コロナ4回目接種と小椋佳ファイナルコンサートと
もう半月前のことになるが市から接種券が届いてワクチン4回目の接種を受けた。前回は近くの医院には接種場所がなく集団接種場所である博多駅kitteビルでモデルナの接種を受けたが、今回はファイザーが入ったようで近くの医院でファイザーの接種となった。モデルナは1日たって結構な発熱が家内に出たが今回はファイザーだから大したことあるまいと思っていた、でも今回は自身もそれなりに体温の上昇があった。とにかく解熱剤を飲む、すぐに下がってどうということもない。ワクチンの発熱は脳がウイルスが来たと誤認して発熱させるものだから、解熱剤で下げればそれで十分のはずだ。翌日に福岡市民会館の小椋佳ファイナルコンサートのチケットを買ってあって、少し気にしていたが平熱で問題無く入場できた。しかしいつになったらコロナ騒ぎから離脱できるのだろうか。スペイン風邪は3年3波でほぼ終息しているが、こちらは2年8か月たっても第7波が到来して終息の兆しもない、重い日々が続く。
コンサートの方は、小椋佳78歳でこれが最後というのなら見ておこうかとチケットを買っておいたのだが、見ると確かに老人になっている、座っての舞台でたまに歩くと背中が丸くなって頭を出す老人歩きだ。声は一応出るのが立派ではある。スケジュールを見ると 2021.11埼玉/戸田から始まって既に北海道から沖縄まで廻ってここが22公演目だ、今年の11月東京までで全34公演を終わる予定が組まれている。前座もなくおよそ2時間の舞台を一人でこなしてこれだから立派だ、老人と軽く言うことはできない。ホールは満員、観客にも老人が多い、ファイナルらしい。
歌の方は、さすがに音程苦しいところもあり、だいぶよれている、もはや骨董の領域かもしれない。老人話が多いが、話が面白い。不細工な顔だが、生まれた時の話として顔を見た御祖母さんがこの子は一生食うに困らない顔をしていると言ったと後に聞かされた、確かにそうなった、とか、寺山修司と親交あり『 マッチ擦るつかのま 海に霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや 』の短歌を紹介する、言葉を学んだと。井上陽水ともポリドールで売り出し時期が一緒で仲がよかった、白い一日は彼との合作、等話は尽きない。持ち歌の他、他の歌手に提供した歌を次々に歌う、総決算なのだろうか。ファイナルコンサートといっても完全に引退するとは言い切っていないようで、まだまだやる気を感じてしまう。本当に死ぬまで音楽を続けそうだ、小椋佳という人生を眺めるようで確かに見た方がよかったコンサートだった。
終わってバ スで帰る、バス待ちに見た夕焼けが凄みのある美しさだ久し振りに見た、振り返って思うとどこか重なるところを感じてしまう。今後どう生きていくのだろうか。
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