モームの「赤毛」とポーズするアオサギと
コロナでちょっと重苦しい日々が続いている。
何かしら小説を読んでいた方が頭の働きがいいように思って、最近モームの「雨」を図書館から借りてきて読み直すことがあった。文庫本のそのあとに入っている「赤毛」もついでにと読んでみると、どこかで最近こんなような話を見たなと思って思い返していた。そうか、(53年後 の)男と女だ、と思った(映画「 男と女 人生最良の日々 」) 。深く愛し合ったカップルが別れて長い年月を経たのちまた出会う、こういう設定はヨーロッパ好みなのかもしれない。
モームの書き方は冷たい、作品の視点は船長とともにあったはずがまんまと読者は騙されてしまう。船長本人が、会いに行った相手の男が語る妻の昔の恋人レッドだった、という展開は実は何の面白さもない、作者モームが面白がっているだけだ。書き方にもちょっと無理がある。
文豪といわれる人の後世に残る作品の一つがこんなものかと思ってしまう。これでは、53年後の男と女のほうがよっぽど味わい深いし、作者から裏切られることもない、読者と同時に流れる時間を感じるこころよい作品といえる。色んなことが少しづつ分かってくるようだ。
毎日のように散歩しながら鳥を見ている。結構面白いことにも気づく。今はアオサギが面白い。図書館の帰りにいつも寄って歩く溜池があるが、そこに1羽のアオサギが居ついている。少し前までは、安全だからだろうか水門のところの柵の中に入りこんで佇んでいることが多かったが近頃では池の水辺で様々なポーズをとる。どうも写真に撮られることをわかっているようで、わざと面白そうなポーズをとって見せるようだ。座り込んだポーズがこのところお気に入りだったが、この前は池のカワウが羽を広げるポーズにカメラが向くことを学んだのか、カメラを向けると あらよ とばかり羽を広げて見せる。たまたまそうなのかという気もして、見計らって又ぱっとカメラを向けるとすかさず翼をさっ と広げる、明らかにカメラポーズだ。面白い。昨日は、池の入り口近くにいたがあまり様にならないので水辺に咲いているキショウブを撮ったりしていたらアオサギは別のキショウブの群落まで飛んで行って背景がキショウブになる様にポーズをとる、なかなか決まっている、これは撮らざるを得ない。この日のインスタ投稿はこれにした。
遠出することもなく本を読んだり映画を見たり鳥を見たりの生活はまだまだ続きそうだ、ひょっとしたらもう元には戻らないのかもしれない、それでも毎日おやということに出会い続けられれば、それはそれで面白い時間の過ごし方のように今は思えている。
全てを受け入れること、それが肝心なようだ。
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