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2022年12月20日 (火)

日本の知、どこへ を読んでみたが

少し前に共同通信の「日本の知、どこへ どうすれば大学と科学研究の凋落を止められるか?」という本を図書館から借りて読んだが、読後感がよくない。
2000年ころまでは日本は世界の未来だったように思う。Nihonnochi それが今では輝きを失ったかに見える。何故なのか。引っかかっているところへこの本がどこかで宣伝されているのを見てとにかく図書館の順番待ちに並んだ。
ざっと読んで、何かが抜けている感じがする。あのつくば博が開かれ前へ前へと進んでいたものがこうも急に先が見えなくなったのは何故か、それには答えてくれない。文部官僚が予算の犠牲になったというシナリオを追いかけるだけだ。そうなのだろうか。違う、取材の仕方が根本的に違うのではないか。
2001年の省庁再編でそれまで大臣を抱き科学技術行政の中心的働きをしていた科学技術庁が内閣府と文部科学省に吸収されて、外から見て科学技術に力を入れていた日本政府の姿がぼやけてきたように映った。言い方はいくらでもあるだろうが科学技術庁の名が消えてどうしてもそう見えてしまう。この時期を分岐点とするかのようにずるずると後退していく日本の姿が現出していったと思えてしまう。そこをつく分析が実は必要の様な気がしてしまう。何でこんな科学技術庁をバラバラにするようなことになってしまったのかそこに突っ込むレポートが必要の様な気がしている。
文部官僚があるいは文部族議員が日本の科学技術を高めることができるのだろうか。そこだと思う。

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