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2021年1月18日 (月)

ジェーン・エアとサルガッソーと

放送大学で今回は文学批評入門という講座をとっていたが、やっと試験解答も送り出し一先ず終わった。結構難しい講義だった、そもそも文学系の講義は大学ではとった記憶がなくてこんなのははじめてということもある。
その講座 の中のポストコロニアル批評についての講義で紹介された本にシャーロットブロンテが1847年に書いた「ジェーン・エア」とジーンリースが1966年に書いた「サルガッソーの広い海」がある。前者は有名なイギリスの少女小説で後者はこれを補足するようにカリブ海の作家によって書かれた小説だ。「ジェーン・エア」は貴族・ロチェスターとその屋敷に家庭教師として来ていたジェーン・エアの恋物語でちょっと趣味に合わないので書名は知ってはいたものの読んだことはなかった。一方の「サルガッソーの広い海」は「ジェーン・エア」で書かれたロチェスターの屋敷に閉じ込められたカリブ海出身の狂った妻バーサの物語で、「ジェーン・エア」での扱いがあんまりだと作者の経験に基づいてその人間模様を描いた作品で、主人公が閉じ込められていたロチェスターの屋敷に火をつけて自殺するところで終わる。このシーンはジェーン・エアの後半の重要なシーンとなっている。
ポストコロニアル批評というのは植民地時代の文学作品の被植民者に対する扱いが一方的でありこれを正すという立場から1970年代後半以降展開されている文学運動ともいえる。BLM運動にともなって最近展開されている植民地時代の悪行の見直し、銅像の引き倒し、と軌を一にするといってもいい点で現代的話題ともいえる。
Sargasso 「ジェーン・エア」は粗筋は大体わかり昔の本も自宅にあるので「サルガッソー」の方を図書館から借りてきて読んでみた。あまり楽しい小説 ではない。こんな紹介が無ければ手を出さないと思われる読み物だ。「ジェーン・エア」では美化されているロチェスターは資産狙いの愛情の無い結婚で主人公アントワネット(バーサ)と結ばれその疎外感にアントワネットは精神を傷め悲劇の結末に至る、というのがあらあらの筋だ。サルガッソーの海とはカリブとイギリスを隔てる海を指している。途方もない隔絶がそこにあることを欧州人は悟るべきだというのだろう。

シャーロットブロンテがジェーン・エアを書いた時、実際に屋敷に閉じ込められていた狂った女の話がイギリスで知られていたようでこれを下敷きに使ったと思われている。そんな植民地時代の雰囲気の中で書かれたのがジェーン・エアというこの小説ということになる。新大陸発見後早い時期にイギリスからカリブへ植民した植民者達は苦労を重ねたあげく、後から来た黒人たちにも奴隷解放後白いゴキブリと嘲られイギリス在住の白人たちからも見下され、屈折した生き様しか残されていないコロニアル状況がそこにあったということの様だ。それを認識されるべきだということの様だ。

しかし考えてみると、後の世から見ても欠陥の無い文学作品というものが普遍的にありうるものなのだろうか、作品自体を歴史的なものとして捉えるほかないのではなかろうか。ポストコロニアル批評それ自体もそれが有する偏りから逃れることは出来ないのではなかろうか。人類は過去を許しあうことでしか結局は生き残る道がないのではないか、そんなことも考えてしまう。色々考えることが学ぶことなのだろう。

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