また月下美人
このところネオワイズ彗星という彗星が日没後北の空低くに目視できるらしいが天気が雨か曇りばかりでとても夜に星を見に出かけるという気にならない。福岡市近辺では海辺でないと北の低い星は見にくいだろう、海辺に出かけるというと百道浜や小戸あたりか志賀島あたりかと浮かぶがこんなところに夜行くのは天気が悪いとなると、とりわけ気が進まない。しかし気になる。
つい2-3日前、自宅の月下美人が2晩続けて開花した。蕾は当初3つあったのだがさすがにこれは多く、嵐の日に一番弱い蕾は落ちてしまった。そ れにしても同じ株から連続の開花は少々驚いた。初めてだ。大きな花だけにパワーがいる。月は下弦の細い三日月にあたり、満月に咲くという俗説には沿ってはいない。最初の花は殆ど香らなかったが2番目のは特有の強い香りを放った。親から引き継いだもう数十年になるかという株だが5~6年くらい前に雪で枯れかけて蘇ったという経歴があり、よく ぞここまでと思ってしまう。今年は秋にもう一度咲かせてくれるだろう。そうやって月日は巡り行く。植物と共に生きるという感覚にはいいものがある。
この頃は縄文以来日本文化の根幹にあるといわれる山川草木全てに神が宿るという考え方を強く感じるようになってきた。全てと共に生きている。それぞれは何かの一部であり全てである。生き物としてのDNAのしくみを何であれ共有していること、それが全ての生き物への同一感であり、生物は結局は地球が提供してくれる元素を組み合せて存在を続けていること、それが山川への連続的繋がり感なのだろう。そして地球を生み出したとされる46億年前からの彗星群に対するものでもある。
梅雨もそろそろ終わろうとしている。この夏はどう過ごそうか。
| 固定リンク
コメント