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2022年8月20日 (土)

「量子力学と私」を読んでいる

朝永振一郎の量子力学と私を読んでいる。1997年に出た文庫本だ。25年前の出版だが入れられている分の最も新しいものでも1978年発表で日記などは1938年に遡る。日本の量子力学研究の歴史を俯瞰する思いがある。何気なく図書館で見つけて読みだしたのだが、朝永がノーベル賞をもらった繰り込み理論というものがまったくわかっていなかったRyousitomong ので何なんだろう、少しはわかりたいという気持ちがあったのが本当のところだ。
読み進むと、くりこみ理論の意図するところがやっとなんとなくわかった。量子物理と相対論をつなごうとすると無限大発散が出て先へ進めなくなる、これを回避する手立てとして実験値が得られる形のところで実験値を代入すれば計算を進めることができるという手法と読める。発散そのものは打ち消しあう負の発散があって消されるようだが数式をうまく入れ子にできない様だ。読んだだけではそれがノーベル賞に値するとはどうしても理解できない。逆にはこんな姑息ともいえる手段を取らないと量子力学全体の世界が見えてこないということが自然によって仕組まれているようで、それだけ直観では理解不能なことに満ちている世界のようだと感じる。こんなことが物質の根源である素粒子の世界を支配している、言い換えればこの世の根源を支配している、それにやっと近づけたということなのだろう。この本を読んだだけではそれくらいのことしか分からない。
それにしても戦争前夜のドイツ日記が生々しい。研究に取り組むが、解からない、もどかしさ、無力感、リアル。走り書きの日記そのものだ。こんな日記も公開してしまう人間的太さを感じてしまう、普通なら恥ずかしくて出せない。
こんな研究を1940-50年の戦前戦中戦後を通してやりぬいているところが驚きであり面白い、戦後の研究再開は1946年の焼け野が原の東京の一角でもう始められて論文を世界に発表し続けている。巻末の解説を読むとその有様は海外からも驚きの目で見られたようだ。

こんなのを読んでいると量子物理学をとりあえず学んでみるのもいいかと思えてくる。放送大学にも量子物理の講座があってこれを取ってみようかとも思っている。理解できないかもしれないのだが、この不思議な世界を理解し不確定性理論のリアルを理解することは世界の理解に重要の様な気がしている。

知りたいことには限りがない。

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