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2024年1月 5日 (金)

オーウェルの「1984」を読んでみる

メディア論という放送大学の科目を受講しているがその中でオーウェルの小説「1984」の紹介があって、まだ読んではいなかったこともあり、この機会にと図書館から借りだして読んでみた(1984 ジョージ・オーウェル著 / 田内志文 訳  KADOKAWA文庫)。
文庫本とはいえ字がびっしりで450ページ位ある本なので読破にはそれなりの努力がいる、頭の方を読んでしばらく棚上げにしていたら予約が入って貸し出し延長がで き1984 なくなりそれではと気合を入れて2日がかりで読み終えた。なかなか面白い本だ。 予想していたより恋愛小説的なところが大分あっておやという感じを抱いたが、読み進むといかにも完全監視の管理社会らしいタッチの場面が色濃くなる。監視の主役はテレスクリーンという双方向テレビでそれがメディア論でこの本が紹介される理由の一つになっている。この1984が書かれた1948年にはテレビ放送という形態は世界でやっと始まってきた時期だったがその個人生活に入り込む危険性をオーウエルは感じていたのだろう。この小説の描く世界はスターリンの独裁が一つのモデルだったといわれているようだ。当時ソ連に現実化しつつあった状況ともいえるのだろう。また小説の中では1950年代の核兵器を使った戦争の後世界は オセアニア(アメリカとイギリス)、ユーラシア(ロシア主導の欧州)、イースタシア(中国、日本他の東アジア)の3つの国に分割されそれぞれが似たような独裁体制となり互いに戦争状態を続ける、という設定でこれは現在のイギリスのEU離脱/米英豪のオーカス、米中対立、ロシアの西進/ウクライナ戦争、などの図式を予見しているともいえる気がしてくる。どちらかというと1984の世界に向かって現実の世界が動いていっている気さえする。中国の政府による監視カメラだらけの世界が現実になっているのを伝え聞くと完全監視社会というのはすでに現実味を帯びているようにも思える。AIの進化がそれを加速する近未来というものがすぐそこにあるような気がしている。
1984は各種陰謀論の源流にあるのかもしれないが、どうやったらこの不吉な予測から逃れられるのだろうか、考え続けなければならないようだ。

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