高良山のツツジと高良大社と
朝方、熊本の大津(おおづ)のツツジの話をしていて大津まで出かけないにしてもツツジ見物もいいなと、ネットでこの辺りのツツジのいいところを探してみる。久留米の森林ツツジ公園というのがひっかかった、ちょっと良さそうに見える。天気もいいし今日今からでも十分行けるとすぐ出発した。高良大社の近くだ、こちらも見てみたいというのもある。
ナビに従って下道を走り出したが車が混んでいるのでナビの勧めもあって高速に乗る、しかしこちらも相当に混んでいる。鳥栖JCTまでは時速30kmで走れれば、やったぜ、というくらいのノロノロ状態だ 。久留米で高速を降り、高良山の上りにかかると道が思ったより狭い。片側一車線がギリギリ保てている位で、左右どちらにせよ脱輪すると相当にまずいことが起こる道がうねうねと続く。やっとここかと思うところに着くと、ウソのように広々とした駐車場だ。見晴らしが良く筑後川流域が一望でき山側には鮮やかなツツジ模様だ。これはいい。
座る場所を見つけて持参のコンビニランチをとる。目の前一杯にツツジが広がる。全てクルメツツジの様だ。色とりどりのツツジの小道を上に行ったり下に行ったりしていると、茂みからホオジロやアオジが突然でてくる。姿は見えなかったがソウシチョウの鳴く声が盛んで、ヤマガラもうるさい。鳥もツツジを楽しんでいるようだ。
那須などで見ていた自生のヤマツツジの森ではなく、各種のクルメツツジを人の手によって斜面一杯に植えて造られた森林ツツジ園だ。なーんだというところがなくもないが、キレイだから文句を言う筋合いはない。明治百年記念事業が発端であったと看板にある、5-60年かけて今の姿になったということらしい。
夏目漱石は熊本時代にここ高良山を訪れたようで石碑が残されている。高良山山頂も少しの上りで行けるようだったが、山頂には行かずじまいで帰る、後で調べると山頂を囲むように南北朝の頃に築かれた毘沙門岳城の遺構が残っていると分かり見ておくべきだったと悔やまれる。
帰りに高良大社に寄る。階段のぼりが厳しそうに思えたが、横にスロープカーが設置されていて往きも帰りも利用した、とにかく楽だ、料金は無いがお賽銭程度をということで、適当にコインを入れる。上がると江戸時代初期の立派な社殿が残されており国の重要文化財になっている。裏手には神社の社域を囲む神籠石の一部も残されている、古代よりの山城の様だ、戻って調べるとこの神籠石は7世紀頃造られたらしいという。残念ながら高良大社の博物館は閉館中でよくわからなかったが、日本書紀によれば磐井の乱の決戦の地はここ筑紫御井郡(高良大社の住所は今も御井町1番地)であり、磐井の乱(西暦528年)とのかかわりも想像される、随分な歴史があるようだ。
帰りも高速を使う、今度は渋滞もなくスイスイと1時間くらいで帰り着く。ちょっと疲れたが、大和朝廷が支配を確立する以前の痕跡があちこちに残る九州という地の面白さを改めて感じてしまっ
た。
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