めておもしろいのだが、興味深いのは作者の北島だ。同じくらいの年だ。日本の高校にあたる北京第4中学に在学中に文化大革命が始まり彼のいた学校は紅衛兵の拠点の一つとなる。学業は中断されその後建築労働者として働くことになるがその傍ら仲間と文芸雑誌「今天」の発行を始め先鋭的な詩を発表、現代詩の分野で中国文学界に大きな影響を与えていった。雑誌は政府から強制停刊を命じられその後天安門事件を機に米国に出国して欧米を流浪していく。以降中国本土には戻っておらず、2008年からは香港中文大学教授として香港に定住している。昨今の香港の必死の抵抗を見ていてここまでやるかと思っていたが、今の中国に疑念を抱いている中国人が流れ着いているそんな場所なんだ香港というところは、と合点する。必死になるわけだ、ここが最後の砦と思っている人たちが大勢いるに違いないと納得してしまう。
「北島(ペイタオ)詩集」を図書館から借りだして読んでみる。暗喩だらけの詩だ。屈折した時空の繋がりを感じてしまう。
例えばこの詩集にある 「時間の薔薇」と題する詩の その最後の2節はこうだ。
無駄ではないがあちこち手を出しては途中で止めてしまうことも目に付きだした。
最近では市政だよりにあった陶芸教室に通ってはみたが2か月ほどで止めてしまった。どうにもおばさんの習い事の雰囲気が強くてどうしても馴染めなかった。ソバ打ちも暫くやってみたがこれもどこか馴染めなくて足が遠のいている。
歳がいってくると人に合わせて何かをやっていくというのはあまりうまくいかないような気がしている。
どうにも しばらく続いている放送大学くらいが習い事としては無難なようだ。
今年の下期は上期に続いて中国語をとってみている。中国語2という講座だ。会話ではなく文章の読解中心になっていて、ちょっと大学の英語の講義のようなところがある。かなりしんどい、覚えられない。試験がきちんとあるところが放送大学のいいところだが覚えられなくては試験などとても受けられないような気がしている。
とにかく毎週の講義は聴いている。何人かの中国の作家の文章を教材にしているのだが、今は北島(Bei Dao、ペイタオ)という現代中国の詩人の「銭阿姨」という文の読解に入っている。作者の幼い頃家で働いていた銭おばさんというお手伝いさんにまつわる思い出を書いた散文だ。文革前後の中国の普通の暮らしがどう展開していったかというのがリアルに読めておもしろいのだが、興味深いのは作者の北島だ。同じくらいの年だ。日本の高校にあたる北京第4中学に在学中に文化大革命が始まり彼のいた学校は紅衛兵の拠点の一つとなる。学業は中断されその後建築労働者として働くことになるがその傍ら仲間と文芸雑誌「今天」の発行を始め先鋭的な詩を発表、現代詩の分野で中国文学界に大きな影響を与えていった。雑誌は政府から強制停刊を命じられその後天安門事件を機に米国に出国して欧米を流浪していく。以降中国本土には戻っておらず、2008年からは香港中文大学教授として香港に定住している。昨今の香港の必死の抵抗を見ていてここまでやるかと思っていたが、今の中国に疑念を抱いている中国人が流れ着いているそんな場所なんだ香港というところは、と合点する。必死になるわけだ、ここが最後の砦と思っている人たちが大勢いるに違いないと納得してしまう。

例えばこの詩集にある 「時間の薔薇」と題する詩の その最後の2節はこうだ。
筆が地平線を描くとき
きみは東方の銅鑼に驚かされる
こだまの中で咲きそめるのは
時間の薔薇
きみは東方の銅鑼に驚かされる
こだまの中で咲きそめるのは
時間の薔薇
鏡の中は永遠にこの刻
この刻は再生への門へと通じる
その門が開かれる先に広がる海
時間の薔薇
(是永駿 訳)
この刻は再生への門へと通じる
その門が開かれる先に広がる海
時間の薔薇
(是永駿 訳)
解るというより感じるしかない。
香港の争乱は現代史の重要なワンカットになろうとしている、そう思えてきた。何が起ころうとそのままを受け入れなければならないのだろう。人類とはこんな生物なのだということを理解することになるのだろう。
こんな風に何気なく始めた学習がまさに現代の様相を切り開いてくれるところにこの時代の面白さがあるような気がしてきた。学び続けることは大事だ、また思ってしまう。
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