ブルックナーの8番を聴く
コロナにも慣れてきた様な感じで毎月1,2回クラシックのコンサートに出かけるというのをまた続けている。ワクチンもなかなか回ってこないし長丁場の戦いだけにバテないことが肝心かとも思っている。 昨日は福岡アクロスでの九州交響楽団の定期演奏会を聴きに行った。出し物はブルックナーの交響楽第8番だ。この曲はブルックナーは1887年に一旦完成していたが演奏不能と指摘され、修正して第2稿(現在主に演奏される形、今回の演奏もこれ)を1890年に書き上げた、次の第9番は未完のまま1896年に亡くなっているので、これが完成されたものとしては最後の交響曲ということになる。
1890年といえば世はアールヌーボーの世紀末的雰囲気が色濃くなってきた頃となる。しかしこのブルックナーの第8番からは世紀末のデカダン的雰囲気というより終わりいく19世紀へのこだわり、19世紀を集大成したいという願望を感じてしまう。これでもかとのしつこさがある。大編成でもある。この日の演奏はハープ2本ほか客演としての演奏者は30名を数え、常任の演奏者と合わせると95名にも達するようだ。舞台からこぼれんばかりだ。演奏時間もおよそ1時30分にも達する、演奏する方も聴く方も体力勝負のところがある。なかなかの演奏で終了とともに拍手万雷だがアンコールは勿論ない。
終わりまで休憩もなく、聴いている最中はあたかもブルックナーの海を漂流している気分になる、今どの辺りにいるのか分からなくなる。滅多に演奏されない曲のように思うのでこれを聴くのはこれが最後になるのかもしれない。
ブルックナーという人はオーストリア・リンツ生まれで、基本的にオルガン教師だったと言われる。作曲し作品を出し始めたのは30歳台後半と遅く、音楽の天才とは対極にあるような人だったように思えてしまう。40歳以降ひたすら書き続けてついに後世に名を残す作曲家となったのは立派としか言いようがない。その意味でも集大成の思いが詰まったのがこの8番ということになる、これでもかと迫り来るのはしようがないのだろう。
それにしてもコロナの鬱屈した雰囲気が流れるこの時代にはこんな漂流するような音楽に浸り続けるのが案外いいのかもしれない、そんなことも思ってしまった。四月ももう半ばを過ぎた、いつまでこの雰囲気は続くのだろうか。
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