マイルスディビスを止めどなく聞き直して
公民館のジャズコンサートに行き損なったのもあって、また少しJAZZを聴き始めた。心になじむ。昔聴き馴染んだ音からは一生離れられないのかもしれない、時々そう思う。前へ前へとばかり進むことにはとうに飽きてしまったからかもしれない。
聴いていくとマイルスディビスが何となく浮かんでくる。手持ちのレコードやCD、MDに何があるかと考えてみると、結構もってはいるが当然ながら色々抜けている、特にエレキ時代の多くは抜けている、何うかなア、という感じが当時あったような記憶があるが、しかしエレキに入る寸前のネフェルティティも無いようなのはちょっと気 になる。
真面目に聞き入った記憶がないが、頭の方を少し聞いて 聞きなれぬ音になってしまったなあと思ってしまったのかもしれない、もう50年以上前の話だ。改まって評判を今更ながらとnetで探ってみるとこれがベストアルバムだという人もいるくらいで、やっぱり手元に置いて落ち着いて聞いてみたい。Amazonでみると600円台で新品の輸入盤がある、輸入盤がどうしてこうも安いのだろうと怪訝に思えるが、ここは迷わず購入をクリックする。 元値はずっと安いはずだから今となっては一昔前の盤は値段はあってないようなものだということらしい。届いたのを聞き直してみると聞きやすい昔のマイルスが現れた。今の自分にはいいアルバムだ。
丁度オペラ ポギーとベスのMETのライブビューイング放映があったところでもあり、この録画も見てみる。マイルスディビスには1958年録音のポキーとベスのアルバムがあり、以前MDに落としていたのを見つけて聞き直す。曲順は話の順に近くはあるがぴったり合っている訳でもない、今まで気にしたこともなかった。MJQの1963年録音のレコードも聴いてみる、たまたまだがこれも持っている。そういう場面だったのかと一々納得する。もっと前に映画版でもいいから見ておくべきだった。オペラは暗い話だが演奏している曲だけ聞くとどちらにせよ明るく感じてしまう。曲が独り歩きしている、それも面白い。
止めどなく音楽を聴くことに移ろっていく、心地いい。
それにしてもマイルスの公演は直には見ずじまいになってしまった。コルトレーンやオーネットコールマン、アートブレイキーは来日公演を聴いた、多分ソニーロリンズも聴いたと思うが何故か記憶が怪しい、いずれにしろ10台のころだ。
生きている時間は人間そう長いものではない、生の演奏は聴けるときには逃さず聞かないと後悔する。演奏に限ったことではないが。
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