量子物理学を放送大学で学んでいるが
冬至は12月22日だが日の入りの最も早い日は12月6日でもうじりじりと日の入りは遅れ始めている。
日の出の最も遅い日はこの冬は1月8日だから冬至をはさんだ一月ほどが地球の運航からはもっとも冬らしい日々ということになるのだろう。
日も短いしコロナも収まりきらないと本を読んだりテレビを見たりが多くなるが、この冬は放送大学で量子物理学をとっていてこの理解にこのところ暫く四苦八苦している。教科書とテレビ講義だけではどうにもついていけない。一体何が困ってこんなことを言い出したのだろうか、その時多くの学者はついていけたのだろうかという疑問がわいてくる。何かいい本はないかと、ディラックの教科書量子力学を図書館から借り出してきて眺めて見たり買うのもいいかと価格の安い古本を取り寄せて見たり、朝永の量子力学と私を読み返してみたりしていたが丁度そこへ山本義孝、あの全共闘議長の彼が書いたという量子力学の歴史のような本が新聞で紹介されているのを見てさっそく図書館に購入依頼を出した。検討中の表示が暫く表示されていたがついに購入され貸し出し可能となってさっそく読んでいる(「ボーアとアインシュタインに量子を読む」)。厚い本で貸出期間の2週間では読み切るということがほぼ不可能だ。とにかく読む。
読んでいくと歴史的には1900年のプランクによるプランク定数の発見に続くアインシュタインによる光量子仮説の提唱のあたりから欧州の物理学会で量子の概念が飛び交いだしたように思える。光量子仮説は光が波の性質と粒子の性質の両方を備え持っているという考え方だ。熱輻射に関する定式化がその根底にある。しかし1909年ころの欧州の物理学会の世界では光量子の考えを支持する人が殆どなかったとある。やっぱりそうかと思う。そんなこともあってアインシュタインは量子への熱意を失っていったようだ(1912年頃)。
その後量子物理の考え方で水素のスペクトルがうまく説明できたりその他の実測結果をうまく説明できることが分かってきて支持されるようになってきたのだが、アインシュタインはその後ボーア等の確立した量子力学は不完全だといい始め亡くなるまでその論争は続いた。「神はサイコロを振らない」とアインシュタインが言ったと伝えられたことから彼が素粒子の確率的存在の仕方というそのものに疑義を抱いているように思っていたが、この本に書かれている論争の具体的中身を見ると、現在言われている「量子もつれ」のようなことが起こることになるがそんなことはあるはずがない、というのがアインシュタインの最後まで抱き続けた疑問であり主張のようだ。現在の主流は「量子もつれ」は起こるということのようだから、歴史的にはアインシュタインの論点は否定されているが、このような指摘があったればこそ「量子もつれ」を利用しようという方向が生まれたとも思える。
難解な量子力学の世界は一筋縄では納得できない、どう理解したらいいのだろうということで満ちているがそれがこの世のすべてのものの存在の根源にあるという自然の仕組みのどうしようもない不思議さに圧倒される日々だ。
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