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2020年9月16日 (水)

台湾の今と日本と

中国の香港直接支配化・南シナ海占領進展等々と事態が刺々しくなってきて中国と台湾の関係がますます微妙になってきているのもあって台湾の金門島はどうなっているのだろうと少し調べ始めた。何故中国本土のすぐそばの金門島が国境なのか。

調べていくと、共産中国の侵攻が金門島で食い止められたのには終戦後密航して台湾に渡った旧日本軍の将軍の寄与が少なからずあった、という記述に行き当たった。初めて聞く話だ。根本博という陸軍中将がその人だという。

根本は終戦時には内蒙古にあって南進するソ連軍から4万人の在留邦人を守るため、独断で武装放棄を行わず戦闘を継続し無事脱出成功に導いたという。戦闘終結後は陸軍北支那方面軍司令官として蒋介石に相見え降伏文書にサインもしている。

その後この4万人を含む中国大陸に残された数百万人の邦人は蒋介石の協力で速やかに日本に戻れており、更に、1943年のカイロ会談で天皇制維持を認める蒋介石発言があったことが明らかにもなり、根本は蒋介石の恩義に深く感謝していたという。いつかこの恩を返さねばとの思いがあったということのようだ。

調べていくと、この台湾の戦いの話が『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(門田隆将著)に詳細に書かれていると分かり早速図書館から借り出してきた。ここには根本らの助力により金門島で蒋介石軍が中共軍に大勝した戦いの様子とそこに至るいきさつが詳細に描かれている。Nemoto  
根本陸軍中将が金門島の戦いに重要な役割を果たしたという事実は現在の台湾側の正式な歴史文書からはすべからく抹消されているのだが、著者の門田は当時の戦いに実際に参加した人またはその家族からの証言を丹念に現地取材で集め当時何が起こっていたのかを明らかにしている。大変な労作だ。
根本の台湾密航のアレンジに日本国内で奔走したのが、あの日露戦争時ロシアで反政府革命運動(結局それがロシア革命に至る)を支援工作した明石元二郎の息子であった、というのも驚きだ。明石元二郎は最後は台湾総督として台湾の近代化に尽くしていた、福岡出身だ。

いくつもの線が交叉し織りなして現在という時代は成立していうこと自体は当たり前のように思っているが、この話には驚くばかりだ。歴史はやはり人だとまた思わせる。大きな歴史の流れは唯物史観のような力で動かされるのは事実にしても大事な瞬間にまさにふさわしい人がその時空に存在したかどうかで実際に起こることは大きく振られてしまう、だから歴史は面白い。


コロナ騒ぎが終息したら台湾にも行ってみなければ、そう思いながらコロナ明けを待つ日々が続く。

(写真は1952年、台湾から帰国した時の根本博氏、『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』による)

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