シュテファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」
コロナ第7波の勢いが止まらない。7月末に九十九島の日帰りバスツアーを予約していたがコロナ患者急増で結構危うくなってきたと感じてキャンセルした。もっぱら散歩と読書の日々を送っている。
シュテファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」をこのとこ ろ読んでいる。書名がちょっと魅力的で図書館から借りて来て読み始めたのだが、12の歴史的瞬間を描いていてそれがともかく面白い、タラタラと読んでいる。短い歴史ドキュメンタリーの形で、そうだったんだと思わせるところが多々ある。はじめの方でトルコ軍によりコンスタンチノープルが陥とされたその日の有様を描いている。ヨーロッパの国々の関心の薄さ、あの東ローマの歴史的都市がトルコという異教徒に蹂躙されようとしているのに援軍は来ない、目先の争いにかまけている。必死に防戦したものの城壁の小さな門の防御が忘れ去られていて大軍がなだれ込んでくる。あっさり陥落して略奪虐殺の限りが尽くされる。なんとなくウクライナを思い出してしまう。
ナポレオンがワーテルローで敗れた時のことも興味深い。全軍の1/3を割いてプロイセン軍追撃にまわった部隊の指揮官が無能だった、本隊の救援に戻るべきという全ての部下の進言を聞かず戻らなかった上、敵に遭遇できずに彷徨い続けた、戻って来たのはプロイセン軍の方でウエリントン軍と合流した軍はたちまちナボレオン軍を打ち負かした。そういうことだったのか。知らなかった。
チューリッヒにいたレーニンが第一次大戦中にもかかわらず滞在中のスイスからドイツ・スカンジナビア経由の列車で革命が勃発したロシアに大手を振って戻れたその経緯、これも興味深い。通過国のだれかがnoを出せば戻ることができなくて革命は失敗したかもしれなかったがそうならなかった。
わからないのは、ヘンデルが死にそうな病だったのが突然回復してメシアを書き上げたあたりや、ゲーテのマリエーンバート悲歌誕生の瞬間、等を地球の歴史に刻まれるべき特別な時間として取り上げているその感覚だ。歴史的というより文学的空間にいるようだ。単なる実話もの、今の週刊誌や雑誌に暴露される真相はこうだという記事とはそこらあたりで異なっているのだろう、だが限りなく近いようにも感じてしまう。
味わい深い本だがそのリズム感に読みづらいところもある、何度も返却日の延長を行ってもういい加減返さねばという頃合いで慌てて読み進んでいる。考えてみればこんな日々もミクロな地球の歴史の一コマなのだろう。