紫式部日記を読んでいるが,面白い
しばらく前にも源氏物語を通読したことがあって、よくぞこんな破綻のない長編を1000年も前に書き上げたものだと思っていた、作者紫式部に焦点を合わせた大河ドラマは
興味深く毎回見ている。勿論ドラマ故歴史的事実とは言えない脚色が色々あってどこまでが本当らしいことなのか、自分でも確かめたくな る、そういえば紫式部日記があったな、と家にあった日本古典文学大系から引っ張り出して読んでいる。原文ではあるものの注釈はたっぷりあって一応読めるのだが、儀式的な記述が多くてちょっとついていけなくなって、最近出た古川日出男の「紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」」を図書館から借りて読んでみた。面白い本だ。紫式部本人が1000年後の現代の読者に現代語を使って分かりやすく端折るところは端折って内容を説明してくれる、という語り口になっている、こんな形態の本は読んだことがない、でも確かにこういわれるとよく解る、わかった気がする。
それにしても源氏物語を書いたのは紫式部ですと現存する写本に書いてあるわけでもないようで間接証拠からそのように言われ続けてきたようだが、その証拠となる表現が紫式部日記にいくつか残されているというのでそこのところを読み返したりもしている。
例えば 左衛門の督「あなかしこ、このわたりにわかむらさきやさぶらふ」と藤原公任が紫式部を呼んだりする場面を日記に書いたり、一条天皇が源氏物語を人に読ませて「この人(作者)は日本紀をこそ読み給ふべけれ」とあったのを左衛門の内侍が聞いて紫式部のことを日本紀の御局とあだ名した、と日記に書いたりもしていて、ここらを読むと紫式部が作者であることは疑いないように見える。日記は中宮出産がまじかに迫った場面から書き始められているがこの時(寛弘5年、西暦1008年)すでに源氏物語は読める形になっていて主だった人々が読んでいたようなのも興味深い。夫藤原宣孝と死別したのが1001年(長保3年)でその後に源氏物語を書き始めたと考えるのが順当のように見え、6-7年で物語の大半を完成させていたことになる、たやすくはないができなくもないか、とも思ってしまう。
気になったことがあれば原文をその都度読み返したりしている、それにしても才女だ、面白い。まだまだ暫くは楽しめそうだ。
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