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2021年7月30日 (金)

オリンピック漬けの日々とアクロスのコンサートと

オリンピックが始まって、テレビばかり見る日々が続く。世界屈指のアスリート達の本気の勝負は大抵の番組より遥かに面白い。
しかし、時には少し外さないときつい気がする。そんなのもあって、開会式の2日前の21日から競技が始まって6日目の27日にアクロスのランチタイムコンサートに出かけた。ダニエル・ゲーデというバイオリン奏者の演奏会だ。ダニエル・ゲーデという名は全く知らないままに、良さそうな予感がして出かけたのだが、予想通りというか、かなり良かった。
曲はPhoto_20210730234601
C.ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78「雨の歌」
C.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
J.マスネ:タイスの瞑想曲
F.クライスラー:
美しきロスマリン op.55-4
愛の悲しみ
ウィーン小行進曲
アンコール曲 : A.S.アレンスキー:セレナード ト長調 op.30-2
伴奏ピアノは大須賀恵里だ。

コンサートの出だしでは伴奏ピアノの音が大きい気がしたが暫く聞くとそのピアノの中から細く鋭くもクリアーな音が突き抜けてくる様がよく思えてくる。ゲーデの希望で伴奏が大きいのかもしれない。音のバランスといい音色と言い、えもいわれず素晴らしく、音楽そのものがよく響いてくるとしかいいようがない。近年になくいいコンサートだった。フランクのバイオリンソナタが特に心に残った。
戻って改めて経歴を見ると1966年ハンブルグ生まれ、若くしてウイーンフィルのコンサートマスターを暫くつとめたりもして世界的に活動している。相当な経歴だ、何やら合点がいく。日本語の自身のホームページも持っていてかなりの親日家のようでもある。神戸や東日本大震災に際しては来日してチャリティコンサートを何度も開いていたようだ。

コロナとオリンピックで閉じこもってばかりの生活からふうーと息が抜けた。

しかしこのオリンピックはやっぱりやって良かったと感じている。日々新しい驚きに出会う。感慨もある。昨夜はセーリング競技の有様をやっと見れるサイトに行きついた。470級女子の第3レースを全部見てみたがまるでアメリカズカップ中継のようにヘリも飛ばして今どの艇がどの順番に走っているか分かるように映像で追ってくれる、素晴らしい、ヨットレースは海岸から眺めたのではとても解らない。日本チームがトップを走るレグもあPhoto_20210730235201 ったりして世界のトップクラスのセーラーと互角の勝負を戦っている模様が伝わってくる。TVで放送されないのが残念だ。見ていると数年前にやめてしまったヨットクラブでのレースを思い返してしまう。スタート前の場所取りなどやっていることはレベルが違えど同じように思える。やっぱり海は好きだ。

寝不足の日々が続いていく。オリンピックが終わったら何をしようか。

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2021年7月25日 (日)

蜜蜂と遠雷

「蜜蜂と遠雷」を読んでみた。。しばらく前のベストセラーだが、映画になり芝居にもなって博多座に公演が来たりしてまだ人気があるようで少し気になって読んでみようかと図書館に予約した。長い待ち行列の後ろに着いた形で当分回って来まいと思っていたらコロナで1月以上閉館になったのを機に諦めた人が多く出たのか突然のように番が回って来た。
借りてくると本はもう随分傷んでいる。殆ど外れていて挟まっていHachimituenrai るだけという数ページがあって少々驚く。厚い本だ、直木賞と本屋大賞を同時に受けて爆発的人気となったようだがこんな厚い本が百万部も売れると出版社はたまらないだろう。順番待ちの列はまだ後ろへ伸びているので貸し出し延長は出来ない、急いで読み始める。
浜松の国際ピアノコンクールを下敷きにしたと思われるピアノコンクールに挑戦する若い音楽家達の群像というのが骨組みだが、小説らしく無い。場面の展開が如何にもお話のようで、まるで劇画を読んでいるような気がする。よく調べられていて設定はリアルだが人物がどれも少々現実離れしている。しかし受賞するだけあって話は面白い、言葉もやさしいのでズンズン読めてしまう。
途中から結末がなんとなく見えてきてその通りになるので興を削がれなくも無いが、まあ劇画だ、と思って気になるほどでもない。
今様の小説の一つの典型がここら辺りにあるのかもしれない、そう思ってしまう。今という時を表しているようだ。


コロナのワクチンは2週間以上前に2回目を打ち終えたのもあってひと頃ほどには気を使わなくてもいいのだが、第5波到来と騒がしいのもあって散歩と図書館から本を借り出して読むといった日々が続く。それに加えてオリンピックが昨日から本格的に始まったので今や本当に巣ごもりの日々に浸りきっている。
コロナ禍の当初は刺激的なところもあったが、結局のところあまりいい日々ではないな、今更のようにそう思い始めている。終わりは当分きそうにない。

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2021年7月23日 (金)

和歌を学んでみようと

放送大学で半年に1つずつ学んでいるが今期は和歌としてみた。「日本文学と和歌」という講義だ。NHK和歌に半月に1回投稿して入選したこともあるが最近は惰性で作っていて、一度和歌とは何かというところをきちんと学んだ方がいいのではないか、と思っていた、そのあたりがこの講義をとった動機といえるのだろう。数日前に試験答案も送り出して終わったところだが、さて何だったのだろうと振り返ってみる。
万葉から江戸期までの和歌がどの様に詠まれてきたか、という短歌の歴史的経緯を学ぶのが中心となる。
学び終わって振り返ると、武家が支配する時代は天皇・公家は和歌の編纂にばかり力が入っていたようにみえる。そこに存在の価値を込めていたのだろうか。新古今和歌集の後の南北朝から江戸に至る時期の和歌など注目したことが無かったが、形式に堕せず現代的な率直な歌が幾つも見られて少し驚かされる。例えば14世紀に登場した京極派の中心人物と目される光厳院のともしびのうたに、
ともしびに我も向かわず灯も我に向かわずおのがまにまに
とあったりする。
古歌にUta とらわれず表現が直接的で現代に響いてくるようにも感じられる。
古い歌を踏まえた歌というのが歌道の基本にあったと思っていたが、そんな時ばかりではなかったようだ。古歌を学ぶにしても、うたの言い回しというよりその古歌をを読むに至った作者の心の動きを学ぶべきだ、との教えが尊重されたりもしたようだ(和歌嫡流の二条家・二条為世の弟子であった和歌四天王の一人、頓阿による教え)。
和歌の歴史そのものが生き生きしているように見えてくる。
学んでいくとどうしてもこの和歌という形がどうやって成立していったのか、万葉仮名で音を写し取って万葉集が成立したように、文字伝来以前、語る言葉のみを用いて和歌が成立していたのは明らかだ。それは何処から来たのか、とどうしても疑問になる。この講座の範囲ではカバーされておらず、講師に質問すると、<うた>起源考 藤井 貞和/著 という本を紹介されて図書館から借りだして読んでいる。
読むと、外から来たとすると南インドのタミル語のサンガム詩に強い類似性が見られるという説が紹介される。大野晋によるもので日本語そのものとタミル語の類似性の指摘とともに語られているようだ。著者も無視できない説としており、共通の祖先を持つのかもしれない。南回りに言語文化が波及したという見方は10万年前のホモ・サピエンスの出アフリカから東進して来た人類の歴史を示しているようにも思えてくる。

またいろいろのことを学んだ気がする。学び続けることが生きるということかもしれない。

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2021年7月15日 (木)

カナダの"熱波"を少しだけ調べる

ニュースを見ていたらカナダ西海岸が異常高温で山火事が頻発しているという。
カナダ東海岸の気温を調べて見ると報道のあったLytton(北緯50.233 西経121.583)での49.6℃は確認できないがその近くのAgassizのsynop点(北緯49.250 西経121.767) のデータがみつかり、2021.7.29 0:00UTC(現地時間28日14時)に気温40.4℃が確認できた。相当の高温には違いない。
20210629950hptemp どういうことだろうと、世界の850hp(約1500m)高度の気温分布(GSMデータ)をダジックアースで球面表示して、去年の同じ日の気温分布と比べてみる。
去年は米カナダ国境付近で止まっていたネバダ砂漠の熱気が今年は国境を越えてカナダに大きく侵入した形だ(米国のこのあたりにあるデスバレーは20世紀の初めころより長らく世界最高気温計測地点として知られていた)。(左図、左が今年、右が去年)

上空の気圧(500hp高度)をみると、その分布が今年はこの地域で高気圧的となっていることと関係しているように見える。(上が今年、下が去年)。20210628900utc500hp2
地球を巡る大気の波動が今年は少しずれたようだ。大雑把に見るとこんなことは何十年かに一回くらいは起こりそうだ。

20200628900utc500hp2100年に一回でも地球の歴史の時間では非常に短いサイクルに思えるがカナダという若い国にとってはびっくり仰天ということかなと思ってしまう。

地球温暖化議論はあくまでも平均気温の議論なので、これがいわゆる人類活動の結果CO2が増えたことによる温暖化のせいと簡単に言い切ってしまうことはできない。

単に人類が無知なだけのように思ってしまう。刺激的なニュースのみが求められる現代のネット社会ではあらゆることが驚きで測られているような気がしてきている。それに即して有象無象のメディアがびっくりニュースを垂れ流しているようだ。
そんな風景が面白くもある。

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2021年7月12日 (月)

梅雨前線を引くのが

梅雨も終盤を迎えてあちこちで豪雨被害が出ている。


気象を眺めていてこの時期頭を悩ませるのが梅雨前線の引き方だ。通常の温帯低気圧、古典的ないわゆるベルゲン学派モデルの低気圧、では暖気2021071012spas_ と寒気の境目は気象データから読みやすく、その境目である前線を引くのはそれほど困難なことではない。しかしこの時期の梅雨前線はその上下が注目される割に気象データや数値予測データから前線位置を見定めるのはそれ程容易ではないように感じている。前線前後の気温の差もそれ程明瞭ではなく相当温位の分布図も多分に入り組んでいる。よく気象庁は引いているよと思うことがこの時期多い。
2021071018tanki_ 例えば今年7月10日21時(JST)の前線位置は速報天気図では図のように示され、これを解説した短期予報解説@12日am3ではその下の図のように今後の動きの予測を示している(図の数字(FT)は10日21時から何時間後かという値)。この予測図のもととなったであろう850hp相当温位の予報図をみると相当温位線が集まったところを拾っても前線位置にはならない(さらにその下の図)、薄っすら見える風の変わり目がその根拠のように見える。しかし気団を分ける前線がこんなフワフワしたものかとも思ってしまう。もう少しマクロに500hp高度の相当温位線を見てみると明らかに境目が日本列島に沿って見えてくる(右下の図)。これを見てもう一度850hpの相当温位図を見ると、そこらあたりの風の変わり850hpte21071012a 目が上空まで伸びて前線を形成しているとのイメージが出てくる。それならこんな風に引いてもいいかと思えてくる。
いつでもこんな手順で引けるわけでもない、南の太平洋の気団とオホーツクの気団の境目がどこかにあるはずだと色々なデータを見比べてやっと引けるような気がしている。こんな風に気象データを眺めるのもこの時期の楽しみでもある。

梅雨の終わりに近づき次第に日本上空のジェット気流が弱まり風も見にくくなってきている。そろそろ500hpte21071012utc3 梅雨も明けるということになるのだろう。

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2021年7月 6日 (火)

2021年06月の福岡市南区周辺の野鳥

夏鳥も子育てに入ったのか普段見れる鳥の種類が少ない。こんなときは幼鳥や若鳥の仕草が面白い。県外への遠出はコロナを気にして控えているがそれが日常になってコロナ明けでも遠出できなくなるかもしれないと懸念している

手元のメモに残された記録は下記の通り:

2021.6.1 16時 晴れ 風力0-1 福岡市南区長丘周辺の野鳥   中公園:マガモ2♂♀ 新市楽池:バン2+雛1 ハシブトガラス2 鹿助池:アオサギ,スズメ

2021.6.3 14時 小雨 8Cu/Sc015 風力2-3 福岡市南01sirochidr0609ca 区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ36、マガモ2♂♀、ドバト3, 新市楽池:アオサギ1、バン2+雛1、ハシブトガラス1、シジュウカラ1,スズメ5,

2021.6.4 16時 曇り 8Ac100 3Cu/Sc040 風力1-2 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ2、スズメ6、アオサギ1, 新市楽池:、バン3-4(1-2は侵入)、ハシブトガラス1、 鹿助池:アオサギ1,マガモ2♂♀、バン声

02misago0609a2 2021.6.7 16時20 晴れ 風力1 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ3、スズメ5、マガモ1♂  新市楽池:アオサギ1,、バン3(成鳥)、

2021.6.8 16時0 晴れ 風力0-1 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ムクドリ3-4、ツバメ1,スズメ、マガモ1♂  新市楽池:バン3(成鳥)、

2021.6.9 11時3003aobazuku0610d  晴れ 風力1-2 西戸崎の野鳥
コアジサシ3(上空)、シロチドリ1、ウミウ2、カラス2-3
志賀島 岩 ミサゴ2+雛1 、ウミウ2、カラス2
志賀島 北端 アオサギ1、イソヒヨドリ1、メジロ2、ミサゴ1

04magamo0616b1 2021.6.10 14時30 那珂川市 現人神社
 アオバズク1

2021.6.12 15時 曇り 8Cu/Sc020 風力0-1 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ17 新市楽池:バン3+声、アオサギ1、ツバメ2,ドバト3、ムクドリ1、鹿助池:スズメ6-8、ムクドリ6、バン1

2021.6.15 11時0 曇り 5Sc020 風力0-1 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ15、ハシボソガラス2、チュウダイサギ疑1、ツバメ3, 新市楽池:バン2、ハシブトガラス2 鹿助池:バン2、ツバメ2、スズメ8、アオサギ1、ハシブトガラス2、ヤマガラ声1

2021.6.16 14時40  小雨 8Cu/Sc010 風力0-1 福岡市南区長丘周辺の野鳥 鹿助池:、スズメ8-05kaituburi0618aa 10、バン声1、カラス2、カラ類(シジュウカラ疑)声2、中公園:、マガモ2♂♀+エクリプス転換中1、ムクドリ10,スズメ5、ハシブトガラス若1、ツバメ1
 
2021.6.18 15時30  雨 8Cu/Sc010 風力1-2 福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ムクドリ3、コゲラ声 新市楽池:バン1、アオサギ1、鹿助池:カイツブリ1、スズメ3-5、ムクドリ声1-2、
 
206cyudaisagi0622aa1 021.6.20 9時35分- 晴れ 福岡市鴻巣山の野鳥(墓地上遊歩道) 
キビタキさえ07kawau0624aa ずり1、ヤマガラ、コゲラ、メジロ、ハシブトガラス、スズメ
新市楽池:バン声、メジロ2 (チョウトンボ1,コシアキトンボ2)
中公園:ムクドリ6,バン1、スズメ、ヒヨドリ
 
2021.6.24 11時00 晴れ  福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
カワウ2、マガモ4♂、バン若1+成1、アオサギ1、ホシハジロ♀1、キジバト1、スズメ〈成+幼)、カラス

08suzume0624a 2021.6.26 9時00 曇り 8Cu/Sc020 福岡市鴻巣山の野鳥(墓地上遊歩道) 
コゲラ声2、カラス、シジュウカラ声、メジロ声、ヒヨドリ1
新市楽池:バン1
中公園:マガモ2♂♀、スズメ1、キジバト1、コゲラ声1

2021.6.26 16時30 曇り 風力1-2 福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥
スズメ、マガモ7、アオサギ1、カワウ1、バン1、ムクドリ1

2021.6.28 14時0  曇り 6Cu/Sc025 福岡市南区長丘周辺の野鳥 鹿助池:、スズメ15、アオサギ2、バン若2+成1、カワラヒワ声、ハシブトカラス1、シジュウカラ幼5、新市楽池:バン1、(チョウトンボ3,コシアキトンボ2-3)中公園:スズメ3-5、メジロ声1、(ハウチワ1)
 09sijyukarayou0628aa
2021.6.30 12時 曇り 7Cu/Cb040 風力 1-2 英彦山深倉峡の野鳥 
オオルリ声、キビタキ声、クロツグミ疑声
(ミヤマカワトンボ、ニホントカゲ)
 ---------------------------------------- 

写真は上から 

10banwaka0628aa1 シロチドリ(6/9) ミサゴ親子(6/9) アオバズク(6/10) マガモエクリプス(6/16) カイツブリ(6/18) チュウダイサギ(6/22) カワウ(6/24) スズメ幼鳥(6/24) シジュウカラ幼鳥 (6/28) バン若鳥(6/28)

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2021年7月 5日 (月)

ジョンダワーの「敗北を抱きしめて」を読む

日本の戦後に、極東裁判とは別に日本国民として自身の戦争責任を議論することなく戦争被害者の視点から戦争を捉える声が高々と叫ばれるのはどいうことなのだろう、あまりにも勝手ではないかと長い間思っていた。特にマスコミの無責任さに腹立たしい気持ちを抱いていた、おまえはその時何をしていたのだ、と。
ドイツと日本の戦後の戦争のとらえ方の違いを書いたイアンブルマの「戦争の記憶」なPhoto_20210705202601 んかを読んでみるが、どうにも断定的で、そうだろうかと、どこか違うような気がした、全体が捉えられていない。ほかにはと探しているうちに、もっと事実に基づき踏み込んだとされる本が書かれていることを知った、ジョンダワーの「敗北を抱きしめて」だ。増補版でも2004年初版だから新しい本ではない。

上下2巻に分かれた厚い本だがやっと読み終えた。確かによく調べている。
日本に対する感情がにじみ出ているがそれは優しくない、的外れもある、これだけ調べたのだ、どうだ、というところがあって謙虚さがない。評価が難しい。しかし戦後の7年位のGHQ支配の分かりにくい時代の記録としては便利だ、そういうことだったのかと思うところが幾つもある。天皇の責任を問わないとマッカーサー/GHQが決意してそれに反する報道や記事を検閲で容赦なくつぶした、朝日新聞が終戦直後に日本自身で戦犯を裁くべきだと主張し同様の声が幾つも上がったがこれもGHQの方針に反するとして潰されていった、明白な証拠が残っていて疑いようがないようだ。天皇は軍部の暴走の被害者というGHQによるシナリオがそのまま国民の意識にも影響し国民自身が軍部の被害者だという認識形成に至ったという分析は、確かにそうかもしれないと思わせる。加害者というべき行動が多々あったのではないかと思われるがそれを消し去ってしまったということのようだ。しかしこの本に記述されたことすべてを鵜呑みにはできないのは勿論だ。
後に映画監督となった小林正樹は終戦を獄で過ごした。出てくると世の中は全く変わっていないと感じたという。日本軍がGHQに代わっただけで超政府の機関が指示することに国民を上げて賛同しているという図式は同じということのようだ、という彼の体験もこの本では紹介している。確かに多くの色々の人の見方を拾い上げている,そこは貴重だ。
 この時期のベストセラーにも記述が細かい、驚くばかりだ。戦後史を立体的に細かく俯瞰している。よく調べ書き込まれていることには脱帽する思いだ。

読み終わってよく考えてみると、占領米軍の意図は初めから明らかで武装解除し更に今後とも日本が米国の脅威にならないようにするという点にあったように思える。非武装の憲法の国家として米軍に頼り続けざるを得なくし、米国に従属し続ける国とした、と考えざるを得ない。吉田茂はGHQが撤退すれば憲法を変えればいいと思っていたがそう簡単ではなかったと後に述解している。マッカーサーの言葉通り12歳の少年のように無邪気でありそれがそのまま引き継がれていったということのようだ。米軍駐留は容易なことでは無くならないだろう、それをある意味支えているのが左翼と呼ばれる人たちであることも一種の皮肉とさえ思えてくる。何か起これば米軍が日本政府を越えて事態をコントロールしようとする動きはこれを福島原発事故の際に米軍が見せたとする最近の文藝春秋記事(当時の陸幕幹部及びアメリカ太平洋軍幹部の証言に基づく)にも符合するところがある。

色々考えさせられる本だ。新型コロナで図書館が1か月以上閉館になり丁度借りていたこの本をゆっくり読めたということもある、この先何が起こっていくのだろう、転がりゆく時間を眺め続けるのが面白くもある。

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2021年7月 1日 (木)

コロナと音楽と

コロナの時代の出来事を書き残す上でコンサートの状況も外せないように思っている。
2週間ほど前にアクロスのランチタイムコンサートとしてチェロリサイタルがあって出かけた。
昼食はアクロス地下2階のそば屋でごぼてん蕎麦をたべる。客はまばらで感染の恐れは感じない。それにしてもいつも思うが店員さんは気が気ではないだろう、感染の恐怖を抱きながら生計のためには客は来てほしい、いつまで続くのだろうかこの試練は。
コンサートの方はCcellohirota0617a
チェロ/広田勇樹 ピアノ/矢野雄太
二人とも名前は全く知らなかったが経歴を見ると若手のバリバリのようだ。
主演奏者であるチェロの広田がマイクで話す、こんな形はクラシックの演奏会では以前はあまりなかったが増えてきたようにも思う。この時期の演奏会を可能にしてもらったことに心から感謝しているという、そうだろうと思う。不要不急の外出は自粛といわれると文化的活動は何もできない。関東が活動の拠点のようだが、福岡の弦楽器屋、まつもと から古い時代のチェロを入手、これで演奏していて、福岡に縁があるという。いい音色だ。
席は前から4列目左側、よく見える、1席おきの配置だ。それなりに席は埋まっている。
曲目は
サン=サーンス:動物の謝肉祭 より “白鳥”
ベートーヴェン:魔笛の主題による7つの変奏曲 変ホ長調WoO.46
間宮芳生:チェロとピアノのための「六つの日本民謡」 より “ちらん節”
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 op.119
アンコール曲目
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調 op.19 より 第3楽章
アイルランド民謡:ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)

ベートーヴェンによる魔笛の主題変奏曲がいい。ソルによる同名のギター曲があるがそれとは全然違う、伴奏のピアノがぽろぽろと控えめなのがプロフェッショナルさを滲みだす。チェロの響きがいい、ここちよくて、眠くなる。
プロコフィエフのソナタもちょっと面白い。完全なデュオだ、控え目なピアノとチェロがうまくからみあっている。
アンコールは2曲だが、もったいぶらずにそさくさと自分のペースで演奏、若い。若さが好ましい。

ちょっといいコンサート聴けた心地がした。

数日前、深夜番組であるBSのプレミアムコンサートの録画ビデオを見ていたらバイオリンの弓のドキュメントが放映されて少しばかりの驚きがある。、こんな世界があったんだ。パオ・ブラジル(ペルナンブコ)という、ブラジル特産のブラジルという国名の由来となった赤い木が弓の木として最も適していて、入手が難しくなってきたのをきっかけに欧州の弓製作者の団体が寄付を集めブラジルで植林プロジェクトを展開しているという。楽器本体と弓と弾き手の組み合わせがいい音楽をリアルに作ることでその世界が保たれている。パオブラジルが弓に使われるようになったのは200年も前からと語られていた、長い。

コロナはたっぷりの時間を提供してくれている。新しい目で世界を見直したり、深く考える時間を多くの人が持つことから、新しい飛躍がそこに待ち受けているのかもしれない。

100年経って今を振り返りたい。

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