« また月下美人 | トップページ | 放送大学で「文学・芸術・武道にみる日本文化」を学ぶ »

2020年7月21日 (火)

太宰治の開戦前後の小説がリアルで

 

太宰治の太平洋戦争開戦前後の時代の作品を読んでいる。太宰治は変なこだわりのある文章は書かない、当時の普通の国民の雰囲気が伝わるよDazai うな気がしていた、それが知りたかった。

昭和15年12月から16年6月までに雑誌「婦人画報」に連載された「ロマン燈籠」
昭和16年12月に雑誌「知性」に発表した「誰」
昭和17年1月に雑誌「婦人画報」に発表した「恥」
ここらあたりまでは戦争の影は特に感じない、それぞれに太宰らしい作品だ。
昭和17年1月に雑誌「新潮」に発表した「新郎」
ここからちょっと雰囲気が変わってくる、1日1日が貴重で透明な日々となってくる、几帳面な日々というべきか。
この作品の最後に(昭和16年12月8日之を記せり。この朝、英米との戦端を開くの報を聴けり。)と追記している。開戦寸前の時代の空気感が感じられる。
昭和17年2月に雑誌「婦人公論」に発表した「一二月八日」
作家の妻の語りという形で12月8日という日を描いている。溢れる戦勝のニュースと漠然たる不安、米英をやっつけてほしい心、それぞれがそうだろうと思わせる、もう一度こんな状況になれば人は矢張りこう思うだろうと思ってしまう、リアルだ。
昭和19年3月に雑誌「新若人」に発表した「散華」
太宰家に出入りしていた若い詩人が応召しアッツ島で玉砕した。太宰宛の最後の手紙に 大いなる文学のために死んでください、自分も死にます、この戦争のために。とあったのに強い感銘を受けている。死がすぐそばにある時代の雰囲気がリアルだ。もしかしたら昭和23年の太宰の自死にはこんな背景があったのではないかと思わせる。
昭和19年9月に雑誌「文学報国」に発表した「東京だより」
友人の画かきが徴用工として徴用されその工場を訪れた時に遭遇した働く同じような顔をして個性をなくした少女の群れに一人だけ違った個性的な美しい顔を見出す、それが生まれつきの障碍者であることが追って解り感銘を与える、という純粋な話。追い詰められていく時代のそれでいてピュアな雰囲気が見事に描かれている。

、いずれも短編だ、戦争の時代をそのまま描き切っていて、太宰らしさは全く失われていない。

あの戦争は日本国民にとって何だったのか、また同じような状況に陥ったらどうすべきなのか、考えておかねばと時々思う。
おかしな大統領を40%の国民が支持しているという国の軍隊を治外法権で駐留させていることの恐ろしさ、中国とナチスドイツがどこか似てきていることへの恐れ、そんなことを感じていると、きな臭い日々がまた訪れるかもしれない、と思い始めてそうさせるのだろうか。そこはかとない未来への不安が漂ってきたようだ。

 

|

« また月下美人 | トップページ | 放送大学で「文学・芸術・武道にみる日本文化」を学ぶ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« また月下美人 | トップページ | 放送大学で「文学・芸術・武道にみる日本文化」を学ぶ »