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2022年3月20日 (日)

辻仁成を読んで無差別殺傷事件を思う

この頃は、何でこんなことをしはじめたのだろうと思うことが目につきだした気がする。つい最近では辻仁成だ。誰かの文を読んでいて辻仁成の名が出て来たのは覚えているのだが何の話だったか、誰の文だったかどうしても思い出せない。何処かで聞いた気がする名前だが辻仁成の作品は読んだことがない、一つ読んでみるかとの気になって図書館で適当そうなのを探して予約した。ややあって準備できたとメールがあり借り出して読みはじめた。「海峡の光」という本だ。長編でもない。読み終えてからこれで芥川賞(1996年下半期)を取ったのだと知りふーんと思った、読後感がそれほどでもなかった。Kaikyou
もったいぶったひけらかすような文体がどうにも馴染めなかった。しかし、刑務所からどうしても出たくないと思っている人を描いているところが妙に現代的な印象を抱かせた。確かにそういう人がいる、そういう人が起こしていると考えると説明がつく厄介な事件がこのところ目につくような気がしている。誰でも良かったのだ、死刑になりたかったから、沢山の人を刺さねばと思った、等々。繰り返し日常を過ごさねばならないということに疲れたというか、面倒というか、もうやめたい、純粋にそう思う人が行動を起こし始めているような気がする。自由からの逃走ということだろうか。誰かの手によって殺してほしい、生きるにしても誰かの監視下で自身が生きることに責任を取る立場から解放してくれるそういう環境にはまりたい、生き続けることを自分で考えることから逃れられる、そういう環境。無期懲役か執行を待つ死刑囚。まさにそれだ。少し腑に落ちた。
エーリッヒフロムの書いた「自由からの逃走」という本を遠い昔古本屋で買った記憶があって、関係ありそうだと家捜しする、出て来た。読み始めてみるがこれは読みにくい、誰に向かって書いているのだろうか。おまけに古本だけに前の所有者が傍線を引きまくっている、読み続けることがとてもできない。これも新たに図書館から借りるかと「自由からの逃走」を予約したまではよかったが来たのはフロムのではなく日本人が書いた同名の小説だった。書名の商標登録はないのだろうか。ここで頓挫する。

何だかしゃっきりしない日々が過ぎて行く。現実が指の間からぼろぼろ落ちていく。

思えば現実とは思えないことが次々に起こり始める、それがこのいま生きている現代のまさに特徴かもしれない。

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