ゴッホ展を見る
福岡にゴッホ展が来ているとのお知らせをネットか何かで見つけて眺めていて、もう10年以上前東京でゴッホ展が開かれていたのを見に行ったことを思い出していた。忘れた頃にやってくるのがゴッホ展ということだろうか。去年の暮れから福岡市立美術館にゴッホ展が回ってきている。調べると前回は2010年の暮に東京で開かれその後福岡名古屋と巡回したが今回も同じようなパターンで東京-福岡-名古屋と廻る、同じところがプロモートしているのかもしれない。前回は没後120年というタイトルだったが、今回も没後130年とする予定がコロナでオリンピック同様1年ずれてこんな日程になったのかと想像して しまう。ゴッホが1890年に自殺で亡くなった後熱心に支援してきた弟のテオまでも半年後に病死し、テオの妻であったヨーが大量に残されたゴッホの作品を世に認めてもらうべくひたすら奔走し続けたようだ。そのかいあってか今ではだれの頭にも残るまでになったゴッホの作品群が知れ渡っているが、一方でそれを後押ししたのが多くの作品を買い上げ今回展示の中心となる絵画を所蔵するクレーラー=ミュラー美術館を残した富豪の妻ヘレンであったというのを今回初めて知った。ゴッホはある意味幸運な人だったのかもしれない。
眺めていくと単色の鉛筆によるスケッチと見える作品にも巧に絵具による塗が入っている、それが絵の魅力を増していることは明らかだ、これは現物を見ないと伝わってこない。
油絵も細かく見ると色の重なりが尋常でない、双眼鏡で眺めていくと頗る面白い。繰り出す技がすごいと素直に思う。
年代順に追うように見ていくが、いわゆるゴッホらしいめらめらとした作品は亡くなる前3年のアルル時代以降に集中しているのがよくわかる、37歳の生涯だからいかにも一年一年が濃い。
見るたびに新鮮な印象を受ける、次の没後140年に廻ってくる時には自分はどう見ることになるだろうか。たんたんと流れていく時というものを思ってしまう。
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