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2024年9月30日 (月)

九響の定期演奏会でベートーヴェンの7番を聴いたり

少し前のことになるが9月20日に九響の定期演奏会がアクロスで催されて聴きに行った。音は奏でられたその時に空中に去ってしまう、どんな形でもいいからメモを残しておかないと、と思っている。この日はスダーン指揮でベートーヴェンの3つの序曲と交響曲第七番が演目だ。いつもの後方中央の席は今回はとKyuukyou-0920 れず左袖の2階席で聴いた、左から(すなわち前から)5番目で演奏者が良く見え指揮者の要所要所に赤線書き込みが入った楽譜まで見えてしまう、悪くない席だ。この席だから感じること、それはオーケストラは指揮者の楽器だということだ、どんなバランスで、どんな強弱で、どんなテンポでオーケストラという楽器を鳴らすか指揮者にかかっている、この席でみてるとそれを如実に感じる。自分でもここはこうしたらなどとも思ってしまう。しかし例えば華だった前の首席トランぺッターが去ってどうにも管の輝きが今一つなのはもう指揮者ではどうしようもない、そんなところも感じてしまう。
演奏は全体としてはバランスが取れていて良いものではあったが個人的な好みでは今一つ乗っていけない感じが残った。特に休憩後の第7番だ、曲に音圧一定のように作られているところが多くて曲そのものを好きになれないところがあった、これは以前からの7番についての感想でもあるのだが今回改めて聞いてもそれは変わらなかった、音楽を聴くということはすこぶる個人的なことなのでこれは如何ともしがたい。
そんなこともあるが音楽を聴いた後の精神のさわやかさは十分すぎるほどで気持ちよく買い物をしたりしながら家路についた。こんな生活ができるのはやはり贅沢かもしれない、そんな風にも思ってしまっている。

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2024年9月29日 (日)

気象予測データ処理にてこずる----84/132/256時間予測GSMデータの突然の配信終了

ほぼ毎朝起き掛けにその日の気象庁リリースのGMS,MSMデータの最新データをダウンロードしてエクセルで天気見通しの作図をしているが、9月19日朝にGSMの256時間予測データ(9月18日12時UTC初期値)をダウンロードしようとしたらデータが無いという。エッという感じだが調べていくととにかく今までの84/132/256時間予測のGSMデータのリリースは9月17日18時UTC初期値で終了したということのようだ。一応今年6月13日付けの気象庁「配信資料に関するお知らせ」に出ていたようだが全く見落としていた。とりあえずはメッシュのやや粗い全球GSMデータは入手できるのでそこから福岡近辺を切り出して256時間予測を作図することにした、これは世界各地の気象予測をするためにExcel作図の手順も作っておいていたので割合すぐできた、しかしこれまでの倍のメッシュでちょっと粗くて解の得られる最寄りポイントも住んでいる福岡市とは少し距離のある太宰府近くになってしまう(地球レベルで見ればほぼ同じなのだが住んでいるとちょっと違うなと思ってしまう)。何とかしたくなる。ネットで調べたりMLでのやり取りを見たりきいたりして細かいメッシュ(従来の半分)の新しい形式のGSMデータはすでに並行リリースされていたと知り(全く遅れている)、とりあえずこれを切り出し処理して作図するExcelを作ることにした。元の処理プログラムベースで作っていけばいいかという感じだったがこれが大変。多分昔作った時より年齢が進んでしまったというのがあるのだろうと今になって思っている。やっと今日29日に132時間Gsmnew092812utc 予測の作図まで完成した。新形式のデータセットは24時間ごとに切れたデータ(以前は最初は84時間までがまとめて出てきていた)で多数のデータセットを以前作った作図形式になだれ込ませれるように変換・処理していく、思いのほかミスが次々に出てこれをつぶしていくのに苦労した。ゼロベースで作るべきだったかなと今になって思っている。しかしとにかく第一段階という所までできたので久しぶりの達成感はある。後は同じことを繰り返して256時間予測を作ることになる。(添付図は完成した出力図の一部)。
こんなことをして徒に時は消えていく、惜しいと思うべきなのだろうが生きていることすべてが楽しい気がしている。

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2024年9月16日 (月)

アクロスのランチタイムコンサートでモーツアルトの連弾を聴く

10時半頃からアクロスに向けてクルマで出発、ランチタイムコンサートだ、道は結構混んでいて11時頃駐車場着。地下のうどん屋でごぼてんうどん食べたり、店で買い物をしたりした後会場へ入る、後ろから5番目の席だが真ん中で悪くない。2人のピアニスト仁田原祐、市野あゆみ によるピアノコンサートだ、あまり前だと弾き手によっては受けAcroslunchcon0913a る音圧が大きすぎて落ち着いて聞けないことがある。仁田原のソロで「展覧会の絵」から始まる。原曲を次第に思い出してくる、最後の聞きなれたキエフの門まできて、ちらりと見るとキーウの門とプログラムにある。ロシアの元がウクライナ、この戦争は日本でいえば東京と京都の戦争かもしれない。思いを巡らしながら聞く、音が激しい、前で聴かなくてよかった。
次は連弾でモーツァルト4手のためのピアノソナタ K.521だ。なかなかいいが連弾だとモーツアルトらしさが溢れんばかりで、これでもかこれでもかと迫りくる、少々煩わしくさえ思うほどだ。連弾の曲を作曲しているモーツアルトの忙しいペンさばきを思ってしまう。連弾の演奏会の準備はどのくらい二人で練習するのだろうか、対等になれるのだろうか、なども思ってしまう。なんだか最近読んだ「サンショウウオの四十九日」に出てくる2人が合体した一人、体は一つでも意識は別、を思ったりもする。モーツアルトは案外2人が合体した一人かと思ってみると何だかそうかもしれないと思えてくる、一人では抱えきれないほどの意識の湧き出しがあの無数の曲を生み出したのではないか。聴きながら次々に出てくる思いを転がして楽しい時間を過ごす。
1時間10分のコンサートだったが長く感じた。

いいコンサートだった。

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2024年9月12日 (木)

芥川賞の「サンショウウオの四十九日」を読んでみたら

芥川賞が決まってその日のうちに掲載誌を図書館に予約したがもう5か月待ち位の長い行列だ。少し待ってみたが待ち行列の進み具合は遅々としていて、しょうがないと今回は受賞作が掲載される文芸春秋九月号をヨドバシに発注して入手した。とにかく配達してくれてポイント分だけ少しは安く買えるのがいい。程なSansyouo0912a く届いて、のんびりと「サンショウウオの四十九日」から読み始めた。すぐに何だこの小説は、と思ってしまう、何しろ生まれた赤ん坊の中に赤ん坊が宿っていて成長してくるというとんでもない情景が描かれる。1年後に第2の赤ん坊は第1の赤ん坊から取りだされて、立派に成長した後この物語の主人公である一体となった双子姉妹杏と瞬の父となるという設定だ。一体となった双子とは見た目は一人だが概ね二人分の臓器が内側にあって意識は別の二人という設定だ。出生届も2人分提出してもめた末受け付けられるという設定でもある。現実にはとてもありそうにない、共感性が全くと言っていいほど湧いてこない小説だ、そうだよなあ、と思うところがどこにもない。読んでいて結構つらい。こんな小説は確かに書かれたことはない、新しい世界を描いていると言えばそうだ、かといって芥川賞というのはちょっと、と思ってしまう。著者の朝比奈秋は現役の医者という、外科手術を行ったりもしているともある。解剖学的には人の意識は見ることはできない、リアルな臓器と意識は別物だという感覚を抱いて書き始められた小説のように読んでいると思える。でもその部分もそうかなあと思ってしまうところがある。こういう小説が書かれそれが芥川賞を取る、そのことそのものが新しい時代の始まりを示しているのかもしれない、そんな風にも思い始めている。確かに時代は動いている。

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2024年9月 5日 (木)

オードリー・タンのことを書いた「オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと」を読んでいたら

台湾のトランスジェンダーの元デジタル大臣オードリー・タンのことを記した「オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと」を図書館から借りてきて暫く読んでいた。類まれな人のようで日本では堀江貴文が少し近いのかなと思ったりもした。読んでいて少し気になったのはしきりに出てくる「ハッカー」という言葉だ。この本の中ではプラス側、積極的に改革を行う側の「善い人」との表し方で書かれていて、台湾では「ハッカー」というとITプロPhoto_20240905162301 グラム能力にたけたIT時代をけん引する能力を発揮している人のような扱いであるらしいと読み取れる。著者は台湾に在住する日本人だ。日本で普通に使うときはそんな風には扱わないと思う、ハッキングというとITを使った情報の窃盗だしハッキングを平気で行う犯罪者がハッカーと扱われているように思う。キーワードのハッカーという言葉の定義をこの本の初めの方でしてくれないととても読み続けられない気がしてくる。言葉が気になりだすと伝わるべきことも伝わらなくなるような気もしている。
最近の言葉、表現の気になる話はそういえばそのほかにもあって、気象関連でもいくつかある。一つが線状降水帯という言葉だ。最近よく気象庁が使うが、これが線状降水帯であるという定義が伝えられていないというかまともに伝える気がない上から目線というか、その辺りもかなり気になる。文字通り線状の降水帯というだけならいくらでもある、前線は基本的に線状の降水帯を伴う、線状降水帯という淡々とした表現ではその危機感がにじまない、仲間内の符牒のような言葉という印象がある。こんな時は世界ではどう言い表しているかをみると手っ取り早い。英語の表現では、trainingという言葉が使われる、訓練のトレーニングと混同されそうだがちょっと違う。こちらは列車が雨雲を運んでくるような有様を表現しているようで列をなした雨雲が次々に襲ってくる有様が言葉から感じられる。日本語の線状降水帯からはこの列をなして次々に襲ってくる動きが伝わってこない、もっと言えば危機感がにじまない。この言葉を公に使い始める時にその辺りの考えが欠落したのかな、そういう組織なんだ気象庁はとも思えてくる、どこか独りよがりな信頼のなさを感じてしまう。列状降水帯とでもすればまだましだったような気がする、理学の鈍感ということかもしれない。
こんな風に行政府のやり方に言いたいことをいう、これがもっとオープンに議論できる場が用意されればな、と思ったりもする、それがオードリータンの世界なのだろうと思っている。

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2024年9月 4日 (水)

2024年8月の福岡市南区周辺の野鳥

暑い日が続いた。近くの池には日中はとても行けず、見られる鳥の数も種類も限られたものとなった。日暮れのころはコウモリの飛翔が目についたりもしている。幾つかの池にはマガモが居ついているがカルガモに似ていたりもして数種の雑種と思われここではマガモ(ハイブリッド)と記した。
手元のメモに残された記録は下記の通り:
01kawarahiwa0801aa1 2024.8.1 6:20 晴れ 風力0 -1   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ2、アオサギ1、ハシブトガラス2、カワラヒワ02hybridduck0802aa1 幼1 新市楽池:バン親1+ヒナ4、
2024.8.2 15:30 晴れ 風力0-1 3Cu040   福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 バン親2+若1+ヒナ1、マガモ7、アオサギ1、ドバト5+、スズメ13位、
2024.8.3 6:30 晴れ 風力0-1 快晴 福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ハシブトガラス4+ 新市楽池:バン親1+子2、マガモ3、
2024.8.7 6:25 晴れ 風力0-1 2Cu030   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:ドバト5 新市楽池:バン親1+子4、 鹿助池:アオサギ1、マガモ(ハイブリッド)4、ムクドリ7±、スズメ2±
 、
2024.8.8 18:40 晴れ 風力0-1 4Cu030   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:アオサギ1、マガモ(ハイブリッド)3、メジロ03suzume0807aa1 2、コウモリ多数、自宅前;ハシブトガラス2 新市楽池:ー
2024.8.9  14:40 晴れ 風力0-1 2Cu030    福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 アオサギ1、ホシハジロ♀1、マガモ(ハイブリッド)7♂3♀4、ドバト12、スズメ4±、バン親2+子2、
04hoshihamesu0809aa1
2024.8.10 15:30 晴れ 風力0-1 3Cu040    福岡市南区長丘周辺の野鳥  鹿助池:マガモ(ハイブリッド)1、ドバト7+、スズメ3-4、シジュウカラ幼鳥2-3、 、
2024.8.11 18:20 晴れ 風力1-2 2Cu030   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:スズメ6+、アオサギ1、 新市楽池:バン親1+子5
2024.8.13 18:50 晴れ 風力1-2   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:(コウモリ) 新市楽池:マガモ(ハイブリッド)2♂♀、バン親1+子2、カラス上空10-20位
205sijyukarayocyo0810aa1 024.8.14 19:00 曇り 風力1-2 7Cu025   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:(コウモリ)、スズメ1 新市楽池:バン子4、 マガモ(ハイブリッド)2♂♀、
2024.8.18 18:30 晴れ 風力0-1 2Cu030   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:(コウモリ)、 新市楽池: マガモ(ハイブリッド)2♂♀、バン親1+子2、
2024.8.20 18:30 晴れ 風力1-2 3Ci100   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:(コウモリ)、 新市楽池: バン子5、マガモ(ハイブリッド)3

06koumori08013a3a 、カラス上空~10、(コウモリ)

2024.8.23 14:30 曇り 風力1-2 7Cu030   福岡市城南図書館裏西ノ堤池の野鳥 ドバト16+、バン親2+子1、ホシハジロ♀1、マガモ(ハイブリッド)5♂3♀2、アオサギ1、
2024.8.24 16:00 曇り 風力0-1 4Cu030   福岡市南区自宅の野鳥  07banwaka0814aa1 ヤマガラ1
2024.8.28  18:15 曇り 風力1-2 6Cu030   福岡市南区長丘周辺の野鳥  中公園:(コウモリ)、ハシボソガラス 新市楽池:バン親2+子2、マガモ(ハイブリッド)3、
08magm0818a2a1

 

2024.8.30 13:00 小雨 風力1-2 8Cu020   福岡市南区長丘周辺の野鳥  (途中):シジュウカラ1-2、 新市楽池:バン親1+子1、マガモ(ハイブリッド)3、 中公園:ハシブトガラス1
2024.8.31 19:00 晴れ 風力0-1  福岡市南区長丘周辺の野鳥  新市楽池:(コウモリ)、マガモ(ハイブリッド)4、 中公園:アオサギ1
写真は上左から  カワラヒワ幼鳥(8/1中公園)、マガモ(ハイブリッド) (8/2西ノ堤池)、スズメ(8/7中公園)、ホシハジロ♀(8/9西ノ堤池)、シジュウカラ幼鳥(8/10鹿助公園)、コウモリ(おそらくアブラコウモリ)(8/13新市楽池)、バン若09aosagi0823aa1 (8/14新市楽池))、マガモ(ハイブリッド)(8/18新10mukudr0825aa1 市楽池)、アオサギ(8/23西 ノ堤池)、うるさいムクドリ(8/25自宅前11hasibutogrs0830aa1 )、羽ボロボロのハシブトガラス(8/30中公園)

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2024年9月 1日 (日)

伊藤比呂美の「いつか死ぬそれまで生きるわたしのお経」を読む

伊藤比呂美の「いつか死ぬそれまで生きるわたしのお経」を読んでみた。そもそもは伊藤比呂美の歌を文藝春秋か何かで読んでいい詩を書く人だと思って図書館の蔵書を検索したらこの本が出てきて予約したのがこの本に出合った経緯ということになる、予約してみて待ち行列の長いのに驚いた、随分な人気だ。何ヶ月も待ってもうどうでもよくなった頃順番が回ってきた、パスするのもあんまりなので取り敢えず借りることにして図書館に出向いたが、付録にCDが付いていて窓口のOkyouyy 人がこれも借りますかと念押しする、付録だから借りないという選択肢はなさそうに思うのだがと怪訝な思いで、借りますと答えて借りてきた、まだ聞いていない、自作の朗読のようだ。変わった本だ。
とにかく本の文の方を読みだした。
人生相談的な文が現れるかと思いきや本当にお経の現代語訳を自身で書いて次々に出して来る。信心など全くないと書いているがずいぶんな探究心を仏教に注いでいる。確かに坊主の唱えるお経は一体何と言っているのだろうとの疑問はいつもあった。般若心経は学生の頃お寺に泊まってグライダーを飛ばす合宿をやったことがあって何かのご縁ですからと朝のお勤めで毎日読経した記憶がある、一通りは内容の説明を受けたがもうすっかり忘れている。そのほかのお経はその内容に仮初めでも向き合ったことがない。わからないんでいいんだといった空気があるように思える。聖書やマホメットの言葉を誰もが理解しこれを拠り所にするキリスト教やイスラム教とは大違いだ。仏教経典であるお経は一体どういう内容なのだろうというのは長年知りたいことではあった。
般若心経の他には阿弥陀経や法華経のこれはという所が現代語訳されて出てくるが、何とはなしに死への向き合い方やブッダが教えを広めることの尊さを謳い上げるばかりのように見えて教えそのものに踏み込んでいかないもどかしさを感じてしまう。最後にブッダが死の直前に弟子たちに残した仏遺教経の現代語訳が出てきてやっとこういう風に生きなさいという教えが示される。なかなか立派な教えだが眠りをむさぼるなというあたりは要するになるだけ眠るなと読めてちょっと非人間的だとか、怒るなのところはそうなのだろうけれど余りに不当な仕打ちを受けても怒らないというのはこれも非人間的なように思えてしまう。歴史的には僧兵という組織があって僧が暴力をふるうことがあったがこれは全く教えを無視していたのだろうかとも思えてくる、仏教とは仏教の集団とは一体どの範囲までを指すのだろうかとの疑問が湧いてきたりもする。
読後感は、そういうことなのか?、ふーん、というものだった、何だか違和感がある。合間合間に著者の身の回りのエッセイが挟まれるがこれが生き生きしていていい、ということで全体としてはまあいい本かな、という気がしている。

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