チャドクガから無へ
今年は梅雨らしい雨と晴天が交互に来る陽性の梅雨の様だ。陽性という言葉は書いてみると今日的には響きが悪い、ウイルス検査の陽性のように体のどこかが反応してしまう。
ともかく梅雨らしい梅雨だ。生き物は一斉に忙しくなって、やけにはしゃぐスズメやカラスが飛び交い、虫 の世界も忙しい。モンシロチョウやアゲハチョウが、育てている植物に次々に卵を産み付けていく、これを見つけてはポッドに入れて育てたりもするが蛾となると育てる気がしない。駆除だ駆除だとやっつけにまわる。
今年も不気味に巨大な蛾の幼虫(今回はコスズメガの幼虫)が現れたと思ったら、それ以上に厄介なチャドクガが目に付くようになってきた。最初は黄土色の蛾が多いが何だろうくらいに思っていたが写真に撮ってネットで調べるとこれがチャドクガと判明、毒針をまき散らす故特に幼虫は危ない、成虫や卵にも毒針がついていて注意が必要、幼虫は密集して葉を食い荒らし悪くすれば植物が枯れてしまうとネットにある。これは大変と本腰を入 れた駆除にかかる。
昨年まではこんなにたくさんの黄土色の蛾は見たことが無かった、どこからか飛んできて庭木のツバキで繁殖を始めたようだ。まずは卵を産ませないように成虫をやっつけることから始める。見つけ次第網で捕まえて殺していく。補注網は生憎手元になくて魚用と思しき網があったのでこれでもやれるだろうと振り回しては捕まえている。朝からやると結構いい運動になる。毎日やっているとさすがに数が減ってきた、しかし卵は巧みに葉の裏に産んでいて卵も片っ端から見つけては葉ごとちぎって袋に入れて処分する。
卵は毎日5箇所以上見つかりゼロの日がない、毎日必死で卵を産んでいるようだ。その内恐れていた幼虫も目に付くようになる。ともかく殺虫剤で殺していくが毒針が飛びそうであまり近づけず死骸はそのままにしている、まずいのだ ろう、そのうち処理せねばと思っているが今は兎に角退治だ。
幼虫が食べたと思われる跡も幾つかの葉に見つかるが、木を枯らすほどでは全く ない。コロナではないが何とか抑え込みに成功しつつあるようで、次第に平穏な日々に戻ってきている。
木の根元にはオルトランという消毒用の農薬を埋めたりもした、そういえば昔両親が住んでいた頃に来ていた植 木屋が消毒もしておきましたというのを何度も聞いた覚えがある。植木屋は頼まなくなって自分で切るのも面白いと思っていたが消毒というのも大事なようだ。
ウイルスも巧みな戦術で生きながらえているし虫も子孫を残すために幼虫が食べられない様に毒を仕掛けているのだろう、命の循環からは当然の努力がはらわれているだけなのだろう。なのに、有害害虫だったり病原ウイルスだったりと嫌われ者にされている。すべての生き物が調和して生きていくというお釈迦様の世界は土台無理なことなのだろう。
地球はなぜ存在するのだろうか、ウイルスはなぜ存在するのだろうか、害虫はなぜ存在するのだろうか、そこには大仰な理由はどこにもないに違いない、ただ無があるだけなのだろう。無目的な存在に囲まれてすり抜けるように生きていく、生き続けるにはそう思いきる他ないような気がしている。無が本質だ。
こんな風に考えていくと虫退治から思いが時空に広がっていくこと自体が言いようもなく面白い。世界は面白いことで満ちている、改めてそう思う。