コロナ明けの九響のコンサートでショスタコーヴィチを聴く
去年の夏ころに予約していた九響の定期演奏会がコロナの蔓延で流れてやっとこの3月の半ばに公演がおこなわれたので兎に角聴きに行ってみた。もうマスク着用義務は解かれたはずなのに街を歩いても殆どがマスクだ。チケットを切るところもコロナ前の様な手順に戻って半券を切って渡してくれる、マスク無でも何の注意もない。ホールの中もマスク着用義務はないので外していたが、そんな人は皆無に等しい。
始まって暫くするとどうにも気になることが出てきた、周りの口臭といううか加齢臭というかそんなにおいが漂ってくる、そういえば座っているあたりはお年寄りが多い。このところ何回か九響 のコンサートに行っていたがそんなことには気づかなかった。これまではマスクをしていたのが多分にあるのだろう、その方がにおいが気にならない感じがする。休憩後の後半はマスクを着けてみると気にならなくなる、マスクを着け慣れると周りのにおいから逃れられていた自分というものを感じてしまう。パンデミックは色々なことを教えてくれるようだ。
演奏の方はショスタコービッチ特集で、ロシアとキルギスの主題による序曲/ジャズ組曲 第1番/交響曲 第12番 ニ短調「1917年」 の3曲だがいずれも初めて聴く。ショスタコービッチというと打楽器の使い方が派手な印象を持っていたが、最初の曲は打楽器の影が薄くとらえどころのない感じ。次はJazzというより軽音楽でむしろ打楽器によるメリハリがなさすぎる(というか打楽器パートが全くない)締まりのない骨董品の様な曲だった、ちょっと期待外れだ。最後の曲はシンバルが鋭く響き続けショスタコービッチらしい、これは聴きごたえがある。始まる前に指揮者井上道義による解説があるが、説明に出てきたスターリンのテーマとする3連音がうまく聞き取れず、物語のような曲だがストーリーが見えず、よくわからない、という印象が残る。オケの音はよく演奏自体は素晴らしいのだが、曲そのものに難があるように思えてしまう。難しい。
音楽を聴くことは面白い、しかし頗る個人的な体験なのだ、また思ってしまった。
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