ジョンダワーの「敗北を抱きしめて」を読む
日本の戦後に、極東裁判とは別に日本国民として自身の戦争責任を議論することなく戦争被害者の視点から戦争を捉える声が高々と叫ばれるのはどいうことなのだろう、あまりにも勝手ではないかと長い間思っていた。特にマスコミの無責任さに腹立たしい気持ちを抱いていた、おまえはその時何をしていたのだ、と。
ドイツと日本の戦後の戦争のとらえ方の違いを書いたイアンブルマの「戦争の記憶」な んかを読んでみるが、どうにも断定的で、そうだろうかと、どこか違うような気がした、全体が捉えられていない。ほかにはと探しているうちに、もっと事実に基づき踏み込んだとされる本が書かれていることを知った、ジョンダワーの「敗北を抱きしめて」だ。増補版でも2004年初版だから新しい本ではない。
上下2巻に分かれた厚い本だがやっと読み終えた。確かによく調べている。
日本に対する感情がにじみ出ているがそれは優しくない、的外れもある、これだけ調べたのだ、どうだ、というところがあって謙虚さがない。評価が難しい。しかし戦後の7年位のGHQ支配の分かりにくい時代の記録としては便利だ、そういうことだったのかと思うところが幾つもある。天皇の責任を問わないとマッカーサー/GHQが決意してそれに反する報道や記事を検閲で容赦なくつぶした、朝日新聞が終戦直後に日本自身で戦犯を裁くべきだと主張し同様の声が幾つも上がったがこれもGHQの方針に反するとして潰されていった、明白な証拠が残っていて疑いようがないようだ。天皇は軍部の暴走の被害者というGHQによるシナリオがそのまま国民の意識にも影響し国民自身が軍部の被害者だという認識形成に至ったという分析は、確かにそうかもしれないと思わせる。加害者というべき行動が多々あったのではないかと思われるがそれを消し去ってしまったということのようだ。しかしこの本に記述されたことすべてを鵜呑みにはできないのは勿論だ。
後に映画監督となった小林正樹は終戦を獄で過ごした。出てくると世の中は全く変わっていないと感じたという。日本軍がGHQに代わっただけで超政府の機関が指示することに国民を上げて賛同しているという図式は同じということのようだ、という彼の体験もこの本では紹介している。確かに多くの色々の人の見方を拾い上げている,そこは貴重だ。
この時期のベストセラーにも記述が細かい、驚くばかりだ。戦後史を立体的に細かく俯瞰している。よく調べ書き込まれていることには脱帽する思いだ。
読み終わってよく考えてみると、占領米軍の意図は初めから明らかで武装解除し更に今後とも日本が米国の脅威にならないようにするという点にあったように思える。非武装の憲法の国家として米軍に頼り続けざるを得なくし、米国に従属し続ける国とした、と考えざるを得ない。吉田茂はGHQが撤退すれば憲法を変えればいいと思っていたがそう簡単ではなかったと後に述解している。マッカーサーの言葉通り12歳の少年のように無邪気でありそれがそのまま引き継がれていったということのようだ。米軍駐留は容易なことでは無くならないだろう、それをある意味支えているのが左翼と呼ばれる人たちであることも一種の皮肉とさえ思えてくる。何か起これば米軍が日本政府を越えて事態をコントロールしようとする動きはこれを福島原発事故の際に米軍が見せたとする最近の文藝春秋記事(当時の陸幕幹部及びアメリカ太平洋軍幹部の証言に基づく)にも符合するところがある。
色々考えさせられる本だ。新型コロナで図書館が1か月以上閉館になり丁度借りていたこの本をゆっくり読めたということもある、この先何が起こっていくのだろう、転がりゆく時間を眺め続けるのが面白くもある。
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