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2021年8月28日 (土)

短歌が解らなくなって河野裕子の本を読んでいる

短歌を時々作っているが、解らなくなることがある。
11年前に亡くなった歌人河野裕子の歌が引っかかっていくつか関係する本を読んでいる。
初めに大森静香による河野裕子の本 「この世の息」を少し読んでいたが、どうしても短歌集の解説本のように思えて、自分にはあまりいい本でもないかなと思ってしまう。河野裕子が過剰に評価されてきたのではないかとも思えて短歌の世界の普通でなさをも感じてしまう。自分の言葉で自分の好きな歌を作ればいいだけではないのだろうか。
「家族の歌」という本も読んでいる。永田=河野家族で順繰りに短歌とそれに続くエッセイを書いていく形の新聞連載だが、これは読みやすい、そして感じる本だ。河野の死を挟んで書き続けられていて、河野裕子は死の5日前まで連載の一こまを口述筆記していた。明晰な文だ。このようにして心が覚醒したままこの世を去るというのが望ましいのだがこんなことができる人は何人もいまい。しかしよく残している、死に至るその心情が良く伝わってくる。歌の力なのだろう。最後の歌を詠んだ翌日の、死の当日には「我は忘れず」と下7だけよんで「うんもうこれでいい」と言って亡くなった、と書かれている、これも連載の一コマだ。これでいい というのが最後の言葉というのはうらやましい。身の周りにそんなことを言える状態で亡くなった人を知らない。
家族全員が歌人というのも驚くが、歌を読むことで言葉で語るより深く理解しあっている家族の姿が見えてくる。歌を書くと、単なる文章を書く以上に伝わるものが歌に乗せられる、乗せる技が歌人の技量ということになるのだろう。夫婦共Kawanoyuko_20210829102001 に歌会始の選者である日本で第1級の歌人同士のやりとりがここにはある。死が迫っている河野を見つめる家族の目、それをみる河野の目、そして、亡くなった後に続いていく家族の河野への思い、それがストレートな歌を含めた文でフラットに書き継がれている、河野を含めたそれぞれの思いがよく分かる、すごい本だ。
「あなた」という短歌集も借りてみている、網羅的で河野の歌の全容が読める気がする。
でも正直 歌だけが並ぶ歌集は読むのがきつい。オペラをアリアだけで埋めているような感じだ。
歌ばかり見よと言わるも味気なし レシタチーボの語りあるべし と思ってしまう。

短歌について書こうとするがどうにも話はまとまらない。漠とした空に漂うようなものかもしれない、今はそう思っている。

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