キャナルシティの森山良子コンサートで色々感じる
劇団四季の常打ち劇場だったキャナルシティ劇場から劇団四季が今年5月に撤退してこの劇場で色々な催しが行われるようになってきた、今回森山良子コンサートが開かれると何かの宣伝で見て、行ってみるかと予約してみた。B席でいいやとネットで予約する、シーティングは切符をコンビニで受け取る時にはじめてわかるのだが、2階の最後列だった。予約した時が遅かったからなのだろうが席を選んで買えないのは何となく気分が悪い。売り手優位のビジネスのようだ。九響などの 切符を電話又はプレイガイドでシーティングしながら買うというような買い方に慣れていると、何だかなあ、と思ってしまう。技術的な問題なら誰かがいいやり方を考案すれば解決しそうだがその誰かがいないということなのだろう。何だか情けない。
舞台での歌い手のいるあたりとの距離は実長で30m位のようでそれほど遠いというわけでもなさそうでまあいいか、となるがちょっと引っかかる。
17時開演で食事が問題だが、終わってからにするほかない、近くのうなぎ屋に予約を入れておく、終演予定がわからないので2時間位だろうと見込む。終演が何時になるかくらいは事前にわかるようにしてほしいが劇場に来て初めて2時間半の公演とわかる。慌てて食事予約時間を遅らせてもらう。キャナルシティへの行き方はクルマでないとちょっと面倒で天神で乗り換えてバスかタクシーとなるが今回は市が発行している高齢者タクシー乗車券(1回500円補助)を利用してみた、まあ丁度いい使いでではある。
17時から開演。開演前でも場内の写真撮影は禁止との注意がある、あまり聞かない注意だ、どうも舞台装置もアートなので撮られるのが嫌なのかなと思ってしまうが、何故ダメなのかの説明がないのは不親切だ、独裁国家のようだ。森山良子がそんな人とは思わなかった。そんなこんなで始まる前からちょっとネガティブな気分になる。
歌が始まる、バンドはこの前の橋幸夫の様なカラオケではなくちゃんと演奏者がいる。声は現役バリバリだ、磨きがかかっているというべきか。前座というものはない独り舞台だ、15分の休憩が途中にあるとはいえよく体力的に持つものだと感心する、終わり頃でもきちんと高い声も綺麗に出ている。見ていると歌う時の口の開け方が独特だ、テレビで見ているとあまり感じなかったが何か独自の発声のやり方があるのだろう。まだまだ引退という文字はないようだ。でもわからない、聴いといてよかったという事態がいつ訪れぬとも限らない。それが今の世なんだろう。
終演後予定通り食事して、バスはもうほとんど無い時間帯になっていたのでまたタクシーを拾って天神まで戻って帰る。タクシー乗り場というものがないというのも奇妙な感じがする場所だ。キャナルシティという街の設計にそれはなかった、歩けというのだろうか。来年3月待望の地下鉄が通る、これで街としてやっと一人前ということだろうか。ここまでのキャナルシティの高飛車をどうしても感じてしまう。劇団四季が撤退したのもそんなこともあったのかもしれない。
コンサートに行くといろいろなことを感じ考えてしまう、それが面白い気もしている
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