アセモグルの「自由の命運」を読んでトランプの行く末を思う
アセモグルが昨年秋ノーベル賞経済学賞を受賞したと聞いて、何か読むべきかと、図書館から「自由の命運」という上下2冊の厚い本を借り出して読んでいたが、長いだけに集中が続かず、やっとの思いで先週読み終えた。2019年11月に書き上げられた本で、最新というわけではないが、はやりものでもないのでこれくらいは最近の著作といっても誤差の内だろう。今我々が良いと思っている自由な社会国家の状況はどうやってここまでたどり着いたのだろうか、どうなっていくのだろうか、を歴史的に又は社会学的に考察した本だ。キーワードは国家と社会、赤の女王効果、回廊、足枷のリヴァ イアサン、といった言葉になる。国家と社会が互いに競争するように高めあい続ける、すなわち赤の女王効果(その場にとどまるには思いっきり走り続けねばならないという「鏡の国のアリス」の赤の女王の言葉による)で、走り続けて均衡を保ちつつ「足枷のリヴァイアサン」(権力者の権力を制限した状態)に向かって、社会の力と国家の力がバランスの取れた状態の「回廊」の内側を進むことができる、と説明している。この中で具体的な例をいくつも上げているが、興味深い分析の一つが当時の先進的な民主制であるワイマール体制からナチスの一党独裁が現れてくる過程だ。ここでは国家と社会が競争しあうのではなく互いにつぶしあう赤の女王のゼロサム化が起こり、ナチ党のような偏った勢力の拡大を半ば助けた形になっていったというのだ。この結果「足枷のリヴァイアサン」ではなく「専横のリヴァイアサン」へ向かって回廊から出てしまったということになる。複雑な社会現象を見切るシンプルな目を与えてくれる意味でこういう見方は確かに貴重に思える、さすがだ。
このところのトランプ政権の極端な関税政策などの動きもこんな見方からすると赤の女王のゼロサム化に向かっているように感じる、結局は誰も得をしないことを政権は力で押している、どこに向かっているのだろうか。アセモグルの言う回廊の真ん中ではないことは確かなようだ。回廊から逸れてしまうであろう4年間の任期のあとがどうなるかそこが本当の問題ということになるのかもしれない。
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