ドライブマイカーの原作をやっと読む
アカデミー賞ノミネート以来一躍名が知れ渡ったドライブマイカーだが、シナリオは直ぐに読んだし映画はネットで程なく見たもののしばらくは肝心の原作の小説には目を通さないままにいた、やっと図書館の貸し出し順番が10日くらい前に回ってきて読むことができて何かほっとした。「女のいない男たち」という短編集に収録されている、ひたすら読む。
あれ、という読後感だ、映画のシナリオは相当に枝葉を原作に追加している。シナリオ/映画では主人公の亡くなった妻が語っていた物語-女子高生が憧れる人のうちに侵入して印を残していく話が印象深いがそん なものもない。そもそもワーニャ伯父さんの舞台公演を地方都市で行うという舞台設定そのものがない。こんな改作も許されるのだと思ってしまう。
短編だからすぐに読み終えてついでだからと一緒に入っている「イエスタデイ」、「独立器官」、「シェエラザード」」、「木野」、「女のいない男たち」、を次々に読んでいった。それぞれにちょっと凝った深い小説に思える、こんな小説をドライブマイカーが文藝春秋に掲載されると決まってから次々に書き上げ毎月文藝春秋やMONKEYに掲載、この単行本の書下ろしにさえ使われるというプロフェッショナルな仕事ぶりに感心する、さすがだ。読んでいくと「シェエラザード」の中に憧れる人のうちに侵入して印を残していく女子高生の話が出てくる、幾つかの小説を組み上げたのが映画ドライブマイカーということのようだ。シナリオ(濱口竜介監督と大江崇充の共同執筆)はよく書けているという気がしてくる。映画という形の表現の面白さというものを感じてしまう。
思えばこの頃映画館で映画を見た記憶がない、コロナ騒ぎが終息したらまた映画館に出向いてみようか、そんな気分がしてきている。
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