九響の「名曲・午後のオーケストラ」が終わる
九響の名曲・午後のオーケストラというくくりのコンサートが今回で終わりになるという。名曲といわれる曲を取り上げ午後のゆったりした時間に演奏する贅沢なコンサート、と思っていたが、止めになるというのは九響もやることが多いので重みの軽いところから減らしたいということなのだろうか、よくわからない。
聴きに行った最終回の今回はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」と「スターウオーズ」だった。スターウオーズが名曲かと言われれば、どうだろうと思ってしまうがそういう見方も面白 くはある。ずっと先の未来でこの時代の名曲はという時に取り上げられる気がしなくもない、そういう時代が現代なのかもしれない。
ハイドンの主題による変奏曲が始まる。ああ作曲家はいいテーマ旋律を探し求めてるのだなそれさえ見つかればこれをいかようにも展開しつくして多彩なメロディーを次から次へと生み出すことができる、それが作曲家なのだ、と感じてしまう。曲の展開に従って音は出さないようにしてフレーズを聴きながら一緒に口を動かしたりもしてしまう。作曲家とともに楽しめる、確かにいい曲だ。
いい気分になって何とはなしに終わってからの交流カフェ参加を申し込もうかと思っていたら休憩のアナウンスとともにもう満員で申し込みは締め切ったとある。何でも簡単ではない。
休憩の後はスターウオーズだ。大勢の合唱隊とオケも打楽器4倍にピアノ、エレクトーンにハープ、楽器の本数増大など随分補強される。そうか、迫力が勝負なんだ、始まる前から思ってしまう。始まる、弦の響きに複雑さはないが確かに迫力満点だ、調子がいい、もちろんこれも無音で口ずさんだり足で拍子をとったり、楽しい。何だか椅子に座って正面を向いて黙々と聞くというスタイルが曲に合わない気がしてくる。親しい人と話しながらとか、もっといえば例えばポールマッカートニーの最近の英国のコンサートを聴衆が何人も勝手にスマホで撮ってYoutubeで流したりする雰囲気(米国でもそうだと米国在住者からも聞いた)とかがどこか似つかわしい気さえしてくる、共に楽しむ、それが未来へ向けたキーワードかも知れない、そんなことを思っていた。
音楽を聴く、いろんなことを思う、とにかくそれが楽しい。
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